恋煩い ②
◆◇ 第二十五章 ② ◆◇
「実はフェリシアに聞きたいことがある。」
「はい、何でしょうか。」
フェリシアは不思議そうな顔を演じたが内心は「いよいよきたわ」という気持ちだった。
「私の記憶ではあの日あの瞬間、天幕にいたのはフェリシアと侯爵夫人、そして私だ。マティアスは子供と一緒に庭で遊んでいた。」
フェリシアはアーサーの話を聞きながらうなづいた。
アーサーは続けた。
「突風が吹き幕が外れ、フェリシアがよろけて私にぶつかった。そして後ろに倒れる瞬間私は二人の令嬢の顔を見た。一人は フェリシアだ。単刀直入に聞く。もう一人の美しい令嬢は誰だ。」
フェリシアはアーサーに余裕の微笑みを返した。
「マデリン、マデリン ガーランドですわ。今年は一緒にバザーのお手伝いをいたしました。」
アーサーは「うっ」と一瞬顔を引いたがすぐに言い返してきた。
「フェリシアまで私を欺こうとするのか。」
「欺こうなんて。。。」
フェリシアは予想外の展開に焦りを感じた。
「どうせマティアスと口裏を合わせたのだろう。何故そんなにマデリン嬢の名前を出すのだ。」
「口裏など合わせておりません。本当にマデリンなのです。」
フェリシアは泣きたくなってしまった。
「まだ言うか。マティアスは頭を打って顔がわからなくなったのだろうと馬鹿にしたがマデリン嬢は一度会っているからわかるぞ。そもそもマデリン嬢はバサー会場にいなかったではないか。」
アーサーの顔色が少し青ざめてきた。
そのうち口から泡でも吐いて倒れるのではないかとフェリシアは心配になってきた。
「あぁ、王太子様、どうか落ち着いて私の話を聞いてくださいませ。」
フェリシアが懇願するとアーサーは黙ってお茶に口をつけるとソファの背もたれに背中をつけ小さなため息をついた。
これは話を聞いてくれる体制に違いないと判断したフェリシアはゆっくり話し始めた。
「王太子様がお見えになった時、マデリンがあの場にいなかったのは施設内の厨房で裏方の業務をしていた為です。私がお茶を運んだ時天幕近くまで手伝ってくれました。」
アーサーは足を組み顎に手を当て「ふーん」と言った感じで聞いていた。
フェリシアはアーサーの顔を見ながら話しを続けた。
「きっと幕が外れた時、まだ近くにいたのでしょう。幕を留めていた杭が緩んでいたのを見たと言っていました。」
アーサーは前のめりになりファリシアに顔を近づけ言った。
「なるほど、令嬢が何故突然飛び込んできたのは理解した。で、その令嬢が誰かということだ。」
フェリシアは少しだけイラッとした。
政務に関わる人たちはみんなこのような嫌な物言いをするのかと思った。
「マデリンはパルト滞在中私たちと一緒に児童園の手伝いをしていました。子供たちに刺繍を教えたのもマデリンです。とても忙しく食事を忘れることも度々あったそうです。なので。。。」
フェリシアはこの後どう表現しようか悩んだ。
「ん? 何故辞めるのだ。 続けよ。」
アーサーに急かされた。
「女性にとってとても繊細なことなので表現が難しいのですが、食事もせず忙しく動いていたらいつの間にか身軽になったのです。私も最初はびっくりしました。」
アーサーは腕を組んで少し考え込んでしまった。
「それにしても顔も変わっていなかったか?」
フェリシアは貴族令嬢らしく口角を上げて微笑んでいたが内心は全く違った。
んもうー
あれだけ痩せたのだから
頬の肉だって落ちるわよ!
顔形だって丸顔から綺麗な卵型になるわ!
自分だって食事を抜いていたくせにー
「王太子様、髪色、瞳の色は変わっていませんわ。それに声も。きっと声をお聞きになればマデリンだとおわかりになるはずです。」
アーサーはじっとフェリシアを見つめた。
「随分と自信があるようだな。」
「はい。私は事実しか申し上げておりません。」
アーサーは沈黙のまま腕を伸ばした。
何をするのかフェリシアはアーサーの手元を目で追っていると、その手は予備のティーカップを取り新しいお茶を注いだ。
誰か呼ぶのかしら?
