建国式典 ②
◆◇ 第二十八章 ② ◆◇
呼吸さえも聞こえてしまいそうな静寂な空間の中、フェリシアは目を開いた。
あれ?
私、今、寝ているよね?
見覚えのない天井に豪華なシャンデリア。
ココはドコ?
フェリシアは仰向けのまま目だけを動かし様子を伺うと読書をしているマティアスを捉えた。
慌てて目を閉じたフェリシアは混乱した頭を整理するためにたぬき寝入りをした。
ちょっと待って、マティアス様がなぜいるのかしら?
ここは王宮での私の私室よね?
フェリシア、一旦落ち着きましょ。
フェリシアは自分に言い聞かせマティアスに聞こえないように深呼吸をした。
そうだわ、マティアス様に呼ばれて王妃様の庭園にいたのよ。
マティアス様が忘れ物を取りに戻っている間にジョシュア殿下が葡萄ジュースを持ってお見えになった。。。。
んー、その後が思い出せないわね。
フェリシアが眉間にシワを寄せていると頬の近くがほんわか暖かく感じた。
「おはよう、フェリシア。」
声に反応して目を開けるとマティアスがフェリシアの顔を覗き込んでいた。
「キャッ」
フェリシアは悲鳴をあげると掛けられていた毛布を引っ張り頭まで覆った。
廊下で待機していたルーファスとダレルは悲鳴を聞くと扉を叩いた。
「どうしましたか?」
ルーファスが声をかけるとマティアスは室内からエミリーを呼ぶよう依頼した。
マティアスは毛布で顔を隠しているフェリシアにエミリーが来ることを伝え部屋を出た。
程なくエミリーがやって来た。
「フェリシア様、エミリーでございます。」
フェリシアはまだ毛布をすっぽり被ったままだった。
「フェリシア様、大丈夫ですよ。どなたもいらっしゃいませんから。」
エミリーの声に安心したフェリシアは少しだけ毛布から顔を出しキョロキョロ見渡した。
「私しかおりませんのでご安心くださいませ。」
エミリーはフェリシアを起こすとまずお茶を出した。
フェリシアは魂を抜かれたような顔をして座り直してから熱いお茶で頭をスッキリさせようとした。
「ねぇ、エミリー 私、死にたいくらい恥ずかしいことをしたと思うの。知っていることを話してちょうだい。」
フェリシアのお願いにエミリーはフェリシアの身支度を整えながら話し始めた。
人を呼んで来るからと東屋を離れたジョシュアは王妃ヘレナの部屋に駆け込んだ。
事情を聞いたヘレナは言いたいことがあったようだが取り急ぎチェスター領で一緒だったエミリーを東屋へ行かせた。
ジョシュアは膝掛けを持ちエミリーはお水やタオルを用意して二人でフェリシアの元へ急いだ。
エミリーたちが東屋へ行くとフェリシアはマティアスに抱かれて気持ちよさそうに寝ていた。
マティアスはもう少しこのままでいたいとのことだったので、エミリーはフェリシアの私室を整えるために東屋を後にした。
しばらくしてマティアスがフェリシアを抱いてこの部屋にやって来た。
フェリシアをソファに寝かせると、気の利くエミリーは苦しいだろうからと下着を緩くしてくれていた。
そしてフェリシアは気持ちよく眠り続けたのだった。
「私、具合悪かったわけじゃないわよね?記憶がないわ。 結局。。。ジョシュア殿下が持参した葡萄ジュースが原因だったのかしら?」
フェリシアはエミリーに聞こえるように自問自答した。
「ジョシュア殿下がお持ちになられたのは王妃様のお気に入りのワインですね。」
「お、お酒だったの? 」
「はい、ただジョシュア殿下は本当にジュースだと思っていらっしゃったみたいです。」
「・・・・私、酔っ払って寝てたってこと? は、恥ずかしすぎるわ!」
「聞いたところ変な行動はなさっていませんので心配御無用ですよ。」
「で、でも。。。。あぁ、穴があったら入りたいわ。」
フェリシアはまたやってしまった!と落ち込んだ。
「フフ、大丈夫ですよ。さぁ、終わりましたのでマティアス殿下をお呼びいたしますね。」
エミリーは廊下に出ようとしたがフェリシアに止められた。
「ちょっと待って。」
思わずエミリーの腕を掴んでしまったフェリシアだった。
「私、どんな顔をして会えばいいの?」
エミリーはフェリシアの手をさすりながら言った。
「何も心配はいりません。いつも通りでいいのですよ。フェリシア様は何も悪いことをしたわけではありませんので。」
エミリーはそう言い残すと廊下に出てマティアスに知らせた。
扉が開く音と同時にマティアスの声が聞こえた。
「フェリシア、もう大丈夫かい?」
フェリシアはソファに座ったまま固くなっていた。
なんて返事したらいいのかしら?
