奇稲田姫ってどう読むの?
自身を落ち着かせるために、静かに深呼吸した。
殺人リストと仮定して見てみる。
昨晩亡くなったのは、池田さん。
1番目の「シ」は「池」の三水偏なんじゃないのか?
2番目は、細かい横線が5本、2本目の横線から3本目の横線には縦の線、1番下に点か斜めの線。複雑。よー分らん。
3番目、空欄?
4番目「ネ」は示偏の苗字。
5番目「シ」は三水偏の苗字。
すでに4つの殺人が終わり、池田さんが5番目の被害者だった可能性もある。
ももしおから送られた写真を見た。写っている食札の名前を見ていく。
示偏の漢字から始まる苗字は、福田、神保、神酒。
三水偏の漢字から始まる苗字は、沖野、浅岡、浜田、河野、淀、池田。
ん? 食札を見ていて気づく。名前の間隔が文字数によって異なる。淀の左にスペースがある。表の3番目って、1文字の苗字かもしれない。
1文字名字は、淀、林、橘、巽。
「巽」の文字を見たとき、2番目の複雑な漢字は「巽」しかないと確信した。今日の暴走車椅子の老婆は「たつみさん」と呼ばれていた。入居者の110人弱の中に「たつみ」は4R号室Aの「巽」のみ。
「巽」。漢字1文字の名字だったら、左側にスペースがあるはず。巽さんの場合は、他と同じように名前の左端が見えている。
巽さんの名前は「奇稲田姫」だった。中国の方かな? 読めん。
「なー、ミナト。これ、なんて読む? きとうでんき?」
聞いてみた。
「くしなだひめ」
恥っ。きとうでんきとか言わなきゃヨカッタ。
「くしなだひめって、ヤマタノオロチの人?」
「それ」
へー。
巽奇稲田姫。なんてイカツイ名前。絶対に忘れない。
「巽さんがどうかしたの?」
とももしお。
「今日の車椅子で暴走してた人、たつみさんって呼ばれてた。奇稲田姫って名前なんだな。すげくね?」
「祖父のご近所さん。このアパート、巽さんとこだよ。介護施設も。施設には土地貸してるの。地主さん」
「へー」
「昔々は神社だったらしー。鎌倉時代だったっけ。忘れたけど。だから、奇稲田姫って神様の名前なのかも」
「すげー。鎌倉時代とか想像できねーんだけど」
博識のミナト先生が言うには、「巽」は南東を指す言葉らしい。鎌倉時代というから、鎌倉幕府とか、鎌倉時代にこの辺りを治めていた三浦氏の土地の南東のことを指す名字かもしれないと。(注:この小説はフィクションです)
由緒正しさがハンパない。
「宗哲君が助けたのって、巽さんとこのおばあちゃんだったんだね」
「……なー。巽さんが言ってた『指詰め坂の祟りって』なんか、すげー怖いんだけど。鎌倉時代からの祟りだったりして。落武者の霊とか出てくるんかな。マジ怖ぇ」
オレは自分の両腕を抱きしめる。
ねぎまが「それはない」と否定。なんで?
「指を詰めるって暴力団の文化でしょ? 暴力団って江戸時代にはなかったと思う。江戸時代にあったとすれば、遊女達の約束の指切り。だったら、指切り坂って言うんじゃないかな」
「こんな感じ。『………た、た、……たりだべ。ゆ…つめ……ざかの……たりだべ』」
リアルに再現した。自分がされたように、ミナトの両腕を掴んで。カッと目を見開く。
頭の中には、数百本の血まみれ小指がころころと坂道を転がって、坂が、流れる血で真っ赤に染まる光景が広がる。同時に介護施設から帰るときに濡れていた坂道の感触を思い出す。
実演して再認識。指詰めなんて言ってない。
別の祟り? それも怖いって。
あれ? オレ、何考えてたんだっけ。そーだ! 「巽」が漢字1文字の苗字なのに、インスタの目黒恋のパソコン画面では、左の方に余白がないこと。
他の漢字1文字名字、淀、林、橘を見てみた。淀太郎と林美智子と橘すゑ。敬称略。
多くの人は、苗字2文字、名前2文字。苗字と名前を、表の1つの枠に入力して中央に揃えて配置していたとしたら、淀太郎と橘すゑには左の方に空欄ができる。巽奇稲田姫は空欄ができない。
そこから考えると、表の3番目、文字が見えていない欄に入る可能性があるのは、3文字の、淀太郎と橘すゑ。もう1人いた。寺井源。
ちょっと考えている隙に、ねぎまが野放しになっていた。目の前で、ももしおに言いよる。その姿にオレの頭の中で警報がふぁんふぁん鳴る。
「ねぇシオリン。巽奇稲田姫さんに面会ってできる? いろいろお話し窺いたいんだけど」
「祖父から巽さんとこに頼めると思う。でも、認知症だよ。認知症が酷くなって、家の人が困り果てたから施設にお願いすることになったって聞いてる」
「じゃ、巽さんのお家の人に聞きたいな」
「ん。ちょっと待って」
ももしおは、即電話。あまりの素早さにびっくり。
しばらくすると、ももしおのスマホに祖父からの電話があった。