フェリシアが疑問に思っているとアーサーが声を掛けてきた。
「冷めてしまっただろう? さぁ。」
ファリシアの目の前にアーサーが入れたお茶が置かれた。
アーサーは誰かを呼ぶのではなくフェリシアの為に新しいお茶を入れてくれたのだった。
「ありがとうございます。いただきます。」
フェリシアはリスティアル王国の王太子に入れてもらったお茶をありがたくいただいた。
「王太子様、すごく美味しいですわ。」
アーサーは茶菓子が並べられてる皿を差した。
「フェリシアの好きなお菓子と聞いた。好きなだけ食べていいぞ。」
極度の緊張のあまり気づかなかったがお皿の上にはフェリシアの大好物である『ルナ』の焼き菓子があった。
「あっ、ルナのお菓子だわ!」
フェリシアは遠慮しようかと思ったが本能には勝てずつい手を伸ばしてしまった。
久しぶりの『ルナ』のお菓子だわ。
嬉しい。
きっとマティアス様から聞いたのね。
フェリシアがモグモグ焼き菓子を頬張っているとアーサーが兄を通り越し父親のような表情をしてフェリシアを見つめた。
「そうやってお菓子を嬉しそうに食べてる姿はまるで子供だな。」
フェリシアはチラッとアーサーを見たがすぐ視線を焼き菓子に向けた。
もうすっかり慣れてしまいアーサーに何を言われても気にならなくなってしまった。
あら、また王太子様何かおっしゃっているわ。
でも、気にしない気にしない。
『ルナ』のお菓子が頂けるなら何を言われても平気だわ。
フェリシアが次はどのお菓子にしようか迷っていると再びアーサーが口を開いた。
「でも、フェリシアが熱湯を浴びなくて本当によかった。」
フェリシアはアーサーの意外な言葉にびっくりして喉にお菓子が詰まりそうになってしまった。
えっ?
王太子様が私を心配してくださっているの?
「何を驚いた顔をしてるんだ。」
「あっ、申し訳ありません。王太子様にご心配していただけるなんて。。。ありがとうございます。」
「家族になるのだから心配するのは当たり前だろ。」
ファリシアは思わず口元を手で覆った。
アーサーがそのように考えていたとは想像すらできなかったフェリシアはどう返していいのかわからずにいた。
「私の方こそ体当たりをしてしまって申し訳ございませんでした。咄嗟のことで避けられませんでした。」
「そんなことは理解している。あの状態では誰でもあのようになっただろう。私は男だから椅子から落ちても大したことはないが、フェリシアはまだまだ将来のある令嬢だからな。傷跡などない方がいいに決まっている。」
何故かフェリシアの胸はドキドキしてきた。
どうしたの、私?
何故ドキドキしてるの?
急に緊張したの?
「もし、私が熱湯を浴び火傷跡が残ったらマティアス様は私から離れてしまうのでしょうか。」
急に不安になったフェリシアは震える声でアーサーに尋ねた。
「それはないと思う。いや絶対にない。知っての通りマティアスは剣術馬鹿と言われているくらい剣術一筋で人のことなど全く興味がなかった。でもフェリシアに出会ってからのこの半年間で彼は随分変わったよ。たとえフェリシアが怪我をしようとも自分の側から離すことはないだろう。むしろ自分が一生守ると誓うはずだ。」
アーサーの言葉に胸がいっぱいになったフェリシアの目は次第に潤み、アーサーの顔が涙で見えづらくなってきた。
「あ、あの。。。。」
フェリシアは自分の気持ちを伝えようとしたが言葉が出なかった。
落ち着こうとすればするほど胸の奥底から込み上げてくるものがあった。
胸がキュンとなって声が出ないわ。
嬉しさ?
喜び?
