チェスターにて 出発②
◆◇ 第二十二章 ② ◆◇
息を切らしてマティアスの所まで戻って来たがまだ王妃とアーサーは来ていなかった。
「いなかったけどどこに行ってたの?」
マティアスは不思議そうに聞いてきた。
侍女に会いに行ってきたなんて言ったら笑われそうと思ったフェリシアは適当に誤魔化した。
「ええ、ちょっと。」
マティアスはあまり気にしていない様子だった。
むしろフェリシアが戻ってきたことに安心し待機している護衛騎士たちと再び話し出した。
そこにはルーファスを除いてフェリシアが見たことがない騎士が二人いた。
騎士団棟には何回かお邪魔したけどお見かけしたことないお顔だわ。
制服も少し違うし
きっと王妃様と王太子様の護衛騎士ね。
フェリシアが乗ると思われる馬車の周りを見ていると王妃とアーサーが現れた。
先程まで談笑していた騎士たちは慌てて立ち位置に戻り、フェリシアも小走りで王妃たちの元へ行き挨拶をした。
今朝のヘレナは王妃の顔で周りの者にテキパキと指示を出し、自分はアーサーと乗るからマティアスとフェリシアは二人で馬車に乗るようにしてくれた。
「さぁ、フェリシア、馬車に乗ろう。」
マティアスはいつもの様に手を差し出した。
フェリシアもうなづくと自然にマティアスの手を取った。
最初はぎこちなかった二人だか今は何のためらいもなくお互いの手を取ることができるようになった。
馬車に乗り椅子に座ると同時にフェリシアは声を出してしまった。
マティアスはびっくりしてフェリシアの顔を見つめた。
「あ、あの、椅子があまりにもフカフカなのでつい。。お恥ずかしいです。」
「これは長距離移動用の馬車なんだ。お尻が痛くならないようにね。」
マティアスの説明にフェリシアはただ感心するばかりだった。
馬車内もまるで小さな部屋の様な内装で快適な長旅になりそうだった。
フェリシアが内部をキョロキョロしているうちに馬車は動き出した。
王宮を出る門の近くに差し掛かるとスィントン家の馬車が停めてあった。
フェリシアは馬車を見つけると急いで窓際により馬車の周りを探した。
いた。
馬車の後ろに目立たない様にアンナが立っていた。
王族が乗っている馬車がスィントン家の馬車の前に近づくとアンナは深く頭を下げた。
アンナ私に気づいてくれたかしら?
でも、不思議なものね。
アンナと数日離れるのがこんなに寂しいなんて今まで気づかなかったわ。
「フェリシアどうしたの?」
マティアスは窓をじっと見つめているフェリシアに尋ねた。
「今、我が家の馬車が見えたので。」
フェリシアがいい終わるとマティアスはボソッと言った。
「あーあ、君の侍女からフェリシアの取り扱いを聞けばよかった。」
「もう、言わないでください!」
フェリシアは頬を膨らませ唇をとがらせムッとした顔をした。
「アハハ、聞いておけば長距離移動もフェリシアが退屈しないかなと思ったんだけど。。。そういうむくれた顔も俺をキュンとさせるね。」
フェリシアの顔はみるみる茹で蛸の様に赤くなっていった。
「朝から何をおっしゃるのですか!」
でも、確かにそうだわ。
馬車内という密室で二人きり。
しかも異性、異性も異性この国の王子と長時間。
お兄様だったら寝てしまうのだけど。。。
