チェスターにて 領地散策②
◆◇ 第二十二章 ⑨ ◆◇
翌日、いつもは寝坊助けのフェリシアが珍しく自分から起きだした。エミリーからはどういう風の吹き回しかと言われてしまったが、マティアスとのお出かけが嬉しくて早く目が覚めてしまったなんて恥ずかしくて言えなかった。
フェリシアはマティアスと軽い朝食を済ますとエミリーに外出の身支度をしてもらった。
「フェリシア様、髪飾りはいかがしましょうか。」
「昨日と同じでいいわ。」
「うふふ、お気に入りなのですね。」
髪を纏めてドレスを着付けてもらい完璧に仕上がったフェリシアはマティアスを待たせてはいけないと早めに玄関ホールへ向かった。ホールに着くとミラとチェスター伯爵がすでに待機していた。
「おはようございます、フェリシア様。本日はよろしくお願い申し上げます。」
父娘揃って立ち上がり挨拶をしてきた。
今日のミラはシャキッとしており昨日の恋に恋する乙女姿が嘘の様だった。
「伯爵、ミラ様、今日は私の我儘にお付き合いしていただきありがとうございます。」
フェリシアはお礼を述べた。
「我儘なんてとんでもないです。元々我が領地を見ていただきたいと思っておりましたので。」
伯爵はいい終わると小声で更に付け加えた。
「お二人の邪魔をしないようにいたしますのでお困りことがございましたらお声がけください。」
ミラもウンウンとうなづいていた。
そ、そんな気を使い過ぎですってば、伯爵。
普通でいいんですよー
もう、チェスターの人たち昨日から変な気を回し過ぎるわ。
フェリシアが早速悶々としてるとマティアスが現れた。
「お待たせ。みんな早かったんだね。」
マティアスはいつも通りでフェリシアにとってこの普段と変わらない姿が心のオアシスだった。
「お揃いの様ですから早速出発いたしましょう。」
チェスター伯とミラは先頭の馬車に乗った。マティアスとフェリシアは2台目の馬車に乗り護衛のルーファスはマティアスたちと同じ馬車の御者の隣に乗った。
「今日も愛らしい装いだね、フェリシア。」
「ありがとうございます。今日はチェスター伯爵の王都の知り合いという設定だそうでエミリーが頑張ってくれました。」
「ところで今は領都に向かっているのかな。」
「いえ、最初はリンゴ園のはずです。」
「えっ?リンゴ?」
「はい。私が実際に木に成っているリンゴが見たかったのでお願いしたのです。」
「へぇ〜。そんなのが見たいの?」
マティアスはちょっとだけ子供をからかうように言ってみた。
「まぁ、ひどいですわ。」
「ごめんごめん。そんなにむくれないでおくれ。」
フェリシアが唇をとがらせて窓に顔を向けるとマティアスは慌ててご機嫌を取った。
「機嫌の悪いフェリシアもいいけど、やっぱり笑顔のフェリシアがいいなぁ。」
マティアスは平静を装いながらわざとらしく独り言を言うとフェリシアをチラッと見た。フェリシアは顔は窓に向けたままだが笑いを堪えている風だった。マティアスは安心して彼女の手を握りしめた。
お目当てのリンゴ園に着くまで然程時間はかからなかった。伯爵とミラが領都からあまり遠くない農園を選んでくれたのだった。
ルーファスが馬車の扉を開けるとマティアスが先に降りフェリシアに手を差し出した。フェリシアは引きつり気味の笑顔でマティアスの手を取ると更に笑顔が加速した。
その笑顔を見たマティアスはほんの一瞬めまいを感じた。フェリシアが馬車から降り一度立ち止まるとマティアスは目を閉じた。何か不吉な予感がした。
「マティアス様、お嫌でしたら馬車でお休みになられますか。リンゴを見たらすぐに戻って参りますわ。」
マティアスは焦って全否定した。
「いやいやいや、フェリシア。せっかくなんだから仲良く一緒に見学しようよ。」
馬車の扉を押さえていたルーファスは二人から目をそらし空を見つめた。
この二人、また馬車内で何かあったな。。。。
ルーファスは苦笑いを隠しながら小さなため息をついた。