マティアス様本人ではなくお兄様からこのようにおしゃってくださるなんて。。。
私は幸せ者ね。
「言葉にならなくて申し訳ありません。」
フェリシアの口からやっとでた言葉だった。
アーサーは気にする様子でもなくお茶を味わっていた。
気まずくなり下を向いていたフェリシアを黙って見つめていたアーサーは笑みをこぼした。
「『ルナ』のお菓子は王都で大人気でなかなか買えないらしいな。そんなに好きならそれら全部持ち帰っていいぞ。」
フェリシアはあまりにも予想外の言葉に驚いて顔をあげた。
アーサーはすぐに侍女を呼びお菓子を包んでフェリシアに渡すように指示した。
大好きな『ルナ』のお菓子を貰えることは本当に嬉しいことだが、逆にどう表現したらいいのかますますわからなくなってしまったフェリシアだった。
この短い時間で
色々な感情がぐるぐる駆け巡って
自分でも何が何だかわからなくなってきたわ。
アーサーはフェリシアが戸惑っていることに気づいたのかどうかわからないが、ゆっくり立ち上がると窓辺に立ちしばらく外を眺めていた。
腕をを後ろで組んだいたアーサーの背中は何か考えているようだった。
混乱していたフェリシアが落ち着きを取り戻した頃、外を見つめたままフェリシアに言った。
「で、連れて来れるのか?」
いつもアーサーの口調だった。
「はい?」
前触れもなく不意に聞かれアーサーの質問の意味が理解できなかったフェリシアは不躾な言い方をしてしまった。
「同じことを二度言わすな。」
あっ、いつもの王太子様に戻ったみたい。
あぁ、この声、この話し方、安心するわ。
やっぱりこう言う感じに話された方が
私には合っているのね。
これで私もいつもフェリシアになれるわ。
「はい、大丈夫ですわ。王太子様はマデリンにお会いしたいのですね。」
フェリシアも復活した。
「う、うるさい。まだ、マデリン嬢と決まった訳ではない。あの場にいた令嬢を連れて来れるかと確認したのだ。」
フェリシアは微笑んだ。
「はい、問題ございません。」
フェリシアはアーサーが少しだけ頬を緩ませたのを見逃さなかった。
これはなるべく早いうちにマデリンを合わせた方がいいと確信したフェリシアは提案した。
「マデリンと私は見習騎士お披露目会の日に王宮に参りますのでその時はいかがでしょうか。」
「お披露目会は来週だったか。」
「はい、そうです。」
「そうだな。そうしてくれ。」
「はい、かしこまりました。」
明らかに機嫌が良くなったアーサーは再びお茶を勧めた。
フェリシアはありがたくお茶をいただいた。
同じお茶なのにさっきより美味しく感じるわ。
達成感がそう感じさせるのかしら。
話が終わりフェリシアが退出しようとするとアーサーは慌てて言ってきた。
「当日は仰々しく構えなくていいからな。少し話をする程度と伝えてくれ。」
「はい、承知いたしました。」
まぁ。王太子様ったらマデリンに気を使わせないようにしたのね。
うふふ。
フェリシアの悪戯心に火がつくと扉を開ける前に振り返りアーサーの顔を見つめた。
「王太子様、最後に一つ質問してもよろしいでしょうか。」
アーサーは「なんだ?」と言う顔をしてフェリシからの問いを待った。
「王太子様はお食事の量が以前より少なくなったと殿下たちが心配したいましたわ。何か考え事でもあるのですか。」
アーサーは目を見開いて固まってしまった。
「い、医者から健康に気をつけろと言われたのだ。」
不意打ちを突かれたアーサーの額には大粒の汗が光っていた。
「本当にそれだけですか。チェスター領から戻られてから突然だと聞きました。」
「よ、余計なお世話だ。」
フェリシアは余裕だった。
「余計ではありませんわ。私は嬉しいのです。だって国の王太子という立場で拝見したら今の方が素敵ですわ。私のお義兄様になる方が眉目秀麗なんて自慢ですもの。」
うっ、この小娘はなんていうことを言ってのけるのだ!
