秋の訪れ①
◆◇ 第二十三章 ① ◆◇
翌朝、侍女アンナはいつもの時間にフェリシアの部屋にやって来たが、音を立てないようにそっと扉を開けゆっくり歩いてフェリシアに近づいた。
フェリシアは昨晩遅くに戻って来たので起こすことはせず様子を伺いに来たのだった。
枕元の水差しを交換し、花瓶に花を生けているとベッドからモゾモゾと動く音がした。
アンナが振り返ると同時にフェリシアの目がバチっと開いた。
「あっ、お嬢様、申し訳ございません。起こしてしまいましたか?」
アンナが声を掛けるとフェリシアは目を擦りながら小さな欠伸をした。
「うーん、起こしに来たんじゃないの?」
「いいえ、昨日遅かったのでお疲れでしょう。今日はゆっくりお休みしていいんですよ。それに殿下からもゆっくり休ませるよう仰せつかっておりますから。」
「まぁ、マティアス様がそんなことをおっしゃったの?」
「お嬢様、殿下に大事にされているのですね。」
フェリシアは恥ずかしくなって布団で顔を隠した。
「馬車に長時間乗っていると意外と疲れるのね。もう少し休むわ。」
「はい、かしこまりました。今日、マデリン様がお見えになりますのでその時間に合わせてまた参りますね。」
そう言うとアンナは部屋を出て行った。
・・・マデリン? 何か用があったかしら?
あっ、でもお土産渡せるからちょうどいいわ。
それにバザーのこともあるし。。。
いろいろ考えているうちにフェリシアは再び眠りについた。
カチャカチャ
食器を置く音でフェリシアは目が覚めた。
「お目覚めになりましたか。」
「すっかり眠ってしまったわ。今何時かしら。」
「かなりお疲れだったのですね、もうすぐお昼になりますよ。」
「えっ、お昼?」
フェリシアは慌ててベッドから飛び起きた。
アンナに身支度を整えてもらいマデリンに渡すお土産を手に部屋を出るとタイミングよく母レイラと会った。
「あっ、お母様。」
「まぁ、フェリシア。疲れは取れたかしら。」
「はい、もうすっかり。」
「そう。もうすぐマデリンが来るはずよ。さぁ、行きましょう。」
サロンに行くと使用人たちがテーブルセッティングをしていた。
お腹が空いたフェリシアはお願いして一切れだけサンドイッチを持ってきてもらった。
「あらあら、困った娘ね」と、今にも言いたげなレイラの視線に負けずにフェリシアがサンドイッチを頬張っているとマデリンが現れた。
「叔母様、こんにちは。あら、チェスター領から帰って来るとは聞いていたけどもうお口をモグモグさせているのね。」
マデリンは一度は驚いた顔をしたがすぐにケラケラ笑い出した。
「朝から何も食べていないからお腹が空いてしまって。」
「うふふ、フェリシアらしいわ。でも、何だか少し大人っぽくなったみたい。」
「そうかしら。そんなことないと思うわ。」
マデリンはフェリシアに近づき上から下まで何往復もしてフェリシアを見ると首を傾げた。
「何かしら。顔が変わった訳ではないのだけど、スッキリしたというか一皮剥けたというか。。。チェスター領では殿下と二人きりで過ごしたのよね?何かあったの?」
フェリシアはドキッとした。
「な、何もないわよ。」
慌てて否定したフェリシアだったが、よく見るとマデリンも以前よりも増して綺麗になったように見えた。
「マデリンこそ綺麗になって恋でもしてるんじゃない?」
「私ね、少しだけだけどまた痩せたのよ。刺繍の追い込みで忙しかったから。」
「伯母様に似てきたみたい。」
レイラは二人の会話を黙って聞いていたが初めて口を挟んだ。
「本当ね。キャサリンに似てきたわ。」
レイラは目を細めてマデリンを見つめた。
「もう、叔母様もフェリシアも恥ずかしいから辞めて。さぁ、早くバザーの打ち合わせをしましょ。」
