第1目的だけでいーじゃん
「オレは警察へ行きたくない。被害者って訴えるには、データ漏洩について話すことになる。会社に裁判を起こされたら、億じゃ効かない」
多額の賠償金を請求され、一生払い続けることになるかもしれない。もちろん、もう製薬業界では仕事できないだろう。
自業自得。
青ざめる元同僚を見て、つい本音が漏れた。
「だから帰ろうって言ったのに」
思いっきり厄介ごと。
聞かされた今、聖母浜部は聖母じゃなくサイコパス。元同僚はただの犯罪者。超々関わりたくない。
「黙っててくれ。頼む。自首なんて考えるな。会社にはバレてない。あいつらはプロだ。な。な。大丈夫だって。浜部さんだって、データ漏洩に加担した。賠償金請求されたらどうする? 終わるぞ。会社には世界トップの弁護士が揃ってる。実刑と金がダブルだぞ?」
大手製薬会社はグローバル企業。訴訟に備えて最強の弁護士を揃えているはず。
「介護施設での自分の罪しか話すつもりはありません。私は……まず離婚して、夫に迷惑がかからない状態にしてから、自首するつもりです」
考えを曲げない聖母浜部に、元同僚は提案した。
「離婚する予定だったなら、いっそのこと、オレと一晩過ごしてたって、旦那に連絡しろよ。そしたら、警察はすぐに帰る」
めっちゃシンプル。キモいけど。
警察が帰れば、ももしおは、少しは安全に塩酸を回収できる。
「分かりました」
聖母浜部は、バッグから自分のスマホを取り出した。
どのとき、聖母浜部の前にねぎまが跪き、スマホを持つ聖母浜部の手を両手で包んだ。
「その嘘だけはダメです。ご主人が傷つきます。浜部さんも傷つきます。絶対後悔します。後で取り消しても、たった一度の裏切られた傷の記憶で、元に戻れなくなっちゃいますよ。理屈じゃなくて、心が痛みを覚えているんです」
聖母浜部を見つめるねぎまは、神々しくすら見える。
オレはねぎまの言葉を心に刻んだ。
「……。とりあえず、主人に無事を連絡します」
聖母浜部の言葉に、ももしおが一言。
「それで警察、いなくなるかなー」
ももしおにとっては、濃塩酸の回収が第1目的だもんな。
「じゃ、オレはもう、帰っていい? 薬のことは黙秘でよろしく」
元同僚は、図々しくも逃げようとする。
「施設長が、私のこと疑ってます。もし、施設長が警察に私のこと喋ってたら、捕まる。そしたら、薬のことを調べられます」
そっか。目黒さん、聖母浜部のこと「素行不良」っつってた。あのとき、内容は教えてくれなかった。薬のことだったんだ。そうだよな。目黒さんは介護施設の医師。
「やっぱり」と心のどこかで納得する。
「マズいな。同じチームだったオレも調べられる」
元同僚は、ドライブレコードに記録が残らないよう、車での接触を避けた。連絡は非通知。電話の発信記録すら残さないようにした。聖母浜部が何も言わなければ、ここから逃げれば助かる。
が、聖母浜部が警察に捕まってしまえば、捜査線上に出てくる。
薬に関しての情報漏洩がバレるかもしれない。データにアクセスしたIDは、ハッカーが登録した全く別のものらしい。しかし、スマホでの連絡の履歴を調べられれば終了。聖母浜部との連絡がなかったことになったとしても、黒い転職活動の詳細がバレる。さすがに就職活動を、最初から最後まで匿名でしないだろう。企業側の方も同じく。
考えられる可能性のパターンとして。
・警察が聖母浜部を逮捕した場合、元同僚の罪が明るみになる。
・聖母浜部の行方不明が解消されただけの場合、元同僚はセーフ。
・警察が聖母浜部を逮捕する前に、2人で自首すれば罪が軽くなる。
・聖母浜部の行方不明が解消され、離婚の後に自首した場合、元同僚はグレー。捜査方法次第。
ミナトは、旦那って存在に絶大な信頼を寄せる。
「だったら浜部さん、ご主人に連絡してください。ご主人に警察がどこまで把握しているのかを聞いて、相談してください」
オレは、元同僚の独白を聞くまで、旦那を疑っていた。だからなのか、真相を聞いた後でも、やっぱり、たった2時間程度で妻が帰宅しないことを職場に知らせたことが気になってしまう。
「電話を受けたとき、そばに警察がいたら?」
旦那案を遠ざけるために、思わず話に参加してしまった。傍観のつもりだったのに。
「施設長の目黒さんが警察に何も話してなくても、その電話で何かあるって思われちゃうね」
とももしお。
「施設長に聞けばいいんじゃね?」
とミナト。
ももしおは残念そうにしたくちびるを突き出す。
「私、目黒さんの携番知らないんだよねー。施設に電話するのはダメじゃん。全部の通話が録音されるもん」
介護施設内の電話は、厨房も含め、外線も内線も録音される。