伯爵とミラが先にリンゴ農園に入って行くと奥から慌てた様子で主と思われる男が出て来た。
「これはこれは領主様にお嬢様、な、何か問題でもありましたでしょうか。」
男は萎縮しながらチェスター伯の顔色を伺っていた。
「そう慌てるな。こちらの方々は私の知り合いでな。王都から観光に来られたのだよ。木に成っているリンゴが見たいといことでここにお連れしたのだよ。」
伯爵が説明しても男はオドオドは治らず脱いだ帽子を握りしめた手も震えていた。怯えるのも無理もない。領主父娘が突然現れたかと思ったら後ろには王都のお貴族様らしい若い男女がおり、更には剣を帯同している騎士が眼光鋭く立っているのだから。
「ご安心ください。私たちはリンゴ畑が見たくて観光に来ただけですから。」
フェリシアは落ち着かせるために笑顔と身振り手振りで説明した。
入り口で騒がしくしていると更に奥から人が出て来た。どうやら息子夫婦らしい。息子はチェスター伯を見ると驚いた表情をしたが説明を聞くと納得した。
「税の値上げでも疑っていたみたいだな。」
マティアスはフェリシアの耳元で囁いた。フェリシアはドキッとし目をこれでもかというくらい見開いてマティアスを見つめた。
「マ、マティアス様!しっ!」
動揺したフェリシアは思わず自分の人差し指をマティアスの唇にあてた。
もう、
マティアス様ってこんな毒を吐く方だったのかしら?
本人はフェリシアがした行為にご満悦だったようで顎に手を当てニンマリしていた。
伯爵の説明によると主夫婦と息子夫婦でリンゴ農家をしているとのことだった。いきさつを再度説明すると息子はすんなり理解してれた。
「小さい農園ですがゆっくり見て行ってください。」
息子は休憩できる様に小屋に椅子と小さいテーブルを用意してくれた。一行がとりあえず小屋に入るとリンゴが入った木箱が並べられていた。
「あっ、青いリンゴ。このリンゴは熟す前のものですか?」
フェリシアが聞くと息子が答えた。
「いいえ、これらはキズかついて売り物にらならないものです。なのでウチで食べます。」
「そうなのですね。それより私、青いリンゴを初めて見ました。赤いリンゴしか見たことがなくて。」
フェリシアは青いリンゴに驚きを隠せなかった。邸では皮は綺麗に剥かれ一口サイズにカットされたリンゴがしか見たことがなかった。
息子は少し戸惑っていたが優しく説明してくれた。
「この青いリンゴはブラムリーという種類で酸味が強いです。なのでほとんど加工用になります。ジャムとかパイとか。もちろんこのままても食べられます。」
「初めて聞くとばかりで興味深いわ。」
フェリシアは興味深々だった。
「以前はブラムリーはあまり栽培していなかったのですが、王妃様がこのリンゴを使ったお菓子をお気に召してくださり栽培に力を入れるようになりました。」
息子がそこまで話すと伯爵が補足した。
「王妃様のおかげでチェスター産のリンゴは王都に卸せる様になり名産と言われるまでになったのですよ。本当にありがたいことです。」
伯爵の言葉に主夫婦と息子夫婦は手を胸に当て頷いていた。
フェリシアはこの話を聞くことができただけでもここに来た意味があったと思った。
「奥まで行ってもいいですか。」
「もちろんでございます。手前の方は収穫してしまっていますが奥の方はまだ実がついていますのでどうぞご覧ください。赤いのも青いのもありますから。」
フェリシアは嬉しそうに二、三歩歩き出したが、ハッと振り返りマティアスに一緒に行きましょうと目で合図をした。
本当は飛び上がりたい程喜んだマティアスだったが、周りの目を気にしてクールな男を装いフェリシアと並んで歩き始めた。二人の後を伯爵と息子が追おうとしたがルーファスが止めた。伯爵はすぐに納得したが息子は不思議そうにしていた。ルーファスはわずかでも二人きりの時間を作ってあげたかった。
「リンゴってこういう風に実がつくのですね。知らないことばかりてす。」
フェリシアは実が成っている木の下でボソッとこぼした。
