こわれてた祠
ひび割れたアスファルト、伸びる雑草、森になりかけている田んぼはススキが稲に代わり、家主を失い手入れされていない家は葛に覆われている。
最後の家主である爺さんがいなくなって解体の相談がされる家の中が妙に居心地が悪く形見分けをさっさと貰って、外に抜け出した訳だが、外もすっかり変わってしまった。
よく連れて来られていた頃の記憶の中でここはもう少し輝いていた気がする。
高齢化によって消えつつあるここは、最寄り駅まで車で1時間弱、バスもそろそろ無くなるんじゃ無いかなんて言われているど田舎。お世話になった爺さんの大往生に付き合った後、最後の見納めにと遺産の始末をする親戚たちと一緒にここに来てみたが美しい幼少期の思い出が寂れたこの景色のせいで汚されてしまったような気がして切なくなってしまう。
そんな時背丈より伸びた枯れ木の向こうに神社が見えて年甲斐もなく駆け出してしまった。
昔は苦にもならなかった筈の道のりで息を切らせてしまう事に年齢を感じながらベンチ代わりの朽ちかけた丸太に腰をかける。
思わずタバコに伸ばした手を少し迷った後に止める。ここではタバコを吸っちゃダメなんだったよな。
笑いが溢れ、煙の代わりに土の匂いがする新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
既に朱色は残っておらず、木が剥き出しになった鳥居。緑に侵食され山に飲み込まれつつある石階段、柱が折れて傾いているのに賽銭箱だけは綺麗なお社。
懐かしさに思わず涙が出そうになる。
「相変わらずボロいなぁ」
爺さんが畑仕事をしている時は良くここに来ていた。
「お社ってこんなに小さかったのか」
広大な秘密基地であった神社は自分の体が大きくなったせいで随分とこじんまりとしたものになっていたが、それでも、子供頃からボロボロだったここは昔とあまり変わらないように感じられた。
鈴虫や蟋蟀の鳴き声が響く神社が春夏冬の長期休みにしか来たことの無かった自分には少し新鮮だが、暖かい木漏れ日と心地良い風は相変わらずだ。
服が汚れるのも気にせず丸太に寝転がり、あくびをこぼしながら伸びをして少し目を瞑り昔を懐かしむ。
「ひっ!だ、誰だおじさん!」
子供特有のキンキンと響く声が蝉時雨に負けない大きさで叩きつけられる。
うたた寝でもしてしまったのか日は登ってすっかり暑くなっていた。
お社の裏から怯えお隠すために威嚇する小動物のような態度でガキンチョが走り寄ってきた。
何処かで見たような顔だ。
「おお、このあたりでまだ子供に会えるとは、どこのお孫さんだ?それともひ孫かな?」
爺さんにひ孫を見せた姪っ子のことを思い出し宥めるように声をかけるが怒りは治らないらしい。
「ここは俺の秘密基地にするんだ!早く出てけ!」
少し怯えたように周りを見渡す子供は何かやましい事でもあったかの様に落ち着かない様子で噛みついてくる。
「ほう、ここを秘密基地にするとはお目が高いな。実はな、ここ昔俺の秘密基地だっただぜ?それに、爺さんや婆さんにこの神社は立ち入り禁止って言われなかったか?」
「そ、それは……」
当時から立ち入り禁止の神社を秘密基地にしていた自分の事を棚に上げていたずらっぽく言う。
「ま、冒険したくなる気持ちはよーくわかる。ここはめちゃくちゃそれっぽいよなぁ。結構生きて来たけどここまで雰囲気がある所なんて無かったぜ。でもなガキンチョ、あのお社はまじでボロボロで近寄っただけで壊れちまうかもしれねぇそれに巻き込まれたらマジで死んじまうかもしれねぇぞ!」
「っ!ご、ごめんなさい。ほんとに壊すつもりはなくて、その、木が倒れてたから、可哀想だと思って、えっとそれで直してあげようとしたんだけど、したんだけど、ボロボロになってて、あのちょっと崩れちゃったけど」
ちょっとした注意のつもりが途端に顔色を変えモゴモゴと言い訳を始めた子供に、脅し過ぎたかと後悔する。なんなら涙まで滲んでいた。
「いや、落ち着け、大丈夫だ。あのお社は元々傾いてたしちょっと崩れたくらいじゃ誰も怒らない。それに君が危ないから近づいちゃダメってだけだから、君が無事なら別に良いんだよ」
