副作用
密着した男女が小屋に消えた。女の方はふらふら。って、犯罪の臭いしかしない。
旦那が犯人だと仮定する。
昨日17時過ぎ、旦那は、仕事が終わった聖母浜部と介護施設の門の前で待ち合わせた。ドライブレコーダーに記録を残さないよう、徒歩。
何らかの方法で、聖母浜部をふらふらにし、連れ去った。ももしお×ねぎまが見た建物に連れ込み、殺害。
20時ごろ、介護施設に「妻が帰らない」と電話した。
こう考える方が、自宅で妻の帰りを待ち、20時ぶ介護施設に連絡するパターンより、ずっとに自然l。
ももしお×ねぎまに案内されたのは、崩れそうなトタン屋根の小屋。漁師か土地の所有者が物置として使っていそうなクオリティ。小屋の脇には、ももしお×ねぎまが捨てた箱が見える。
嫌な唾が口の中に迫り上がる。ばくばくと心音が速くなる。
ミナトが走り出した。
「やめろっ」
追った。好きな人の死体なんて、見るな!
追いつけない。速っ。
ミナトは、性急に2度ノックしてドアを開けた。
「大丈夫ですかっ」
ミナトが小屋の中へ飛びこんでいく。
後に続いたオレは、床に転がる拘束された男女に驚いた。口にはガムテープ。
生きてる!
なぜ。ももしお×ねぎまが見たのは2人。なのに、2人とも拘束されているなんて。
2人は、聖母浜部と30代後半の男だった。
ガムテープを剥がす。プラスチック製の拘束具を切るものがなく、濃塩酸だか濃硝酸だかの空瓶を割って、刃物の代用をした。
拘束具を解いたのは、聖母浜部の方だけ。
2人とも冬のアウター姿で、着衣の乱れなし。
「警察に連絡します」
オレはスマホを取り出した。
「ダメ!」
それを止めたのは、聖母浜部だった。
「どうしてですか。まさか」
ミナトは、まだ拘束されたままの男を睨んだ。強姦の被害者は、被害届を出したがらない場合がある。いや、でも、男の方も拘束されてたし、着衣の乱れはないって。
この男は不倫相手? それとも、ストーカー?
「は、外してくれ」
拘束され、カーキー色のダウンを土色に汚したまま、芋虫のように動く男。顔の近くに銀縁メガネが転がっている。寒さの中で一晩過ごしたせいか、白い顔は青ざめ、唇は紫色。
聖母浜部も血の気のない顔で、寒さに震えている。
ぼっ
ねぎまが小屋に置かれていた石油ストーブに火をつけた。溶けるような温かさが広がる。
「私、警察に捕まる覚悟はしてる。でも、夫に迷惑をかけたくないの。だから、離婚してから」
ミナトは、憔悴した聖母浜部の背中を支えた。
「浜部さんは被害者側ですよ」
聖母浜部は、目を閉じて、小さな声を出した。
「ううん。加害者。加害者なの」
老人達に無認可の薬を投与した加害者。
ただ、今の状況は妙。拘束されていた2人ともが被害者に見える。
ももしお×ねぎまは、不倫だと思っているだろう。前日の夜、密着した男女が小屋に消えた。不貞行為をした聖母浜部は加害者で、された側の旦那が被害者。
ミナトは違うかもしれない。ミナトは聖母浜部を純然たる被害者と見ている。
「浜部さんをどーやってここへ連れてきた。無抵抗の女になにやったんだよ」
怖いよー。ミナトの雰囲気がいつもとちげーよー。
「薬で。ほんのちょっと嗅がせただけだって。オレは、何もしてない。誓う。取引したいのに意識飛ばしそうだったから、ちょっとは体をゆす……」
ドカッ!