マティアスは返事を待たずにフェリシアの隣に腰掛けた。
ど、どうしましょう?
ずっとダンマリしている訳にはいかないし、
早く何か言わないと。。。
「ま、マティアス様。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
フェリシアは声を絞り出したがマティアスの反応はなかった。
フェリシアはもう一度声を出した。
「ご迷惑を。。。」
ここまで言うとマティアスはフェリシアを遮った。
「フェリシア、こっちを見て。」
フェリシアはビクッとすると背を向けたまま縮こまってしまった。
マティアスは笑いながら背後から両腕を伸ばしフェリシアの頬を両手で挟むとクイッと横に向けた。
マティアスは覗き込むようにして自分の顔を近づけた。
「さぁ、フェリシア、もう一度言って。」
諦めたフェリシアはマティアスの顔をチラチラ見ながら改めてお詫びした。
「マティアス様、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。」
「ん?フェリシアは俺に迷惑をかけたの?どんな迷惑?」
今にも泣き出しそうなフェリシアにマティアスは嬉しそうに聞いた。
「あ、あの、私ワインを飲みすぎてしまって。。。見苦しい姿をお見せしてしまいました。」
「確かにお酒は飲んだみたいだけど、迷惑は掛けられていないよ。フェリシアは楽しそうにしていただけさ。まぁ、たくさん飲んだようで最後は眠くなったしまったようだけどね。」
マティアスの話にフェリシアの耳は真っ赤に染まった。
「私、いつもマティアス様に醜態をお見せしてしまうようで。。。お恥ずかしい限りです。」
「恥ずかしくないさ。前にも言ったはずだよ。人間らしくていいじゃないか。」
「で、でも、、、、マティアス様、本当は私のことをお叱りになるつもりだったのではないですか?」
「その件は東屋で解決したよ。」
マティアスは微笑んでからフェリシアに後ろ姿を見せた。
「ほら、これ。仲直りの印でしょ?」
マティアスの髪にはフェリシアがプレゼントしたお揃いのリボンが結ばれていた。
「あっ、リボン。」
リボンを渡したことは思い出したが仲直りしたことはどうにも記憶が戻ってこない。
フェリシアの困った表情を見たマティアスは上着の内ポケットに手を入れた。
「お酒の飲み過ぎで覚えていないのかな?フフ、でも俺はフェリシアの本心と信じているからね。」
マティアスの「本心」と言う言葉に狼狽したフェリシアは何か思い出せないかそっと目を閉じた。
本心って。。。
私は何を言ってしまったのかしら?
