妹の変化・2
リヴェラとライナードは、メルフィナの話をじっと聞いている。
――王太子ダルシオンと、メルフィナの妹アリシアが出会ったのは、王都ガルシアで開かれた夜会でのことだ。
メルフィナも当然、ダルシオンのパートナーとして参加していた。とは言え様々な招待客との交流があり、常に一緒にいたわけではない。メルフィナは夫人達の話し相手をしていて、ダルシオンがいつの間にか広間からいなくなっていたことに気づかなかった。
ようやく夫人達のお喋りから解放されたメルフィナがダルシオンを探していると、バルコニーで何やら話し込んでいるダルシオンとアリシアの姿を見つけた。二人は笑顔で、アリシアが廊下まで響く大きな声で笑っていた。
「――以前のアリシアは男性が苦手な性格で、男性と大きな声で笑い合うなんて考えられない子でした。しかも相手は王太子殿下です。私の婚約が決まった時、アリシアは心から喜んでくれていました。それが今の彼女は、信じられないほど奔放な女性に変わってしまったのです」
メルフィナはため息をつきながら、話を続けた。
――ダルシオンとアリシアの仲睦まじい様子を見たメルフィナは、戸惑いながらも二人に声をかけた。
「殿下、こちらにいらっしゃったのですね」
ダルシオンはメルフィナに気づくと、少し焦ったような笑顔を浮かべた。ダルシオンは父譲りの銀色の髪と、宝石のような青い瞳を持つ。艶のあるプラチナブロンドのメルフィナと二人立つ姿は、まるで人形のように美しいと評判の二人であった。
「メルフィナか。アリシア嬢の気分が少し悪いと言うのでな。ここで風に当たっていたのだ」
「まあ、そうでしたの。気分はどう? アリシア」
アリシアはミルクティー色の髪が可愛らしい小柄な女だ。着ているドレスはレースと花の飾りがふんだんに使われた華やかなもので、髪飾りやネックレスも全て花がモチーフになっていて、彼女によく似合っていた。
「もう平気よ、お姉様。殿下がそばにいてくださったおかげで、だいぶ良くなったの」
「そう……それは良かったわね」
浮かない表情でメルフィナは答える。
「アリシア嬢とこうしてきちんと話したのは初めてだが、君の話とはまるで違うので驚いていたところだよ。こんなに明るく、楽しい女性だったとは知らなかった」
ダルシオンは嬉しそうな顔で隣のアリシアを見た。
「やだあ、殿下ったら! 私は昔から変わっていませんよ」
アリシアは顔を真っ赤にしながら、ダルシオンの腕を軽く叩くような仕草をした。気安く王太子の体に触れるアリシアに、メルフィナはますます驚いた。
「そうですか。妹と仲良くしてくださり、感謝します。ですが殿下、そろそろ広間の方に戻っていただきませんと……殿下と話したいという方が行列を作って待ってらっしゃいます」
「おお、そうだな。それではアリシア嬢、私はこれで失礼するが、気分はもう平気か?」
「ええ、平気です。殿下とお話していたら、すっかり元気になっちゃいました」
上目遣いでダルシオンを見上げるアリシアの姿に、メルフィナは一抹の不安を覚えた。
「――それは私の『勘』としか言えないものでした。ですが夜会の後、殿下とアリシアが手紙のやり取りをしていると私の侍女から聞き、私があの時抱いた勘は間違っていなかったのではないかと思っています」
メルフィナの話をじっと黙って聞いていたライナードは、ようやく口を開いた。
「なるほど……で、ここまでの話を聞いてリヴェラ、君はアリシア嬢の話を聞いてどう思う?」
リヴェラはライナードとメルフィナに見つめられ、戸惑いながら口を開いた。
「直接会ってみないとなんとも言えないですが、メルフィナ様のお話を聞く限り……アリシア嬢が転生者である可能性は高いと思います。転生者の特徴として、ある日突然人格が変わるというものがあります。徐々におかしくなる、ということではなく、本当に『突然』変わるんです。転生者の魂に乗っ取られるとそうなるんです」
「やはりそうか」
ライナードは顎に手を当てた。
「アリシア嬢が転生者から身体を取り戻す為には、彼女の前で『見送りの歌』を歌う必要があります。でも転生者が乗っ取った人間にうまく成りすましていると、魂を引きずり出すのは難しいです。できれば、転生者の本性がむき出しになる瞬間を狙えるといいんですけど」
「本性がむき出しとは?」
ライナードが首を傾げると、リヴェラは頷いて話を続けた。
「転生者自身の願いが叶う瞬間なんかだといいですね。そういう時は転生者の本性が現れるので、より魂を引き出しやすくなります。乗っ取られた側の人間とやがて同化してしまう転生者もいるので……」
