さらば青春の日常
人の耳が体を離れて飛んでいく瞬間、というのを、中村大翔は初めて見た。本体から離れて耳介だけが飛ぶ姿は妙に綺麗な作り物のようで、大翔はぼんやりと阿呆っぽくそれを見つめる。
現実を認識したのは、耳を飛ばされた男たちの絶叫が聞こえてきてからだ。そして転がってきた耳の匂い。耳は端が焼け焦げていて、わずかに蛋白質の焼ける時の、脂くさい匂いがした。
屈強な二人の男から耳を斬り飛ばしたのは、大翔の幼なじみだ。
小柄で大翔より頭ひとつ背が低く、いつも背中の半ばまで伸びたくせ毛のない艶やかな黒髪を風になびかせている。目が大きくて明らかな幼児顔の美形であるため、まるで人形が歩いているようだと学校の内外で評判になっている少女だ。
中身の性格は無口で無愛想、気を許した相手にしか話をしない。そして極めて大食らいで、近所に住む中村家に堂々とよく飯をたかりに来る。だが彼女は気を許した相手には優しく、決して大翔を傷つけはしない。
それが……今のこの状態では通用しないのだと、大翔は全身で思い知った。彼女は全く別のものに変貌してしまったのだ。
最上級のルビーのように濃い赤に光る瞳。もともと白い肌はさらに輝度を増し、頬に走る鳥の羽のような痣が鮮やかに浮かび上がる。黒かった髪は先端から赤く染まり、その半分がもう変色してしまっていた。
そして同じく赤く、指と同じくらいの長さまで伸びた爪は錬成されたばかりの刀のように鋭く尖っている。この爪が、先ほど男たちの耳を焼き切ったのだ。
「これが答えじゃ」
彼女──天馬灯は、化け物になってしまった。そのあまりの変貌振りを見て、今まで大翔たちを取り巻いていた軍人たちが、にわかに引き締まった表情で地に膝をついている。
「何故そうしたのか、聞かせていただいても?」
明るい金髪とすらりとした長身が特徴的な少尉が、灯に聞く。それからしばし、問答が続いた。周りの誰もが息をのみ、それを聞いている。
数分話してから、不意に会話は終わった。呆然と灯だったものが発する言葉を聞いていた大翔の前に、美しい炎の化身が近付いてきた。
「顔を上げよ、少年」
淡泊な声でそう言い放たれた瞬間、大翔は死を覚悟した。