一話 不器用な二人の出会い
少なくとも週一では投稿していきます。毎週土曜日にでも覗いてくれると嬉しいです。よろしくお願いします。
いい天気だ。
こんな晴天に入学できるなんて、俺は幸先がいい。きっと、同級生になる奴らもそんな思いで記念撮影したんだ。
なのに俺は、どうしてカフェの窓際なんかにいるのだろう。
紅茶を啜る。美味しいが、サボってまで飲みたい味ではない。
レコードが店内の空気を振動させて、音楽を奏でている。少しだけ落ち着く。
――確実に言えるのは、はしゃぎまわって写真を撮っている人たちを見て、俺の足が重くなったことだけだ。
両親に、体調が悪くなった、といった。母はそのまま学校に残り、父は家に帰ろうと俺を促した。
けれど、俺は家に帰らなかった。そんな自分に対して、両親がどう思っているかは想像に難くない。
いつもなら母がサボるなと叱りつけてくるのに、今日に限って妙に甘ったるい目を向けてきた。
どれもこれも自分の虚無感を煽るようで、むしゃくしゃした。
からん、と入店のベルが鳴った。戯れにそちらに目をやった。窓の外を見ていても、心が沈むばかりであったから。
制服をした少女だった。しかも、今頃は入学式を執り行っているはずの、我が校の制服である。
買ったばかりであろう制服は、埃一つなく整えられていた。新一年生だろう。サボり先が被ったか、お互いに運が悪いな、などと思いながら、少々気まずいのでまたもや窓際に視線を移した。
頬杖をつき、ちょっと待て、と思った。
俺の入学する高校は相当偏差値が高いところだった。もちろんサボりなんてしない奴ばかり。
じゃああいつはなんだ。
悔しいことに少し気になってしまい、俺は彼女のことを意識した。
耳を澄ましてしまった。
平日であるし、元来静かな人が来ることが多いカフェだから、足音はよく目立った。
一人分だ。店員はついてきていない。サボりのくせして待ち合わせをしていたらしい。中々肝の太い奴だな、とやや感心する。
こと、こと、と足音が近づいてきた。いやおかしいぞ、ここら辺はほとんどお客がいない。自分くらいしか。
思わず足音の方に顔を向ける。女子生徒は涼しい顔をしていた。
そして彼女は、当然と言わんばかりの自然さで俺の目の前の席に座った。
大丈夫かこいつ。せめて相席の確認くらいはしてくれよ。常識が抜け落ちてんのか。
ぶつくさ心の中で文句を垂れて、その少女を見やった。彼女は息をすう、と吸った。
「市川弦也くんで合っていますか?」
冷淡、と言っていいほど静かで感情のない声だった。
「……」
ひとまず、無視した。個人情報を知らん奴に話すっていうのは、ちょっと怖いだろ。
女子生徒はしばらく沈黙したあと、唐突に聞いた。
「なぜヴァイオリンを辞めたのですか?」
無意識のうちに、睨みつけていた。
その一瞬で、こいつのことが大嫌いになった。もう関わり合いになりたくないと思った。ただ、居座られるのも嫌だ。
「……なんで、赤の他人のお前に話さなきゃいけねえんだよ」
「では、私が貴方と親しくなれば、教えてくれるということですか?」
面倒だから、なにも言わなかった。
「私は一条静乃。貴方と同じ一組の、貴方の後ろの席の人間です。これからどうぞ、よろしくお願いいたします」
「よろしくしねえよ」
「残念です」
瞬発的に返すと、全くそう思っていなさそうな顔と声でそう返された。冷めた目で一条と名乗った少女を眺める。
身長は平均以上だろうが、華奢に見える。髪型はややゆるい三つ編み。長さは胸前くらいまで。前髪はややかかり気味で、丸眼鏡をかけている。背筋を伸ばしていることからも、いかにも真面目と言った雰囲気の少女だ。