「歌を歌うだけでは、魂を引きずり出すのは難しいということか……」
メルフィナはリヴェラの話を聞きながら不安げな顔をしていた。
「転生者と同化……ひょっとするとアリシアは生涯このまま、ということもあり得るのでしょうか?」
「あり得ます。周囲が受け入れ、本人も乗っ取った人間を本来の自分だと思い込んでしまうと、そのまま生きていくことになるでしょうね」
「なんと恐ろしい」
ぎゅっと目を閉じ、メルフィナは首を振った。
「メルフィナ嬢、ご両親はこのことをどう考えてらっしゃるのですか?」
ライナードは厳しい表情を浮かべているメルフィナに尋ねた。
「……私の両親は、今のアリシアの方がお好きなようです。友人も増え、見た目も華やかになって今では『ウィンドグレース家の花』と評されるようになった妹が可愛いのです。社交界では姉の私よりも、アリシアの方がダルシオン殿下の妻に相応しいなどという話もあるくらいですわ。両親はそんなことを言われても咎めるどころか、満更でもなさそうなのです」
ライナードはため息をつき、リヴェラと目を合わせた。ライナードの顔には(これはメルフィナ嬢が不利だ)と書いてあった。
王太子の妻となれば、いずれは王妃として人々に愛され、崇拝される存在にならなければならない。控えめで自己主張をしないメルフィナより、華やかで明るく、社交的なアリシアの方を推す者が出てくるのも当然だろう。
「とにかく、僕はアリシア嬢についてもう少し調べてみます。王太子がメルフィナ嬢との婚約を破棄し、アリシア嬢を選ぶなどと言い出せば、転生者が王太子妃になってしまうことになります。それだけは避けなければ」
「感謝します、ライナード様。私もできるだけの協力をさせていただきます」
二人の話が終わったところで、ライナードはリヴェラに「せっかくだから、メルフィナ様に一曲歌ってくれないか」と声をかけた。
「私からも是非お願いしたいわ。リヴェラさん、よろしいかしら?」
「かしこまりました」
リヴェラは頷き、傍らに置いていたケースを取り出した。
「では、失礼して……」
リヴェラは椅子に座ったまま、竪琴を抱えて音を軽く鳴らした。繊細で美しい音が部屋に響く。
――あるところに、美しい姉妹がいました
姉の美しさは、朝露に輝く白いバラのよう
妹を助けたい、姉はただそれだけを願い、旅に出る――
メロディーに即興で作った歌詞を乗せて歌った。メルフィナは目を輝かせ、真剣にリヴェラの歌を聴いていた。ライナードは口元に笑みを浮かべ、じっとリヴェラの歌う姿を見つめていた。彼が初めてリヴェラの歌を聴いた時と同じように、リヴェラの姿に目を奪われているようだった。
歌が終わり、リヴェラは頭を下げる。
「素晴らしかったわ、ありがとう」
メルフィナは笑顔でリヴェラに拍手を送った。メルフィナが妹を想う、優しい歌だった。
「やはり、君の歌は素晴らしいね」
ライナードもリヴェラに拍手をした。リヴェラは少し照れたような顔で「ありがとうございます」と答えた。
「歌のお礼を差し上げたいわ。何がいいかしら……そうだわ」
「お礼なんていいですよ。お礼はライナード様からもらいます」
リヴェラは慌てて断ったが、メルフィナは自分のイヤリングを外してリヴェラに渡した。
「これを今日の歌のお礼に。きっとあなたに似合うわ」
「えっ……」
リヴェラは手のひらに乗せられたイヤリングを見ながら戸惑う。それはダイヤモンドと思われる石が耳元で揺れるイヤリングだった。一曲のお礼としてはあまりにも高すぎる。リヴェラは助けを求めるように、ライナードに視線を送った。
「いいイヤリングだ。きっとリヴェラに似合うだろうね。早速着けてみたら?」
ライナードは遠慮しろと言うどころか、ニコニコしながらリヴェラに着けて見ろと言う。リヴェラは困惑しながら、渋々イヤリングを着けて見た。
「……やっぱり、凄くお似合いね。実はリヴェラさんが耳に何も着けていないのを見て、気になっていたのです」
「で、でもこんな高いもの、受け取れません」
「気になさらないで。これは私の気持ちです。その代わり、アリシアのことを助けてやってくださいませ。本当のアリシアと、私はもう一度会いたいのです」
メルフィナは、アリシアを助けてくれと話した。
(この人は、本当に妹さんのことが心配なんだわ)
リヴェラはすっと椅子を立ち、メルフィナに頭を下げた。
「かしこまりました。アリシア嬢を、吟遊詩人リヴェラがお助けいたします」