あっ、そうだわ。
ハンカチをお渡ししましょう。
フェリシアは肌身離さず持ってきたハンカチを取り出しマティアスの前に差し出した。
「あ、あのマティアス様、街を散策した時とても楽しかったのでお礼としてお渡ししたかったのですが、なかなか機会がなくて今になってしまいました。」
マティアスはハンカチを受け取るとキラキラした目で刺繍を見つめた。
「嬉しいよ。ありがとう、フェリシア。」
「できれば刺繍はあまり凝視しないでいただきたいのですが。。。。」
節目がちで話すフェリシアだったがマティアスは全く気にせず喜びを全身で表した。
「刺繍は苦手だったのだろう? 頑張ってくれたんだね。それだけで嬉しいよ。」
フェリシアはハンカチを二枚渡した。
マティアスはその二枚を広げ楽しそうに眺めていた。
こうして並べられると一枚目と二枚目の刺繍の差が一目瞭然だった。
「こちらが王宮で無くしてしまった初めての物でまだ刺繍がおぼつかなくて。」
「あぁ、見つかったやつがこれなんだね。で、どこにあったの?」
フェリシアはルイスが拾ったこと、偶然会った時に返してもらったことを話した。
マティアスの機嫌が悪くなりそうな場面は当然黙っていた。
「何でフェリシアの記念すべき最初の刺繍をアイツが取るんだ!」
マティアスは初めてフェリシアの前で声を荒げた。
「申し訳ありません。私が落としてしまったのがいけないのです。」
「大丈夫だったか?ルイスに何かされなかったか?」
「はい、大丈夫でした。近くにルーファス様もいらっしゃったので何もありませんでしたわ。心配しすぎですよ。」
フェリシアは平静を装っていたが、マティアスから鋭い質問で責められたら思い出したくもない恥ずかしいことを話してしまいそうで内心はヒヤヒヤしていた。
マティアスは何となく不満気だった。
「私、黙っていればよかったですか? マティアス様に黙っていることや嘘をつきたくなかったので事実をお話ししただけですわ。」
「そうだな、何でも話そうと決めたばかりだしな。ただ。。。」
マティスはまだ不服そうだった。
「ただ?」
「やっぱり遠回りしすぎだ。よりによってアイツ経由なんて俺はどうしたらいいんだ?」
「どうもしなくていいんです。ちゃんとお洗濯しましたし、これはもうマティアス様に贈った物ですからご不満でしたら煮るなり焼くなりお好きにしていただいて構いませんわ。」
マティアスはビクッとした。
今までこんなにハッキリ意見するフェリシアを見たことがなかったからだ。
「フェリシア悪かったよ。つい感情的なってしまった。最初のは記念すべき一枚目として保管しおこう。二枚目を持ち歩くことにするよ。プレゼントありがとう。」
マティアスは謝りながらフェリシアの長い髪をすくい優しく唇を重ねた。
フェリシアは焦っていたのでつい強い口調になってしまったがホッとした。
「私の方こそ生意気なことを言ってしまい申し訳ありません。今度はもっと上手に刺しますね。」
二人はしばらくの見つめ合った、いや実際は数秒だがフェリシアには数分に感じた。
マティアス様のお顔がすごく近くて。。。。
でも改めて拝見すると本当にお美しいお顔だわ。
眉目秀麗の見本みたい。
並んでいると私が惨めになるのではないかしら?