んー 全く思い出せないわ。
そもそも、マティアス様が東家に戻って来たことすら記憶にないわ。
でも、あの雰囲気だと悪いことは言ってないみたいね。
フェリシアの顔が次第に険しくなっていく様子を見たマティアスは彼女の手を優しく握った。
「今、思い出そうとしているでしょ? 無理しないで。もし思い出して後から否定されたら俺は礼拝堂の鐘楼から飛び降りてしまうかもしれないからね。」
にこやかな顔で恐ろしいことを口にするマティアスに焦ったフェリシアは手繰り寄せていた記憶の糸をスパッと切った。
そして、どう答えていいのか分からずモジモジしているとマティアスはさっき内ポケットから取り出した小さな箱をフェリシアの目の前に出した。
ピンクのリボンが結ばれた小さく可愛らしい箱だ。
「今度は俺からの仲直りの贈り物だよ。開けてごらん。」
フェリシアは戸惑いながらマティアスの掌にちょこんと乗せられた箱を取った。
リボンを解き蓋を取るとフェリシアは歓喜の表情が溢れた。
「わぁ、これ、一緒に行ったお店で一目惚れした指輪だわ! ずっと欲しいなと思っていたんです。」
小さなダイヤモンドが星型に並べられている指輪、デザインはどちらかといえばカジュアルな感じだがダイヤモンドの輝きは特級品を表していた。
「本当に素敵だわ。」
そう言いながらフェリシアは指輪を自分の指にはめようとした。
するとサッとマティアスの手が伸びフェリシアから指輪を奪った。
キョトンとしてるフェリシアの左手を取り薬指に指輪をはめようとした。
フェリシアは「あっ」という顔をするとマティアスは薬指の爪先にかけた指輪を少しずつ滑らした。
「前に一人で思い込まないで何でも話そうねって約束したのにお互いに忘れちゃったみたいだね。」
そんなこともあったなとすぐに思い出したフェリシアはマティアスの顔を見て小さく頷いた。
マティアスは続けた。
「だからまた何か満たされない気持ちになったらこの指輪を見て今日のことを思い出してくれる?」
言い終わると指輪がぴたりとはまり、マティアスはフェリシアの顔をチラッと見た。
フェリシアはわかりましたと返事をする代わりに大きく頷いた。
そして指輪がはまった手を顔の位置まで上げると嬉しそうに指輪を見つめた。
「気に入った?」
「えぇ、とっても。お父様におねだりしようかと思っていたんです。」
「それはよかった。」
「でも、不思議ですわ。サイズがぴったりだし、それよりもどうして私がこの指輪が気に入っていたのを知ったのですか?」
フェリシアは上から眺めたり下から眺めたりしながら聞いた。
「んー。魔法が使えるのかもしれないな。」
マティアスはフェリシアが喜ぶかもしれないと「魔法」という言葉を使ったが、予想に反してフェリシアは渋い顔をした。
慌てたマティアスはヘラヘラ笑いながら話題を変えた。
「ところで式典の日はどうしているの?」
フェリシアの気を引くために式典の話しを持ち出した。
「建国記念式典ですか?」
去年まではあまり深く考えたことはなかったフェリシアだった。
式典には王族、政務に携わっている者、貴族、そし近隣諸国からの国賓が出席する。
そして式典とは別に選ばれた婦人たちは公爵家主催の婦人会に参加するのが慣わしだ。
そういえば毎年どう過ごしていたかしら?
お母様には今年も招待状が届いていたからきっと婦人会参加よね。
当然お父様とお兄様は式典に出席だし。。。
「侯爵と兄上は式典参加、夫人は公爵家主催の婦人会だろ? 今年の主催はベネット公爵家だったかな?で、フェリシアは?」
マティアスに聞かれたが即答できなかった。
「それが毎年どう過ごしていたのかよく覚えていないのです。おそらく侍女とお祭りを見に行ったと思うのですけど。。。」
「今年はどうする?式典見たいと思わないかい?」
「はい、見たいですわ!」
マティアスは得意げな顔した。
「式典会場には入ることはできないけど、覗き見できる場所があるんだ。」
「覗き見ですか?」
フェリシアが困惑してるとマティアスは慌てて言い直した。
「まぁ、覗き見というか警備用の小窓があるんだ。そこからホールの全体が見渡せるんだ。休憩したい時は王族用の控え室を使うといいよ。」
「フフ、面白そうですね。」
「今度は強制的に決めたりしない。フェリシアが決めたらいいよ。」
「もちろん拝見したいですわ!」
フェリシアに見たくないという選択はなかった。