「記録履歴録画。何をやっても足跡がつく。どーなってんだ、最近は」
元同僚が毒づくと、ねぎまがサラリと嫌味を返した。
「便利ですよ。疾しいことがなければ」
ねぎまとミナトは忘れてないか? 第1目的は、塩酸ってこと。
それにさ、聖母浜部はどのみち自首するつもり。話してることはまるっと、元同僚を有利にする方法。コイツ、罪の意識なさそうだし、協力したくねーよ。
「警察が周りにいても、目黒さんに会って、直で聞くのが1番安心じゃね? 目黒さんが警察に話してなければ、浜部さんがご主人に連絡する。話してたら、諦めて……自首」
ミナトがパターンを2通り考えた。
じゃ、もう終わる。今いる小屋と介護施設は徒歩12〜3分の距離。1時間後には全てが終わって出航できる。早く横浜に帰ろう。
安堵。
「じゃシオリン、行こ「ダメ!」」
はあ? ねぎまは軽く考えすぎる。オレが止めるしかない。
「犯罪者を匿ったら、それも犯罪だぞ。行かせない」
目黒さんが薬のことを警察に話していた場合、ねぎまは犯罪に協力した人間として逮捕される。行かせるわけにはいかない。
これは愛。オレの強い愛が伝わったと信じたとき、ももしおがほざいた。
「じゃ、宗哲君、行こ」
「なんで?」
「マイマイに行かせたくないんでしょ?」
ねぎまには行かせられない。こう出た場合の流れは、、、
「目黒さんに訊いてくる」
オレ。
「どーすんだよ宗哲。絶対ストーカーと思われて捕まるぞ」
おいミナト、「絶対」ってなんだよ。「絶対」って。そりゃオレは若干地味で、陽の風味少なめだけど。ミナトだって容疑者じゃん。
第1目的の塩酸の件も、新しいミッションも、警察の目を避けなければならない。
「海から行く?」
ねぎまが隠密ルートを提案した。介護施設が建つ山は海側まで続いている。船で海に面したところから入れば、山を伝って、門を通らずに介護施設に到着できる。
ねぎまとデートしたときに見つけた岸壁に船を係留しよう。
「正面玄関のドアから入れないよね。非常階段とこの扉の鍵を開けてもらっちゃお。奇稲田姫さんに」
ももしおは、さくっと奇稲田姫さんに連絡した。
ももしおは塩酸回収。
オレは目黒さんに会う。
ねぎまは、万が一のときにももしおを手助けできるよう、介護施設の門の近くで待機。
ミナトは小屋に残って、元同僚が聖母浜部に危害を加えないかを見張る。
目黒さんが薬のことを警察に伝えていなければ、聖母浜部を小屋に残して、元同僚と共に速やかに小屋を離れる。聖母浜部は旦那に連絡する。
伝えていれば、ミナトは1人で速やかに小屋を離れる。聖母浜部と元同僚は自首する。
たったったった
たったったった
ももしおとオレは船まで走った。早くしないと警察官が増殖する。
「低気圧が来てる」
「降りそうだよな」
オレはどんよりと暗くなった空を見上げる。
「危険」
????
なんで低気圧が? でもまあ、ももしおが訳分かんないのはいつものこと。たとえ、ももしおでも、1人より2人の方が心強い。
係留してあるロープを外し、2人で船に飛び乗った。
介護施設から海に続く山の下には、船を着岸させた。
岩場を登っていく。足場を確認しながら少しずつ登るオレの横で、ももしおは猿のようにぴょんぴょんと上へ到達。運動神経が動物レベルだよな。
山を進むときは用心した。警察が捜索している可能性があるから。
介護施設裏手に到着。枯れた針葉樹林の中を行く。道はない。
施設の窓から見えそうな、ショベルカーが停まっている辺りを避け、建物の外にある非常階段1階まで来た。屋内への扉は、通常、中から鍵がかけられている。
オートロックじゃね? どーすんだろ。
心配しながら4階まで上ると、扉の下にスリッパが挟まれていた。
「さすが。奇稲田姫さん」
ももしおと一緒に感謝する。
これができるって、認知症は完治してると思う。
エレベーターホール以外は監視カメラがない。それでも、他の介護士に見つからないよう、足音を忍ばせる。
エレベーターホール横、階段に入る。2人で屋上に向かう。
「宗哲君は1階の事務所じゃないの?」
そう言われても、人目につかない方法にチャレンジしたい。事務所には施設職員が大勢いる。警察だっているかもしれない。
「一旦、屋上行ってみる」
屋上に到着。
ももしおは、屋外への扉を開けて出ていった。
オレは、帽子を目深に被り、監視カメラに、ちらっと後ろ姿が映るポジションをとる。危険な賭け。目黒恋が気づいてくれる可能性は僅か。
警察も聖母浜部の旦那も来ている。すぐに対応できるよう、施設長の目黒さんは、事務所に待機しているだろう。忙しない状況、デスクワークに没頭せず、監視カメラにもちらちらと視線を運んでいるに違いない。