でもマティアス様のいいところはご自分の美しさを鼻にかけないところなのよね。
フェリシアは見つめ合っている間自分勝手に色々想像を巡らしていた。
「ねぇ、フェリシア。今何か考え事していたでショ。 だめだよ、俺のことを見てくれなきゃ。」
マティアスはさらっと照れる様なセリフを口にした。
この王子はいつからこんな甘い言葉を言う様になったのだろう。
恋をすると男も変わるものなのか。。。
フェリシアはアワアワした。
マティアスは続けた。
「フェリシアの顔を見ればすぐわかるさ。瞳が微妙に動くからね。その透き通るような緑に瞳には俺だけを写してと言っただろ?」
「マティアス様、お願いです。これ以上甘い囁きはお辞めください。私のような免疫の無い者には耐えられませんわ。」
フェリシアには馬車内の空気までもが甘く感じられ呼吸困難寸前だった。
マティアスはクスクス笑っていた。
フェリシアが気絶寸前になった頃馬車は止まりルーファスが扉をノックした。
「殿下、昼食を兼ねた休憩です。開けますよ。」
馬車の扉を開けたルーファスはグッタリしているフェリシアを見て息を呑んだ。
「フェリシア様、大丈夫ですか?」
「は、はい、大丈夫です。何でもありません。」
マティアスは馬車を降りながらしれっとルーファスに言った。
「ちょっと馬車に酔ったみたいだ。」
フェリシアはルーファスに支えれながら馬車を降りた。
「ルーファス様、ありがとうございます。本当に大丈夫ですわ。」
フェリシアはもう平気だったが二人をいつも見守っているルーファスには何か感じるものがあった。
まぁ、野暮なことは聞かないが
馬車内で何かあったことは確かだな。
ルーファスはニヤニヤしながら二人の後ろを歩いて行った。
昼食を取るレストランはとてもこじんまりしていて豪華というより可愛らしい感じの店だった。
ぞろぞろとアーサーたちは王妃の後をついて行った。
王妃が店内に入ると厨房から店主と思われる男が緊張した様子で現れた。
うやうやしく頭をさげ挨拶をしようとすると王妃はサッと手をあげ堅苦しい挨拶を辞めさせた。
フェリシアが目をパチクリさせていると側にいたルーファスが小声で教えてくれた。
「ここは以前王宮で料理人をしてた者が開いたお店なんですよ。」
なるほど、フェリシアは感心して店内を眺めていると、アーサーが店主に話しかけていた。
きっと面識があるのだろう、店主も懐かしそうアーサーに微笑んでいた。
その後マティアスにも声をかけていた。
店主はマティアスと話しながら後ろに見え隠れするフェリシアのことをチラッチラッと見ていた。
フェリシアはおかしくて笑いそうになっていた。
ふふ
きっと王族と一緒にいるこの小娘は誰なんだろう?と思っているのね。
フェリシアは自分に声がかかるとややこしくなる様な気がしたので静かにその場をから距離を取った。
一行は個室に通された。
フェリシアも澄まして最後に個室に入ると店主は顔を引きつらせていた。
ファリシアは笑いを堪えながら店主を見ていると彼は慌てて王妃の侍女の所に駆け寄っていた。
「フェリシア、また何か想像しているでしょ。」
再度マティアスの突っ込みが入り二人は馬車内にいた時の様に見つめ合ってしまった。
アーサーは二人を横目で見ると大きく咳払いをした。
「ゴホンゴホン、おっと失礼。空腹過ぎて咳が出てしまった。」
王妃は何を馬鹿なことを言っているのだと呆れ顔をしながらアーサーを見てから皆んなの方を向き直した。
「朝早かったからお腹が空いたでしょう。さぁ、いただきましょう。」
テーブルの上に並べられた料理は王都の料理店のような派手さはないが、味は元王宮料理人らしく皆んなを満足させていた。
「この鶏肉美味しい!」
フェリシアは思わず声を出してしまった。
朝食抜きのせいもあるかもしれないがこんなに美味しいなんて。
フェリシアが珍しくパクパク食べているとマティスがまたボソッと言った。
「この後も長時間馬車に乗るから食べ過ぎない方がいいんじゃない?」
あら、恥ずかしいわ。
私、そんなにがっついて食べていたかしら?
フェリシアは思わず謝ってしまった。
「申し訳ございません。」
「あ、いや、謝ることはないのだけど心配だから。」
心配してくれるのはありがたいけど王妃と王太子の前で言われるなんて恥ずかしすぎると思っていると、アーサーがフェリシアを庇うように言った。
「マティアスは私に言ったのだろう?太るから食べ過ぎするなって。いつもの忠告だ。」
えっ?