「わかった。後でダレルに話しておくよ。」
マティアスは満足そうにフェリシアを見つめた。
自分から会おうと言い出したマティアスだったが、実際フェリシアと向かい合うのにはかなりの勇気が必要だった。
もしかしたら不機嫌になってだんまりを決め込んでしまったかもしれない、、ひょっとしたら帰ってしまったかもしれない。
そう思うと今日の思いも寄らない出来事は自分にとって都合がよかったのかもしれない。
と、考えるようになったマティアスだった。
東屋では後でジョシュアを懲らしめようと思っていたが今は怒るのは少しだけにしようと思った。
フェリシアが部屋から出ると廊下にはルーファスとダレルが立っていた。
マティアスから指輪をもらい前半の酔っ払った話しなど忘れかけいたフェリシアだったが、待機していた騎士二人の顔を見て恥ずかしいという気持ちが足の裏から頭まで猛スピードで駆け上がってきた。
ルーファスとダレルは心配そうにフェリシアの顔を見たが、それがまた耐えきれず両手で顔を隠した。
「あ、あの、お二人にご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。」
フェリシアは消え入りそうな声で謝った。
ダレルは何か言い掛けたがマティアスに止められた。
「フェリシア、大丈夫。二人とも何も気にしていないよ。」
マティアスはそう言いながらフェリシアの腰に手を回した。
あぁ、そうだったわ。
いつも最後に寄り添ってくれたのは
マティアス様だったわ。
少しだけマティアスに甘えることにしたフェリシアは頭を少しマティアスの肩に傾けた。
マティアスは腰に当てていた手を背中に移動させるとポンポンと二回叩いた。
それは何も心配しなくてもいいよと声をかけてくれているようだった。
フェリシアが馬車に乗ろうとした時、少し離れた柱の陰からジョシュアがこちらを見ているのに気づいた。
細かい表情はわからなかったが泣き出しそうなのは見て取れた。
フェリシアは周りに気づかれないように「大丈夫」の意味を込めて小さく手を振った。
「ん? どうした?」
マティアスはフェリシアの動きに気づいて声をかけた。
「あそこの木に可愛い鳥がいたんです。」
フェリシアはとぼけた。
帰りはいつものようにダレルが同乗した。
馬車は出発した。
ダレルはフェリシアの正面にならないように座るが今日はいつもより避けているように感じられた。
馬車に乗った時からずっと外を見ている。
フェリシアはダレルが何となくよそよそしいのは自分が悪酔いしたからに違いないと思った。
「ねぇ、ダレル。」
「はい。」
「私のこと見苦しいと思った?」
「いいえ。」
「酔ってて覚えていないの。私、ダレルに何かした? 不快に感じることした?」
ダレルはフェリシアに前髪を持ち上げられ傷跡を触られたことを思い出した。
そしてその時胸がざわついた記憶がよみがえり、今もなぜかドキッとし無意識に傷のある右目を手で覆ってしまった。
「特に何もされておりません。」
ダレルが右目を覆ったのを見たフェリシアは青ざめた。
「私、ダレルの右目に何かしたんじゃないのかしら?本当のことを言って。」
「紛らわして申し訳ございません。本当に何もされてません。」
「そう、よかった。私、マティアス様の前で恥ずかしい姿を見せるのは二度目なの。だから心配で。」
「フェリシア様、本当に大丈夫ですよ。ただお飲みになったお酒の量が少し多かっただけです。楽しそうにしていらしゃったので問題ありません。」
「信じるわ。今度から私が危なくなったらダレルあなたが止めてね。」
「はい、承知いたしました。」
「それと、少しよそよそしいのはなぜ?なんでずっと外を見てるの?」
「わ、私がですか?」
ダレルは口篭った。
フェリシア様、私がずっと外を見ているのは
傷跡を触れたあなたの指先の感触が忘れられないからですよ。
「フェリシア様の酔ったお姿を早く忘れるためですよ。綺麗な景色を見て上書きしていました。」
ダレルは冗談風に答えた。
「そ、そうなの?ならいいわ。早く抹消して。」
フェリシアは恥ずかしそうに言った。
ダレルはその様子を見てニコッと笑った。
フェリシア様、本当に早く忘れなければいけませんね。
でも、今日一日だけこの感情を噛みしめてもいいですか?
ダレルははにかんでるフェリシアを見ながら心なかでつぶやいた。




