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心穏やかでありますよーに

「ぜんぜん」


「そーだった? ももしおちゃんとねぎまちゃんも、聖母浜部、廊下まで取りに来てくれるって言ってたけど」


「忙しそーだった」


「だよな。食べさせる人いるしな」



自分で食事できない人もいる。そんな人には、一匙ずつ食べさせるのが介護士。


4R号室Aが臭わないことをミナトに確認しようと思ったけど、目の前のスクランブルエッグとほうれん草とシメジのソテーに失礼で、話題を控えた。


天堂さんは今日も元気に3人分くらいをぺろりと平らげる。



「シオリンがね、なんか、アプリ? ってゆーの作ってくれたの。すごいね、あの子」



ももしおは、アプリのiOS版を完成させて、天堂さんに見せたという。



「アイツはすごいです」



正直に伝えた。



「あれって、どーやるの? ダウンタウンして数字を書いて、メニューをクイックルがどーのすると、なんかなるって」



ツッコミどころ満載で、どう説明しようかと悩んでいると、年齢を問わないフェミニストミナトが対応してくれた。



「天堂さん、アイフォンですか? アンドロイドですか?」


「何それ。よく分かんない」



ジャーン、と効果音が聞こえそうな風に取り出されたのは、携帯電話だった。



「「……」」


「どーやってやるの?」



あのアプリ、携帯で使えるんだろーか。分からん。



「作った人に聞いてください」



逃げたし、ミナト。

やっぱここは、アナログなままでいーのかも。



「天堂さん、夜中に女の人の声が聞こえるって話、本当ですか?」



自動ドアに埃が詰まっているだけってことを教えてくれた天堂さんなら、単刀直入に答えてくれるかも。



「タバコ吸ってるだけ」



単刀すぎて分からん。


説明を聞いた。この施設はタバコ禁止。喫煙したい人は山を下りて門を出、敷地の外へ行かなければならない。徒歩2分。昼間はまだいい。しかし、冬の真夜中の徒歩2分は辛い。しかも、寒いところで喫煙した後、2分かけて建物に戻る。


で、夜勤の介護士は、こっそり、外の非常階段で喫煙。そのとき、電話をする人がいる。


そんなことだったん?



「施設職員には内緒ね。目黒さんだったら、見つけても、知らんふりしてくれそうだけど」



言い方からして、天堂さんが目黒さんを気に入ってると分かる。顔がいいってだけで75歳の熟女の心まで掴むのか。



「目黒さん、優しいんですか?」



ミナトみたいなタイプなんだろーか。



「メンドクサイんじゃない? この間なんて、『謹賀新年』の飾りつけるのやめた方がいいかなって訊いてくるのよ。ほら、ここって、ぽこぽこ亡くなる人がいるじゃない。喪中だとお正月、お祝いしないでしょ?」


「「そーですね」」



話が見えん。



「『謹賀新年』って書いた大きな板があってね、吊り下げて飾るの大変なの。飾るのメンドクサイから理由つけて、その板、捨てようとしてるんだよ。門松飾ってるくせに」


「「はははは」」



ミナトと2人で笑っておいた。







静かなBGMが流れる介護施設のロビーは、大正レトロな空間だった。じーさん&ばーさん、ご年配の方々が好みそう。


バイトを終えたオレに、10mほど離れたところで、巽さんはイスから立ち上がって深々とお辞儀をした。広い額に総白髪。アーガイル柄のセーター、コーデュロイのズボン。巽さんは、ゴルフ場にいそうな老紳士だった。


隣には、車椅子の巽奇稲田姫さんもいた。ももしお×ねぎまも一緒。


御礼を言われた後、ねぎまは話題を「指詰め坂」に誘導した。奇稲田姫さんはニコニコしたまま。話を聞いているのかどうかも怪しい。



「いえ、僕は聞いたことないです」



巽さんは言った。そして、奇稲田姫さんに確認する。



「ご先祖様のね、土地や。大事な大事な。木が枯れた」


「お母さん、今はその話じゃなくて」


「お山が泣いてるじゃん。木ぃ枯らして泣いてるじゃん。祠、動かしてしまって。ご先祖の土地、人に渡してしまって」


「すみません。母は認知症で」



話が通じない母親に、巽さんは困っている。



「祖父から、ここは巽さんの土地だって聞いてます」



ももしおもやや困った顔で、巽さんと奇稲田姫さんを見た。

すると奇稲田姫さんは、ニコニコ顔になって、ももしおを見つめる。



「ゆつめ坂、一緒に行こ。あの2人お似合いだべ」



ぱっと、ねぎまは奇稲田姫さんの正面に出た。



「ゆつめ坂ってどこですか?」



あまりの素早さに引く。



「祠行く道。あ、ああ。お父様との約束だったべ。言っちゃいけない。ごめんなさい。ごめんなさい。祠動かしてしまって。ごめんなさい。お山を悲しませてごめんなさい」



一転、奇稲田姫さんは誰にというのでもなく謝り始めた。



「お母さん、ご先祖様の土地は手放してないよ。ちょっと貸してるだけ。祠は、元の場所に戻したよ。ご先祖様の最初のところに」



巽さんが宥める。



「祠は2つ。江戸時代の地震で2つに増えたべ」


「え。お母さん、どうした? そんなはっきりした喋り方」


「1つは、昔々は御神木だった木の近くにあった」



巽さんは奇稲田姫さんの前にひざまづいて、真剣な表情になった。



「お母さんが狂ったように『ここ』って言ったとこに移したよ。毎晩のように家を抜け出して行った場所に」


「それが御神木の近く。あそこに、埋まってるべ。巽家のゆが詰まってるべ」



巽家の「ゆ」ってなんだろ。「ゆかりの物」ってことかな。家宝?