「俺だって。しかし、知らないところで母上が影響しているんだな。」
マティアスの言葉でフェリシアはエマの話しを思い出し少しの間黙り込んでしまった。
「フェリシア?」
マティアスの呼びかけで我に返ったフェリシアは慌てて笑顔を見せた。
「あっ、はい?」
「美味しそうだな。一個くらい取って食べてもわからないかもしれないな。」
マティアスはいたずらっ子の様に舌をペロっと出した。
フェリシアはケラケラ笑った。
リンゴの木は等間隔で植えられており濃い緑の葉に赤い実がとても鮮やかに映った。二人はリンゴを見上げながら歩みを進めた。
「あちらに青リンゴの木がありますよ。行ってみましょう。」
フェリシアは早歩きでマティアスより先に歩いて行った。
満開の花でいっぱいの庭園も素敵だけどたまには果物畑の中を歩くのも楽しいわ。
マティアスはのんびりフェリシアの後を着いて来ていた。フェリシアがどんどん進んでいくとかすかに猫の鳴き声が聞こえた。どこにいるのかキョロキョロするともう少し先の太い木の下にうずくまっていた。
あら、猫だわ。可愛い。
フェリシアが振り返るとマティアスはまだかなり後ろを歩いていた。フェリシアはマティアスが追いつくまで猫と遊ぼうと思いそっと近づいた。猫はフェリシアが近づいてもフンッとした感じで全く動じなかった。
灰色のタビーなのね。
逃げないということは人に慣れている?
もしかしたらこの農園の飼い猫なのかもしれない。
触りたい、撫でたい、気持ちが高まったフェリシアは猫の背中に手を伸ばした。
あっ、触らせてくれたわ。
フフ、ありがとう猫ちゃん。
しゃがみこんでいるフェリシアの姿を後ろから見ていたマティアスは何をしているのだろうと思ったが、落ちているリンゴでも見ているに違いないと確信し彼女を目指し徐々に近づいて行った。
猫に夢中になっているフェリシアはどうしてもこの猫を抱きしめたくなってきた。アンナがいたら危ないから触ってはいけませんと注意するだろうなと想像しながら両手を猫に向けた。猫はフェリシアの心を読んでいるかの様にチラッと顔を見ては抱きやすい様に向きを変えた。
わぁ、抱けたわ。
やっぱり飼い猫なのね。
可愛い猫ちゃん。
マティアス様にもお見せしよう。
猫を抱っこしたフェリシアは立ち上がるとくるっと後ろを向いた。後ろにいたマティアスはその姿に目を疑った。
お、恐ろしい程の笑顔で抱えているのは何だ?
も、もしや あ、あの物体は
俺の苦手な猫ではないか!
マティアスが言う恐ろしい程の笑顔でフェリシアはグングン近づいて来た。
「マティアス様、ほら、見てくださーい。」
「だ、だめだ。フェリシアこれ以上近づくな。」
えっ?フェリシアの頭の中は疑問符で埋め尽くされた。
「マティアス様どうされました?あそこの木の下に可愛い猫がいたんですよ。」
「わかった、わかったから側に来ないでくれ。」
青ざめたマティアスは掌を広げ腕を伸ばし自分の側に来ない様叫んだ。
「えっ?」
何が起きているのか理解できないフェリシアはポカンとして立ち止まりつい腕を緩めてしまった。
と、同時に猫はフェリシアの胸元から離れマティアスを目掛け大ジャンプをした。
ニャー
「ワァー」
この世の終わりの様な顔したマティアスは聞いたことのない声をあげてその場で尻もちをついてしまった。
猫はマティアスの太ももに一瞬しがみついたがそのまま彼の尻もちと一緒に地面に着地するとツンとして何処か走って行った。
「マ、マティアス様ー」
フェリシアは駆け寄った。
「マティアス様、大丈夫ですか。お怪我はありませんか。」
マティアスはハァハァしながら頭を抱えたままでフェリシアの顔を見ようともしなかった。
あまりにも想定外のことが起きてしまい焦ることしかできないフェリシアだった。
「マティアス様、あそこに切り株がありますので腰掛けて休みましょう。」
「・・・」
返事がなかった。
「マティアス様?どうされました?」
マティアスは下を向いたまま蚊の鳴くような声で一言だけ言った。