「で、でも、ほんとはちょっとじゃなくて、直そうとしたんだけど、元の形もわかんなくて……」
ついにグズグズと鼻を啜りだした子供の言葉に違和感を覚え、お社に目を向ける。
当然お社はさっきのままだ、なんならさっきより綺麗に見える。
それに、そんなに壊れたなら大きな音が出た筈だ、虫の声がうるさいとはいえ、流石に気付く。
違和感がある。
暑さのせいかジワリと汗が滲む。
唾を飲み込みながら、無意識のうちにタバコをポケットから出して咥える。
ライターを取り出し。止まる。
子供と目が会う。
「『た、タバコはダメだよ』」
背筋が泡立つ。
ポロリをタバコが落ちる。
まだ鼻を啜りながら落としたタバコを拾ってくれている子供が被るキャップは金ピカのヘラクレスオオカブトがプリントされた。お気に入りの帽子だ。
「『山で火をつけちゃダメってじいちゃんが……えっと』」
でも、爺さんは吸ってた。
手渡されたタバコを箱に戻しながら子供を見下ろし。
『「でも、爺さんは吸ってた」』
喉が渇く。目を瞑る。心臓がうるさい。
『「まあ、今日はやめとくか、それより」』
頭がくらくらする。
三十年前近い日アサヒーローの服を来た自分にそっくりな見覚えのある子供。そういえばその服を着てたらヒーローみたいに勇気が沸いたっけ?だからこんな見知らぬおっさんに注意できた。
『「その壊れちゃったのはアレか?」』
青く繁る草木の中、蝉の声に負けないように声を絞り出し、縋るように指差したお社に目を向けた少年は首を振る。
「『その建物じゃなくて、山の中のちっちゃいおうち……』」
そういえば立ち入りが禁止されてたのは神社じゃなくてその裏の山だ。
『「あの祠か」』
手作り感のある石を積み上げた台の上の祠が無事だったのは俺も見たことがない。
だって最初から壊れていたから。
「『そう、ほこら……』」
この後は確か……
『「あ〜、あの祠壊しちゃったの?」』
だから、少し声が震えていたのか。
『「それじゃもうダメだ」』
自分の意思で声を出しているというより、夢の中で勝手に自分が喋っているみたいだ。
『「君たぶん死ぬ」』
落ちてきたデカい枝に潰されて、ほとんど壊れてた祠から枝をとってあげようとしただけなのになんでこんなこと言われなきゃならないんだろうな?
「『えっ……』」
驚いて、青くなる。
こんな顔してたのか俺は……
『「ははっ、冗談だよ、大丈夫」』
そう君は大丈夫だ。
「『うそ…?』」
何せ、今俺が生きてる。
『「そうだよ!少し脅かそうと思ってね。ククッ」』
笑えているだろうか?
「『だましたな!』」
俺は思ったより演技が上手かったな。
『「すまんすまん。代わり祠は片付けておいてあげるよ」』
少しバツの悪そうな顔になり唇を尖らせながら不満気に頷く子供の俺の肩に手をのせ目を合わせる。
『「この秘密基地は君に譲ろう。ここは安全だ。でも山には入っちゃダメだ。祠を確認しに行くのもダメ。絶対だ」
ゴクリと唾を飲み込んで真面目そうに頷くのをみて、ぽんぽんと頭を撫でる。
『「じゃ、今日は帰りな。それからしっかりとお父さんとお母さんに今日のことを話すこと。大丈夫、反省してたら、そんなに叱られない」』
これも嘘だったな……
「『え〜どうしても?』」
でも変えるべきではないよなぁ……
『「あぁ〜、叱られたらじいちゃんに助けてくれたおじさんが、俺が大丈夫だったからたぶん大丈夫なんだと思う、って言ってたって言えば、2人を説得してくれるさ」』
なんでじいちゃんはわかったんだろうか?
「『わかった』」
木が朽ちた臭いがした。
さっき貰った形見分けの数珠が震えている。
『「ほら行った行った」』
逃げるように走り去る俺の背中が石階段ごと森に呑まれていく。
跡形も無く潰れたお社の向こうに昔よりもはっきりとした獣道が続いている。
『大人になったらお前が祠を直さにゃならん。その時はお社の前の賽銭箱を探すと良い。しかし、決して放置してはならん』だったか?
他にも何か言ってたな、思い出さないと……
マジで爺さん何者だったんだよ……