表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/59

五話 誠実には誠実を

 一条は、このとき初めて感情らしきものを表に出した。というより、俺が感じ取れるほど強く表情に現れた、とするべきか。

 彼女は前髪で少しばかり隠れたその目を大きく見開いた。

「…………」

 ぴたりと機械が急停止したかのように、微塵も動かない。

「…………」

 俺を見たまま止まっていた。

「……昼休み終わるぞ」

 半目で一条に声をかけた。

「……」

「……おい」

 これはもう駄目だ。

 彼女の処理が追いつくのを待っていられない。固まっている彼女の横を早歩きで通り過ぎる。

 カンカンとでも形容したくなる大きな足音を立て、一条は俺のブレザーの袖を思いっきり引っ張った。実に明快な音だった。

「…………いいのですか?」

「いやだったら誘わねえだろ」

「それもその通りです。申し訳ございません。少々動揺が収まっておらず」

 なんでさっきはすっごいびっくりしてた顔だったのに、今はこう、すんってなってるんだよ。無表情すぎるだろ。

「……本気で間に合わなくなるぞ」

「それはいけません。早歩きしましょう」

 宣言通り早歩きを始めた一条の後を追う。俺は遠慮なく走る。こんなことで担任の評価を落とすのはまずい。教師に嫌われたら色々と面倒なのだ。

 なんとかギリギリ駆け込んだ。俺と一条は何事もなかったかのように席に着いた。……優等生なクラスメイトの視線が痛いが気にしない。

 ふう、と息をついた。

 放課後が少し楽しみだ。

 俺は至極真面目に授業を受けた。知識、教養とは、あるだけで世界が面白くなる。こうして教育を受けられる環境が非常に贅沢であることも両親のおかげで理解している。

 だから、絶対にサボりはしない。

 帰ったら予習復習は習慣化しているし、解けないものを放置したりはしない。かといって特別熱を持って取り組むわけでもないが。

 ……後ろの席の人間とは違って。

 一条は、それはとてもとても熱心に授業を聞いていた。周囲の人間と話す時間、ちらりとノートを見たら、びっしりと文字が詰まっていた。が、読みづらいし整っていない。典型的な勉強できない奴のノートだ。

 ここに入れたということはそれなりに勉強ができるはずなのだが。不思議な奴だ。

 そうこう過ごしているうちに、放課後が来た。

 さようならが終わって、生徒がパラパラと散り始める。

 学校生活一日目が終わった。今日はほとんどガイダンスが多かったので、それほど授業といった雰囲気ではないが、これからきっと難しくなっていくのだろう。

 それはそうとして、部活動勧誘期間だ。何に入ろうか、などとはしゃぐ生徒、決めていたんだと真っすぐ部室に向かう生徒……。まさに高校生の醍醐味というか、いかにも青春じみた空気感というか、冷めている自分が浮いて感じる。

 もっとしっかり学校選びをしておけばよかった、と後悔し始めていた。いちいちストレスがたまる。

 一条はそんな俺の心情などなにも考えていないのだろう。俺の隣で、無感情に周囲の人間たちを見渡している。

 学校の門を超えると、やっと落ち着いてくる。

「……楽しそうでしたね、部活」

「そうは見えない顔だったけどな、お前」

「よく言われます」

 相変わらずなにを考えているか分からない温度の声。

 直感した。

「……あー、気にしてるんなら、悪かったよ」

「…………え?」

 声が若干、かすれたような、湿り気を含んだような、そんな声音だった。これは当たりか、と思いつつ、口を開く。

「……ちょっとショック受けてた、ように見えたから」

 一条はほんの一秒ほど黙って、

「……ああ、確かに。そうかもしれません。よくわかりませんけれど」

 その言い方が妙にふわふわしていた。

「……今、貴方にとって私は、他人ですか?」

 話を切り上げたいみたいな不自然さが引っかかった。が、まあそういうこともあるかと、それは無視することにした。

 で、突然なんの話だ? 世間話にしてはチョイスがおかしい。……いや、こいつならやりかねないが。

 あれこれ考えるうちに、一つ思い当たった。

「……ああ、昨日のあれか」

『……なんで、赤の他人のお前に話さなきゃいけねえんだよ』

『では、私が貴方と親しくなれば、教えてくれるということですか?』

 そうだ、面倒になって否定するのを諦めたんだった。

 それで、自分の現在地を確認したいというわけか。……言葉足らずが過ぎる。

「ええ、まあそれもそうなのですが」

 それ以外になにがあるんだ。

「いっとくが」

「はい」

 なにか話したそうにしていた一条は、俺がしゃべり始めた瞬間口を閉じた。

 その素直さに、やや躊躇した。人、あるいは好奇心に従順。よくわからん奴だが、誠実さだけは確かだ。

 なら俺は、それに報いて、せめて誠実であろう、と思う。彼女の好奇心を満たせずとも。

「……俺は、どんなに親しくなっても、ヴァイオリンを辞めた理由なんて人に話そうと思わねえ」

 俺が言い切ると、一条は全く困った感じを見せず、涼しい顔をしていた。

「そうですか。ですが、人は変わります。……関わってもいいのなら、関わらせていただきます」

 ますます一条静乃というものを知りたくなった。

「……じゃあ、お前は俺を知るために仲良くする、俺はお前を知るために仲良くする、条件はこれで同じだな」

 一条が俺を見透かすのが先か、俺が一条に興味を失うのが先か。

 どちらかが興味を失えば、多分もう関わることはない。そして、お互いにそれでいいと思ってる。

 つまり、気を遣う必要がない関係なわけだ。相手が知りたいのは、自分の根っこの部分なんだから。

 最高じゃないか。

 それでもし、本当に仲良くできればそれでもいい。なにがどう転んでもお互いにメリットしかないのだ。

「……私を知りたいのですか、変な人ですね、貴方は」

 いや、お前に言われたかねえよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