「お母さん、思い出した?」



巽さんは真剣に母親を見つめる。



「土地貸すのはいい。建物建てるために、なんで山削った。そのとき、もう1この祠動かしたべ。ご先祖様に申し訳ない。山が枯れたじゃん」



奇稲田姫さんの口調から、曖昧さが取れている。主語と述語がしっかりしてる。



「お母さん、巽家のゆって」



巽さんが聞くと、奇稲田姫さんは、再び「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返して、体を斜めにし、焦点の合わない目になった。


巽さん親子とは、そこでお別れした。巽さんは母親の車椅子を押しながら、エレベーターに消える。



「祠、2つあったんだね」



ねぎまは言った。オレは、追求する気分じゃなかった。

夢と(うつつ)を行ったり来たりしているような奇稲田姫さんは苦しそうで。


オレは、頂いた上品な菓子折りの袋をぶら下げて、ただ、奇稲田姫さんの心が穏やかであることを願った。



2人を見送っていると、転がる様に駆けてくる雪だるまを発見。血相を変えた天堂さんがエレベーターに滑り込む。


尋常じゃない様子に、何があったのか、天堂さんを待って聞くことにした。


エレベーターは4階で止まった。かなりの時間があり、天堂さんが降りてきた。



「どうしたんですか?」



ねぎまが尋ねると、「先に報告してくるね」と厨房へ転がる様に行ってしまった。


厨房は、普段着では入れない。ももしお×ねぎま、オレの3人で、厨房外の廊下で待つ。


やっと天堂さんが出てきた。



「クレームが来たの。そばアレルギーの人に、そば出しただろって」



大晦日の今日の昼のメニューは年越しそば。特別メニューで準備が大変なので、いつも11時に帰る天堂さんは、12時まで残業していた。まかないを食べていると、そばアレルギーの件でクレームの電話が来た。


うどんを準備したはずだったので、「ふざけるな」と天堂さんが4R号室Aへ謝罪を装って、調べに行った。



「そしたらあったの。ちゃんと用意したうどん。他の人が食べてて。ほら、証拠の写真も撮ってきたから」



天堂さんは携帯電話の小さな画面を見せてくれた。そこには、「神酒様 アレルギー対応のため、そばではなくうどんをご用意しました」と書かれた紙の写真があった。


「神酒」。左端が「ネ」。オレは、インスタに写り込んだ表を思い出す。



「間違えて、別の人んとこ置いちゃったんですね」



とねぎま。



「そーよ。ちゃんと確認しないでさ、クレーム入れてきて」



介護士は、食札を見て、その人の席の前に食事を置く。そのとき、食べるのに邪魔な食札を回収する。だから、介護士が間違えると、誰の分の食事なのかが分からなくなる。



「「天堂さん、かっこいー」」


「シオリン、マイマイ、ありがと。必死だったのよ。うどん食べ終わる前に行かなきゃって。行ったら、ぜんぜん違う人がうどん食べてるんだもん。三枝さんが。私、『お食事中失礼します』って、一人ずつ、丼の中身見たのよ」



オレたちの横を、丼をお盆に乗せた人が通っていく。



「うどん、届けてきます」



三枝さんが食べてしまったので、調理師がもう1つうどんを用意。すれ違う人に「よろしくお願いしまーす」と天堂さん。



「そばアレルギーは怖いですよね。食べなくてヨカッタです」



オレが言うと、



「ほんとほんと」



と、天堂さんはほっとした様子で厨房へ戻った。




建物から出ると、何かを燃やしている煙。

清掃員が燃やしていたのは、クリスマスツリーに使った木。各部屋に飾ったらしい。



「うっかりしてたら、もう大晦日でさ。どんど焼きでクリスマスツリー燃やすわけにいかないし、大急ぎで処分してんの」


「短冊?」



クリスマスツリーに水色の細長い紙を見つけて指差す。



「七夕と間違えてる人がいたんだな。はっはっは」



燃えていく短冊に、震える字で書かれていた言葉は「早く天国で会えますように」。喉の奥が苦しくなる。

第二次世界大戦を経験して、戦後の物がない時代を経て、長生きした最終章に願うことが、これ。

クリスマスを七夕と間違えるほどの認知症。頭がはっきりしていなくても、心はハッピーじゃない。死を願ってる。


名前は「すゑ」。


水色の紙が茶色で侵食され、炎で見えなくなるまで無言で眺めた。




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