「……ではまず、私のことを知っていただこうと思います。私が貴方に興味を持ったきっかけでもお話ししましょうか。……中一のとき、たまたま動画を見ました。私は驚いたのです。私は音楽になど詳しくありません。素晴らしい演奏、心のこもった演奏は他にいくらでもあるのでしょうし、それら一つ一つが人を引きつける力を持っているのでしょう。しかし、私はあんなにヴァイオリンへの愛であふれた演奏は、聞いたことがなかったのです。そんな演奏をしている貴方の姿を、綺麗だと思いました。貴方の演奏は審査員にとって、優秀賞に値しないものであったのかもしれません。でも、私は好きだと思いました。だから、気になったのです。なぜヴァイオリンを辞めたのですか? なぜ音楽からは離れないのですか? なぜ音楽科に行かなかったのですか? なぜ、あんなに生き生きしていた貴方が、今死んだ目をしているのですか? 私は気になりました。貴方を知りたいと思いました。またヴァイオリンを手に取ってほしいわけではありません。ただ、そのわけを、知りたいのです。自分の根幹を成している半身ともいえるだろうヴァイオリンを手放したわけを」
先程、いかにも真面目そうだ、と思った。どちらかといえば大人しめな性格だろうか、と。
だが実際はどうだ。席を立ちあがり、ぐいと顔を近づけて真っ直ぐ目を合わせてくる。
そりゃあそうだ。なにせ彼女は入学式をすっぽかしてカフェに来るような変わり者。見た目通りの性格であれば、初対面の者相手に突然質問を投げかけてきたりはしないのだ。
華奢で、静かで、これといった強い個性がない第一印象。
そこから繰り出される、好奇心の化け物みたいなギラギラした目。
この際、トラウマを抉り、傷口に塩を塗りたくったことは水に流そうじゃないか。関わり合いになりたくないと思ったが、それもあっさり手の平を返そう。
俺は、彼女の目を好きだと感じた。だからといってなにをする訳でもないが、それは認めてやろう。
自分に言い聞かせて気持ちの整理をつけると、一条と目を合わせた。彼女はやっと己の現状に気づいたらしく、すとんと席に着いた。
「……失礼いたしました」
やけに顔を下に向けている。なんだろうと訝しく思った。
非常識という今までの印象が先行していたせいで、それが頭を下げての謝罪だと気づくのに、やや時間を要した。
「……いや」
遅れたからなんの意味もないだろうが、それだけ発した。沈黙が続くのは嫌なので、ふと思いついたことを、そのまま続ける。
「今日、学校っていつまでだったか」
「おそらく十二時前ですが」
イマイチ考えていることの分からない顔と声。ぎらついていた目が、今は夜の海みたいに静かになっている。
それ以上話すこともなくなって、俺は黙った。さて、これからどうしよう。できればもう帰ってもらえるとありがたい。
「……あの」
「あ?」
「……明日、学校で話しかけてもよろしいでしょうか?」
予想外の言葉に、俺は面食らった。
変なところは遠慮がちなんだな。意外だ。だからといって面倒な人間関係なんざ築くつもりはないが。
「いやだけど」
嫌なことを思い出したせいで、多少声から熱が引いていたかもしれない。吐き捨てるようになったかもしれない。まあ、どうでもいい。
「……なぜですか?」
「人と関わるのが面倒くさいんだよ」
「……では、話しかけていいんですね。分かりました」
「お前話聞いてたか?」
「ええ」
それでその結論はおかしいだろと反論したかったが、そんな労力をかけてまで避けたい人でもなかったから、俺は沈黙して飲み物を口に含んだ。
多分、話しかけられることを避けるより、話を聞き流す方が楽だ。それに、一条という人間は、少々面白いかもしれない。
明日は憂鬱になってもサボらないようにしよう、となんとなく決めた。
一条は俺の無言を了解と思ったようで、厚かましくも飲み物の注文をした。
「それ、なんです?」
無視した。