「明後日、施設に来てくださるって。そのとき、一緒に巽奇稲田姫おばーちゃんに面会しましょうって。あと、宗哲君に伝言。ありがとうって」
「ありがと、シオリン」
百田家はレスポンスが激早。
「今日の暴走車椅子のこと、もう、ももしおのじーちゃんまで知ってんの?」
「施設から巽さんとこに連絡が入って、巽さんが祖父んとこにお礼に来たんだって。大根持って。宗哲君に直で、助けてくれたお礼を言いたいってことだから、1階ロビーに宗哲君を連れてくことんなったよ」
「そんな大袈裟な」
「行こーよ、宗哲クン」
ねぎまはノリノリ。インタビューする気満々。
ミナトはバイトの後、ライブのリハーサルがあるから、3人で巽さんに会うことになった。
「んじゃ、そーゆーことで」
ももしおは、オレンジ色の毛糸の帽子を被る。帽子の天辺と長い耳当てについたぼんぼんを揺らしながら、訳のわからない歌を歌う。
「もーいくつ寝ると、大納会♪
損益通算忘れずに
来年爆益祈りましょー♪」
「じゃね。ミナト君、宗哲クン」
部屋のドアが閉まり、歌声がフェイドアウトしていった。
「ミナト」
オレはミナトに、目黒恋のインスタ写真を見せた。施設名の検索で出てきた。
「これが?」
「ここ。KILL LISTじゃね?」
「KILL LIST?」
ミナトは画面を拡大する。
オレは、最初の「シ」は池田さん、次は巽さん、3番目は3文字の氏名、4番目の「ネ」は示偏の漢字から始まる苗字、4番目は、5番目の「シ」は三水偏の漢字から始まる苗字、と自分が考えたことを話した。
「宗哲、これ、2番目、巽でほぼ確。でも、最初の名前が池田さんって決まってないじゃん。殺人リストって決めるのは、ちょっと」
「それは分かってる。なんかさ、車椅子で暴走してた巽さん、すっげー怯えて見えたから。実は、怖い思いしたのかなって。震えてた」
「んー。おばあさんって、震えてる人、いない? でも、すっげースピードだったんだろ?」
「うん。逃げてたんじゃないかな」
「逃げる?」
「殺されそうンなったとか」
「怖い思いしてても、人に説明できないもんな」
「認知症だし」
「説明しても『認知症だから』って真剣に聞いてもらえない」
「んー」
「でもさ、宗哲。もし目黒さんがヤバいヤツだったとして、仕事のパソコンで、そんなデータ開くっけ?」
「そっか」
そんな危ないことするって、抜けすぎ。
「……。席によるかも。後ろに人がいないとか。この写真は突然撮られた風じゃん?」
KILL LISTと決めるのは早いと言いつつ、ミナトは、可能性を高める。
「さすがに事務所の席の位置までは確認できねーし」
事務所から1階エレベーターが見えるようにガラスの窓がある。が、そこは配膳車を乗せるときに通り過ぎる場所。窓から覗いて席の確認をする、なんて不自然なことはできない。
「これ、2人には黙ってた方がいーんじゃね? ねぎまちゃんが聞いたら、首突っ込みそ」
「うん」
それ、絶対。
「目黒さんのこと、ももしおちゃんが気に入ってるしさ」
まったくしょーがないヤツ。イケメンだったら見境いなし。マジで殺人鬼だったらどーすんだよ。
翌日、昼。
ももしお×ねぎまは、なかなか部屋に姿を現さなかった。何やってんだろ。ま、課題捗るからいーんだけど。もっと捗ったのはゲームかな。
コンコン
「うぃっす」
ノックの後、ねぎまが顔を覗かせた。ももしおも昼ごはんを持って登場。同時に、隣の部屋から聞こえていたバイオリンの音が止み、ミナトも合流。
「事故があったの。その話しててちょっと遅くなっちゃって」
とねぎま。
転落事故。4階のベランダから車椅子が落っこちた。ちょっと待った。車椅子は1階の玄関部分の屋根まで落下して背もたれ部分が歪んだ。もし人が乗っていたら、重体か即死だっただろうとのこと。
「おかしーじゃん。車椅子って、ベランダの柵より低いじゃん。持ち上げて落とした? じーさん&ばーさんにそんな力なくね? それともやったの介護士?」
「柵、壊れてたんだって」
「ねぎまちゃん。ベランダって危ないから、入居者さんを出さないと思けど。柵壊れてるなら特に」
ミナトの言う通り。
「勝手に出ちゃったの。ケアしきれないと思う。事故があったのは、橘さんの個室のベランダだったし」
橘さん?
「え、誰って?」
オレは再確認。
「4R号室Aの橘さん」
氏名で3文字「橘すゑ」。
表の枠に入力したとき、4文字の氏名より、左がわの余白が大きくなる。
ミナトとオレは視線を送り合った。
12月28日 深夜 4R号室 池田さん死亡
12月29日 4R号室 巽奇稲田姫さん車椅子暴走
12月30日 4R号室 橘すゑさん車椅子落下
表の1番目 シ
表の2番目 恐らく「巽」の文字の左端
表の3番目 空欄
表の4番目 ネ
表の5番目 シ