「立てない。。。」
今度はフェリシアが腰を抜かしそうになった。これは大変なことになった。もう自分の限度をとっくに超えてしまっている。
「ルーファス様を呼んで参ります。」
フェリシアが小屋に行こうとするとマティアスは彼女の手首を咄嗟に掴んだ。
「呼ぶな。」
「で、でも。。。」
「少しだけ休ませてくれ。」
マティアスはそう言うと片膝をつき立ちあがろうとした。フェリシアは無意識に肩を貸した。
マティアスは大きい、背も高く身体も鍛えてきるのでがっしりしている。フェリシアには相当な負担がかかる。
「悪いな。」
「いえ、お気になさらずに。」
切り株に腰掛けてもまだ下を向いたままのマティアスの前にフェリシアは跪いた。
「マティアス様、申し訳ございません。気が利かずにこんなことになってしまって。」
泣きたい気持ちを感じる前にすでにフェリシアの頬には涙が流れていた。
「フェリシアは悪くない。」
こんな時どんな言葉をお掛けすればいいのかしら。。
私って、ホントにダメだわ。
「マティアス様、落ち着くまでここで休憩しましょう。」
その頃、ルーファスと伯爵父娘は小屋でだされたお茶を飲みながらくつろいでいた。最初こそ突然の領主登場に驚いてた農園一家もすっかり打ち解けていた。
「お二人、遅いですね。」
チェスター伯爵が何気に漏らした。
「確かに。ですが、さすがに迷子はないでしょうからもう少し待ちましょう。」
ルーファスは落ち着いて言ったものの内心はヒヤヒヤしていた。
あの二人絶対何かあったな。
ルーファスがそろそろ様子を見に行こうと立ち上がると二人が小屋に向かって来ているのが見えた。
フェリシアの目は赤くマティアスの顔色はさえない。ルーファスが遅くなった理由を聞きたそうにフェリシアに近寄ると彼女は先手を打った。
「初めてだったのであっちもこっちも見て回ったら遅くなってしまったの。ごめんさい。」
ルーファスはニコッと笑って黙ったがミラが残念そうに言った。
「そうでしたか。フェリシア様、もう少し早くお戻りなれば手作りのリンゴパイとリンゴ風味のお茶がいただけましたのに。もう移動しないと時間がないですわ。」
「まぁ。残念です。」
フェリシアは心の底からがっかりした。
私も食べたかったな、リンゴのパイ。。。
余程食べたい顔をしていたのだろう。息子の嫁が奥からお土産用に包んだものを持って来てくれた。
「お嬢様、よろしければこちらをどうぞ。お口に合いますかどうか。」
王都の貴族を目の前にして緊張気味に一つをフェリシアに渡してくれた。そしてもう一つをどうしたらいいのか迷っている様子だった。
「まぁ、ありがとう。嬉しいわ。後でゆっくりいただくわね。あっ、彼の分も私が預かるわ。」
フェリシアが微笑むと彼女の緊張も解け嬉しそうに笑った。
「さぁ、次にいきましょうか。」
チェスター伯が急かすと一行はゾロゾロ歩き出した。農園の一家も見送りをする為後に続いた。もう一度お礼を言おうとフェリシアが振り返ると息子夫婦の後ろから可愛い女の子がひょっこり顔を出していた。女の子はフェリシアをじーっと見ていた。
「まあ、こんなに可愛らしい女の子がいたの?」
フェリシアが近づくと女の子は手を差し出した。その小さな掌の上には赤いリンゴが乗せられていた。
「私にくれるの?」
フェリシアがしやがんで話しかけると女の子は黙って頷いた。
「ありがとう。とっても嬉しいわ。」
フェリシアは頭に手を当てると後れ毛を留めていた小さなピンを外し女の子の髪に留めてあげた。女の子ははにかむように髪を触りピンを確認していた。
「さぁ、フェリシア様いきましょう。」
ミラに促されフェリシアはすでにマティアスが乗っている馬車へ急いだ。
農園でケンカでしたのかしら?
ミラは畑から戻って来てから会話をしない二人を見て心配になった。
馬車が動きだし窓から外を見ると女の子は手を振り大人たちはお辞儀をしていた。
フェリシアも手を振って別れを告げた。
タビー=縞模様