「ひっ」
転がる男の横に力一杯足を下ろしたのは、ねぎまだった。
男は驚きに目を見開き、顔の横1cmの靴を見る。怖っ。男と一緒にオレも震えた。下半身の一部がぎゅっと縮こまる。
「シャーラップ」
帰国子女のねぎまは、興奮するとインド訛りの英語を発する。
止めなきゃ。男の命が終わる。
「プライベートには踏み込みません。ここでお二人を自由にするだけでよければ、帰ります。警察にも届けません」
オレは平凡で平穏な生活を愛する男。大人に任せようと提案した。
聖母浜部は生きていた。最悪の事態を避けられただけで、もう十分。これで、ねぎまがオレから去ることはない。
「それで、問題が解決するんですか? また、狙われるんじゃないですか?」
物申したのはねぎまだった。
くっ。これ以上、関わりたくないのに。
見れば、いかにも正義感に溢れた真剣な表情。けどさ、オレには分かる。瞳の奥深くで好奇心の炎が激っていることが。ねぎまは単に、2人とも拘束されていた理由を知りたいだけ。
「外してくれよ。もういいだろ。……オレは被害者だよぉぉぉ。あいつらが悪いんだ。データ盗って、オレらにこんなことしてったんだよぉぉぉ」
男は半泣き。
「「データ?」」「あいつら?」
ももしお×ねぎま、ミナトの3人は首を傾げた。
察しはつく。聖母浜部は元製薬会社の社員。薬に関してのデータだろう。4R号室Aの排泄物が臭わないことと関係あるかもしれない。
そして、男の独白が始まってしまった。関わりたくない。知りたくない。オレは帰りたい。
男は、大手製薬会社の研究員。開発していたのは、排泄物の処理をしやすくする薬。開発チームは、社内で「うんこ部」と嘲笑されていた。
製薬会社の花形は癌治療薬や認知症治療薬、ワクチン開発だからしょうがない。
研究は順調だった。マウス、ウサギ、サル、ヒト。長い年月と資金が費やされ、やっと日の目を見る一歩手前で、研究開発は終了した。
薬ができたとして、利益が見込めないと判断された。
チームは解散。男は別の部署に異動。聖母浜部はこのとき退職した。
「え、浜部さんって薬屋さんだったんですか?」
ももしおの言い方だと、富山の薬売りを連想する。ちょっとちげーし。
男は浜部さんの元同僚だった。
元同僚に、別の製薬会社からコンタクトがあった。特許を目指す認知症新薬のデータを持ち出せば、破格の条件でポストを用意すると。しかし、その新薬の成果が疑問視された。
元同僚が黒い転職を諦めかけたとき、聖母浜部とばったり会った。そして、研究開発を中断した排泄物の薬には、認知症を治す副作用があるかもしれないと聞いた。
「え?」
ミナトは驚いて聖母浜部を見る。
「介護施設で、朝、味噌汁に薬を混入させてたの。そしたら、排泄物が変わるだけじゃなくて、認知症が改善されてた」
やっぱ、味噌汁だった。
聖母浜部が廊下との扉まで配膳車を取りに来てくれたのは、人に見られない場所で、味噌汁に薬を混入させるためだった。
聖母浜部が進んでオムツ交換をするのは、薬の効果を確認するためであり、なるべく他の人に排泄物の異常を悟られないためだった。
気が利くとか優しいとか誠実とかってのは、勘違い。
ももしお×ねぎまは、お互いに顔を見合わせ、どこか納得したような表情をしている。ももしおは排泄物が無臭ってことに気づいていたし、2人は、「なにかある」ことを察していた模様。
「ヤバい女だよ」
元同僚が口を開いた瞬間、ねぎまの目が変わる。
タン!
ねぎまが足を上げる前に、ももしおの足が床を鳴らした。さすがの反射神経。ねぎまと元同僚の間に下ろされたももしおの足は、元同僚の顔から5cm。
ありがとー、ももしお。ねぎまの足だったら、ヤツの顔が粉砕されてた。
排泄物の薬は、人間が服用する治験段階をクリアしていた。しかし、治験者は若い健常者。認知症の人はいない。
認知症への効果は、全くの想定外だった。棚からぼたもち。
世界的に高齢化が進む現代において、認知症治療薬は、製薬業界がシノギを削る金脈だった。
オレが感じた通り、聖母浜部について話してくれた4R号室Aの3人のじーさん&ばーさんは、認知症じゃなかったのか。普通に会話してたもんな。
黒い転職の企業は、排泄物の薬に興味を示した。海外の製薬会社らしい。
元同僚は、聖母浜部にデータを要求した。最初は金銭での取引を提案。聞き入れられなかったため、無認可の薬を老人達に投与した件で脅迫した。
「そーゆーデータって、会社にあるんじゃありませんか?」
ももしおが尋ねると、拘束されたままの元同僚が答えた。
「浜部さんは、薬と一緒にデータを持ち出してたんだ。肝心なとこだけ、会社のデータが消されてた。報告書は残ってなかった」
聖母浜部は、退職する際、文書をシュレッダーにかけた。データは、保存場所を変えてパスワードを設定した。
このことは、1年以上経った今も気づかれていない。多くの新薬の研究開発がされ、屍となる研究開発は数多。それらは忘れられる。
この小屋で元同僚が聖母浜部を説得していたとき、第三者に踏み込まれた。それは海外の企業から差し向けられた外国人。
結果、データを盗まれた。
大手製薬会社はセキュリティ対策をしている。そこへアクセスできたなら、ハッカー。産業スパイの類だろう。
聖母浜部が抵抗したため、2人とも拘束&置き去りとなった。
床もなく、隙間風だらけの小屋に置き去り。たまたま昨晩、1月にしては珍しく温かっただけ。通常だったら凍死してもおかしくない。ソイツは殺人未遂犯だ。
話を聞いて、元同僚の拘束を解いた。
弱そうだったってのもある。
「浜部さん、ご主人が介護施設にいらしてました。無事ってことだけでも連絡を。警察はストーカー事件と考えて、浜部さんを探してます」
ミナトが自分のスマホを差し出す。
元同僚の男は、「警察」と顔をしかめる。
たとえ中止となった研究であっても、その内容は企業に帰属する。
聖母浜部が薬やデータを持ち出したことも、元同僚がデータ漏洩を画策したことも犯罪。
認可されていない薬を人間に投与した聖母浜部の罪は更に重い。元同僚の方は、それをネタに脅迫した。