アーサーは顔を真っ赤にしフェリシアの視線を避けるように室内の壁を見た。
こんな表情をするのは初めてだった。
「う、うるさい。もう話しは終わりだ。早く部屋から出て行きなさい。」
フェリシアが扉を開けるとマティアスが待っていた。
「まぁ、マティアス様!もしかしてずっとここで待っていてくれたのですか。」
「当然さ。」
マティアスはフェリシアの側に駆け寄り顔を見つめた。
「大丈夫だった? 少し目が赤いな。もしかして兄上に泣かされたのか?」
フェリシアは思いっきり首を振った。
そしてフェリシアが否定しようとする前にマティアスはアーサーに向かって言った。
「兄上、フェリシアに何をしたのですか。」
アーサーが部屋から出てきて涼しい顔をして否定した。
「私は何もしていないぞ。」
「何もしていないのなら涙を流しませんよ。」
マティアスは強い口調でアーサーに噛みついた。
「知らん。彼女が勝手に泣いただけだ。」
アーサーはアーサーでマティアスを突き放した。
「おやめください。マティアス様。」
フェリシアはマティアスの腕を掴んだ。
あーん、もうー
せっかく上手く終えることができたのに。
どうして最後の最後でこんな言い合いを始めちゃうのよ。
腕を掴まれたマティアスはフェリシアの顔を見た。
「本当に不快なことなどされていませんわ。むしろ逆なんです。」
大事になる前にこの場を鎮めなくてはとフェリシアは必死だった。
「逆?逆とはどう言うことだ?」
マティアスは眉間に皺を寄せた。
「私にとってとても感動的なことがあったので嬉しくて自然と涙が溢れてしまったのです。」
フェリシアの説明が理解できないマティアスは目をパチクリしていた。
「そういうことだ。」
アーサーは一言言うと部屋に戻った。冷たく言い放ったように見えたが扉の取手を握った時クスッと笑っていた。
二人は廊下に二人きりになった。
「フェリシア。。。。」
マティアスは声をかけたが言葉が続かなかった。
「マティアス様、行きましょう。」
フェリシアはマティアスを促した。
「あぁ、そうだな。どこか落ち着ける場所に行こう。」
「そうですね。そこで王太子様と話した内容をお話ししますね。」
フェリシアの言葉から問題ないであろうと察したマティアスだったが心配が完全に拭えた訳ではなかった。
「マティアス様、心配していただきありがとうございます。私は大丈夫ですし、王太子様ともきちんと話をしましたわ。」
釈然としない顔をしているマティアスを安心させる為フェリシアはいつもより少しだけ明るく声を出した。
「本当か?それはよかった。」
マティアスの顔に笑顔が戻った。
ふぅ〜よかったわ。
一時にはどうなるかと思ったけど
これで一安心ね。
邸に戻ったらマデリンに手紙を書かなくっちゃ。
「フェリシア、ご苦労だったね。」
マティアスが労おうとフェリシアを見た時彼女手が何かを持っていることに気づいた。
「フェリシア、今気づいたのだけど手に何を持っているんだい?」
フェリシアはとても嬉しそうに腕を上げ持っている物を見せた。
「私の大好きな『ルナ』のお菓子ですわ。お茶と一緒にだされたのですが、もっと食べなさいってお土産に包んでくれたのです。」
フェリシアがはち切れんばかりの笑顔で子供のように喜んでる姿を見たマティアスは今までに経験をしたことがない感情を覚えた。
あれ?俺はどうしたんだ?
フェリシアの好物が『ルナ』のお菓子なのは誰よりも知っているじゃないか。
そう、出会ってすぐ教えてもらい贈ったこともある。
今日だって兄上に聞かれて教えたのだから茶菓子としてだされたことぐらい想像つくさ。
でも、何なんだ?この変な気持ちは。。。。
胸の中からメラメラと熱いものが込み上げてくるような。。。
怒りか?いや違う。。。
まさか、嫉妬?
俺は兄上にヤキモチを妬いているのか?この俺が?
「そんなに嬉しいか?」
マティアスはぶっきらぼうに言った。
「はい! しばらく食べていなかったのですっごくおいしかったですわ。」
フェリシアはマティアスの気持ちに気づかずに元気に答えてしまった。
「そうか、よかったな。」
今度は明らかに口調が変わった。
誰が聞いても怒っているとしか思えない
さすがにフェリシアも気づいた。
あら?
私、怒らせちゃった?
フェリシアがどうしたらいいのか迷っているとマティアスが前を向いたまま言い放った。
「そんなに『ルナ』のお菓子が欲しいのなら好きなだけ買ってやる。今から街へ行くぞ。」
マティアスはグイッとフェリシアの腕をつかむと早歩きを始めた。
「あぁ、お待ちください、マティアス様。私、何か気に障るようなことを言いましたでしょうか。」
ファリシアは息を切らしながら尋ねたがマティアスは無言だった。
「気が利かずに申し訳ありません。」
マティアスの早さに着いて行くのがやっとのフェリシアはハァハァしていた。
「兄上との話の内容は馬車の中で聞く。」
マティアスはピシャッと言うと近くにいた者に外出の準備をするように指示をした。
フェリシアはマティアスを落ちかせることを諦めた。
私には止められないわ。
諦めましょう。
馬車で二人きりでお話しすれば落ち着くでしょうし。
しばらくするとルーファスとマティアスの側役が走ってくるのが見えた。
ファリシアはルーファスと目が合った。
ルーファスの目は何事ですか?と尋ねているが、ファリシアは首を傾けるとわかりませんと目で訴えた。
とにかく馬車の中で落ち着いて話し合わなくっちゃ。
フェリシアは大人しくマティアスに着いて行った。