もうすぐリスティアル王国の建国祭が始まる。建国祭は約一ヶ月程続き王都ではいろいろな行事が催され最後は王宮で開催される式典で幕を閉じる。
フェリシアもスィントン家が援助している施設のバザーに参加する予定だ。
マデリンは出来上がった作品をいくつかテーブルにのせた。
「これを見てください。子供たちこんなに上達したんですよ。」
レイラとフェリシアは釘付けになった。
「素晴らしいわ。とてもよくできてるわ。」
レイラは作品の一つを手に取り細かいところまで確認した。
「最初はハンカチにしようと思ったのですが、つまらないので巾着に刺繍してみました。」
巾着にはそれぞれ違う花が刺繍されており選ぶのに迷いそうだ。
「もしかして巾着もみんなで作ったの?刺繍も私より上手だわ。」
フェリシアも手に取って見た。
「そうよ。みんなで縫ったのよ。皆んな覚えるのが早くて。」
マデリンはとても嬉しそうだった。
「マデリン、よく頑張ったわね。」
レイラはマデリンを我が娘のように褒めると今度はフェリシアの方を向いた。
「で、私たちはどうしましょうかね?フェリシア。」
フェリシアはチェスター領で食べたリンゴの話しをした。
「お母様、私はリンゴジャムを作るつもりです。チェスターで作り方を教わって何度か練習したので大丈夫だと思いますわ。」
「そう、ではいつもの焼き菓子とリンゴジャムにしましょう。今年は賑やかで楽しそうね。」
こうして今年のバザーは刺繍入り巾着袋と焼き菓子、そしてリンゴジャムに決まった。
トントン拍子でことが決まるとマデリンはやりたい事があるからと早々に帰って行った。残ったレイラとフェリシアはしばらく無言のままお茶を飲んでいた。
「フェリシア、チェスター領はどうだったの?」
レイラが口を開いた。
「えぇ。とても楽しかったし勉強にもなったわ。王妃様から学ぶこともたくさんあったし。」
「そう、それはよかったわ。」
返事とは反対にレイラは少ししんみりした様子だった。
「お母様、どうしたの。私、お母様が気に障ること言ったしら?」
レイラは違う違うと手を振った。
「違うの、フェリシア。今年のバザーが最後になるんじゃないかと思って。来年は一緒にできないかと思うと急に寂しくなって。」
「お母様。。。」
毎年施設のバザーは代々スィントン侯爵夫人が中心となっていた。
レイラがスィントン家に嫁いで来た頃は先代侯爵夫人と一緒に、そしてヴェロニカが公爵家に嫁ぐまではヴェロニカと共に、そして今はフェリシアと参加している。
「お母様、ここだけの話しですけど、王太子様はまだお相手が決まっていませんの。ですから少なくとも来年は一緒にできますわ。」
フェリシアは母親を安心させようとわざと元気に言った。
「それに、今度はシリルお兄様のお相手になる方がお母様のお手伝いをしてくれますわ。」
「フフ、そうね。シリルもあなたのことばかり構ってないで早く身を固めてもらわないといけないわね。」
レイラは笑うとそうだと手をパンッと叩き言った。
「そうだわ。フェリシア、近いうちに二人で街に出かけましょう。」
「はい、お母様。」
「建国祭の時期になるといい物が出回るし、あなたもこれからいろいろと必要になるから準備しましょう。」
「お母様と外出なんて久しぶりだから楽しみ。」
この後二人はレイラの希望で邸の庭園を散歩した。
お母様、急に散歩なんてどうしたのかしら?
私が居ない間に花を植え替えたのかも。
フェリシアはキョロキョロしながら母親の後に着いて行った。
庭園内は特に植え替えをした様子はなく前からの草木の葉は緑から黄色に変わりかけていた。
レイラは急に立ち止まりフェリシアが自分の横に来るまで待った。フェリシアは何か話があるのかと思い急いでレイラの隣りに並んだ。
レイラはフェリシアを見ると何も言わずに手を伸ばしフェリシアの手を握り再び歩き出した。
あれ?
お母様、どうしちゃったの?
