ヴァルネラビリティ値
仮和明は検査したばかりだった。波越に紹介された村純という男性医師は機器の操作を行っていた。転入の身体測定にしては精密機器が並んでいる上、CT検査みたいなのを受けさせられたのである。
「説明しよう」
波越は仮和の前に腰掛けると穏やかな口調で語り出した。
「今回計測したのはヴァルネラ値というものです。正式名称はヴァルネラビリティ値。と言ってもなんだかよくわからないよね。ヴァルネラビリティというのは傷つきやすさという意味なんだけれど、その概念を数値化したんだよ。悲しみ、苦しみ、痛み、葛藤、衝動、切なさなどを経験し、乗り越え、忘れたり、消したりせず、それを抱えて生きていこうとする力のことよ。ここ向宇市でアナムネを現出させるためにも必要な値の一つ。だから、ことあるごとに計測しておく必要があるのね。アナムネにとって重要な指標なんだ。なにせ、ヴァルネ値が高いということは、夢を叶えられないということを意味する。傷つきやすいということは夢を叶えるに足る芯がないということと同義だから。繰り返すけれど、ここは夢を叶える場所だ。ヴァルネラ値をいかにして低くするか、それが課程やトレーニングに含まれているんだよ。ただ、ここが難しいところなんだが、ヴァルネラ値が低いからと言ってもアナムネを現出できるとは限らない。実際、君に言っていいだろう人であれば、清瀬はヴァルネラ値が一定の指標を下回っているのに現出しないんだ。清瀬自身の夢に対する精度がまだ未熟とか不鮮明とか、あるいは現出に対する恐怖心とかが関係しているんじゃないとも考えられる。君が見た畝摘のアナムネはまさに彼女の夢がいかに鮮明であるかの証明でもある。ひよっこどころか、卵の形のアナムネを現出させる生徒がいるのも良い例かも知れない。
いいかい、夢というのはね、純然と百%ごく当然として叶えられている状態を認識できるのは並大抵じゃないんだよ。常識が必ず邪魔をする。そんなことできっこない、無理だ、お前ができるわけないだろ、雑音さ。けれど人は励ましよりも非難に志向が強く動く。現にヴァルネラ値が良い見本になる。どんなに夢を願い、思っていてもある数値ギリギリ以下ならやはりまだ夢を信じ切れてないと思ってしまうんだよ。他でもない、自分自身がだよ」
ここまで一気に聞かされて、仮和明は理解をかみ砕くように、
「夢を数値化して現実にするってこと、でいいんですかね?」
慎重に訊いた。ディスプレイに氏名と数値があった。ヴァルネラビリティ値のランキングとでも見受けられるような表示だった。見知った名前があった。畝摘文。ヴァルネラビリティ値が上位ということは夢に対する確信とか自信とかゆるぎなさとかが顕著なのだろう。
「そう」
いとも簡単に波越が答えるため、どこか拍子抜けになりそうにもなるが、
「そんな簡単に夢がかなうんですかね?」
そもそも論的な疑問が浮かぶ。
「だから、貴廂の天蓋があるんだよ。君のお父さんの発案、いやあれはもはや思い付きでしかないんだが、それがあったからこそ。はじめはヴァーチャル・リアリティだとか言ってて、とはいえ、それだとゴーグル付けてリモコン持ってだから『ジョジョ』のスタンドに近くないし、ヴァーチャルの中の物は単にプログラムでしかないし、現実の物をヴァーチャルの中にもって入れないのは何かイメージと違うからとか言い出して、それならARはどうだとかもう私たちは彼のインスピレーションに振り回されっぱなしだったわ。さすがにもう無理と思っていた時に、シンギュラリティ、すなわち技術特異通過点があったのよね、おかげで可能になったわけさ」
やはりむつかしい顔をしながら、波越の説明を一生懸命に咀嚼しながら、
「父さんが企画して、試行錯誤したら貴廂の天蓋とやらが発明できて、それのおかげでアナムネとして夢が結実している、と?」
自分が理解している範疇を恐る恐る確認する。