私、怒られるのかしら。。。
しばらく園内を歩き続けるとレイラは木々を眺めながら口を開いた。
「少しだけど色づいてきたわね。」
フェリシアがレイラと同じ方向を見つめるとレイラは続けた。
「秋が近づいているのね。チェスター領はもう晩秋位かしら?」
「えぇ、もうほとんど枯葉になって散っていましたわ。それに朝晩はかなり冷え込みました。」
「そうなのね。・・・あ、あのね。」
フェリシアはレイラの顔を見た。
「昨日、貴方が帰って来た時とても大人っぽく見えて驚いたの。」
「そ、そうかしら?(マデリンも同じようなことを言ってたわ)」
「でも、たった十日間程度で急に変わる訳ないわよね。」
「そうよ。お母様ったら大袈裟だわ。」
フェリシアは冗談を受け流すように言った。
「でも、本当は毎日少しずつ成長していたのよね。いつまでも私の都合のいいように子供扱いしていただけだったんだわ。」
レイラは視線を空に向けた。
「お母様、考え過ぎですわ。何か心配でも?」
「心配なんて。。。」
「来週のバザーも、社交界デビューもスィントン家の名に恥じないよう頑張りますから。」
「そうね、ありがとう。それとは違って何だか昨日からモヤモヤした気分が抜けないのよ。」
レイラは一呼吸するとフェリシアの顔を見た。
「チェスター領では充実していたみたいね。」
「はい、とっても。」
「そう、それならよかったわ。」
「なので何も変わりませんし何の不安もありませんわ。毎年一つずつ大人になってもフェリシアはフェリシアのまま、スィントン家の少々出来の悪い末娘ですわ。」
フェリシアは安心してねの気持ちを込め繋いでいた手にギュッと力を入れた。するとレイラも返事するかのように手に力を込めた。
「安心したわ、フェリシア。」
フェリシアは甘えるような笑顔で言った。
「早くお母様とお出かけしたいわ。すごい楽しみ。」
その夜、フェリシアはいつものようにアンナに髪の手入れをしてもらいながら昼間の出来事を話した。
「そうですか、そんなことがあったのですね。でも、奥様のお気持ちお察しできますよ。」
予想外のアンナの言葉にフェリシアは驚いた。
「奥様は複雑なお気持ちなのでしょう。」
「そ、そうなのかしら。。。」
「可愛い可愛いと思っていた娘がある日突然王子に見そめられてお妃教育を受けるのですからお気持ちの整理をつけるのは大変だと思います。」
「そうなのね。。。」
「ましてやこの十日間は手の届かない所に行ってしまわれもう戻って来ないのでは?と不安に思うこともあったのかも知れません。」
「まぁ、お母様ったら。」
アンナは一度動かしていた手を止めた。
「お嬢様、実は私も同じ気持ちなんです。」
「えっ?」
「お嬢様をずっとお世話してきていずれはいいご縁に恵まれ素敵なご令息の元へ嫁いでいただきたいと思っておりましたが、いざ話しが現実となると喜びと不安が同時にきましたよ。」
「アンナ。。。」
「お嬢様のご不在中は私もとても寂しかったですよ。毎朝お湯を持って起こしに行っていたお部屋が空なのですから。」
フェリシアは胸が締め付けられるようだった。
アンナもそんな風に思っていたのね。
気づかなかったわ。
アンナは手をフェリシアの肩にそっと置いた。
「なのでお嬢様、月日はあっという間に過ぎてしまいます。ぜひ奥様に甘えてください。」
「そうね、そうするわ。」
フェリシアは肩に乗せてられたアンナの手の上に自分の手を重ねた。
アンナの手、温かいわ。
アンナの手の温もりを感じながらフェリシアはわずかな間目を閉じた。
が、急に目を開けアンナの方に顔を向けた。
「そうだ、思い出したわ。ねぇアンナお願いがあるのだけど。」
「はい?何でしょう?」
アンナも先程とは打って変わりキリッとした表情に変わった。
「あ、あのね、またアノ本を貸してほしいの。新作ないかしら?」
アンナの顔はみるみる困り顔になった。
「困りましたわねぇ。お嬢様にはもう必要ないのでは?」
「私にはいろいろと役立っているのよ。」
「はい?役に立つ?・・・まさか・・お嬢様、チェスター領で何かあったのですか?」
「へっ?何もないわよ、ホホホ。」
アンナはフェリシアの寝衣の着替えを手伝いながら小声で答えた。
「仕方ないですね。明日ご用意しておきますけど、奥様にわからないようにしてくださいね。」
「もちろん、わかってるわ。」
「この間テーブルに置かれたままで焦りましたよ。」
「そ、そうだった?」
一般に貴族令嬢が大衆恋愛小説を読むことははしたないと言われているが、年頃だからこそ本音は興味津々だった。
「まぁ、読みたい気持ちもわかりますけどね。。。」
「やっぱりアンナは私の味方ね。読んでおくと予習になるのよね。」
フェリシアはつい口を滑らせてしまった。
「予習ですって?お嬢様、やはり殿下と何かあったのでは?」
「えー、ないないないってば。」
「怪しいですね。このアンナに嘘は通用いたしませんよ。」
「本当よ。」
「では、良い子はもうお休みになってください。明日も王宮に行かれますよね。建国祭も始まるとお疲れになってしまいますよ。」
ここは大人しくアンナの言うことを聞いておこうと、フェリシアは良い返事をしてベッドに入った。