マティアスとフェリシアは同時にアーサーの顔を見た。
アーサーは二人の視線など気にもせず真面目な顔をして続けた。
「フェリシアは華奢だからな。たくさん食べて体力をつけた方がいい。」
フェリシアは気まずそうにしている自分を見て王太子がフォローしてくれたのだと確信した。
王太子様って優しい面もあるのね。
それでもフェリシアはアーサーの顔を正面からは見ることができなかった。
フェリシアの心にある溝がまだ埋められないでいたのだった。
王妃は口こそ出さなかったがニヤニヤしながら三人を見ていた。
デザートが運ばれると店主が現れた。
「王妃様、お味はいかがだったでしょうか?」
「王宮にいた時と変わらず美味しく頂いたわ。私の鶏肉料理好きを覚えておいてくれたのね。」
「もちろん覚えております。お口に合ってよかったです。」
「ところでお店の方はどうなの?上手くいっているかしら?」
「はい、お陰様で順調でございます。王妃様が時々お見えになることが噂になってるらしく女性客が増えております。」
「そう、それはよかったわ。」
フェリシア以外の三人と店主が懐かしそうにしていると、王妃の護衛騎士が出発の知らせを伝えに来た。
王妃の後に続いて皆が店の外に出る時に店主がフェリシアに何か言おうとした。
フェリシアはきっと自分が王族と一緒だと思わなかったことをお詫びしたいのだろうと思った。
「とても美味しかったですわ。」
フェリシアはニッコリ頬んで一言声をかけると王妃の真似てサッと手を上げ何も気しなくていい素振りをした。
店主は首が折れるくらいペコペコ頭を下げた。
チェスターを目指して再び馬車に乗ると早速マティアスが聞いてきた。
「どうだった?美味しかった?」
「えぇ、とっても。元王宮にいた方のお店なんですね。」
「あぁ、俺はあまり知らないけど母上と兄上はよく知っているみたいだよ。それよりこっちに座って。」
マティアスは自分の隣りを指差した。
フェリシアが躊躇しているとニコッと笑ってマティアスが席を移動した。
「最初から俺が移動すればよかったんだな。」
フェリシアが焦っているとマティアスは言い訳をするように言った。
「ほら満腹状態に馬車の揺れは眠気を誘ううだろ?お互い支えがないと倒れちゃうしね。」
「まぁ、マティアス様は眠る気満々なのですね。私は絶対に眠りませんわ。」
「アハハ、そんなにムキにならなくても。まぁ怒った顔も俺にはたまらないけどね。」
そう言うとマティアスはフェリシアの手をそっと取るといわゆる恋人繋ぎをした。
フェリシアは一瞬マティアスの顔を見ると照れ隠しの為にプイッと窓に顔を向けた。
ドクンッドクンッ
フェリシアは自分の心臓が破裂するのではないかと真剣に思った。
マティアス様はきっと私が機嫌を悪くしたと思っているに違いないわ。。
でも、本当は初めての恋人繋ぎがこんなにドキドキするなんて思っても見なかったの。
頬も赤くなっているはずだし
恥ずかしくてしばらくはマティアス様の方に顔を向けられないわ。
二人はしばらく間沈黙していた。
フェリシアはずっと外を眺め、マティアスはフェリシアの葛藤など知る由もなく手を繋げた喜びで満足していた。
どの位の時間が経ったのだろう。
外は日が暮れ始め太陽は半分姿を消していた。
このちょうどいい暗さとちょうどいい馬車の揺れがフェリシアの瞼を重くした。
コクコクっとフェリシアの頭が揺れ始めるとマティアスは嬉しそうに彼女の肩を支えるとゆっくり自分の体にもたれるようにした。
こうしてフェリシアと長時間二人きりでいられるなんて。。。
チエスター行きを決めた母上に感謝だな。。。。
マティアスはホクホクしながらフェリシアの寝顔を眺めていたが早朝からの移動でやはり彼も睡魔には勝てなかった。
二人は手を繋いだままお互いを支え合いながら心地良い眠りについた。
二人仲良く眠りについてどの位の時間が経っただろうか。
馬車は止まり再びルーファスが扉をノックした。
マティアスとファリシアはビクッとして目を覚ました。
マティアスはニッコリ笑顔でフェリシアの顔を見つめたがフェリシアはそうではなかった。
鬼の形相でマティアスを見上げた。
マティアスはフェリシアが何を考えているのか一瞬で理解できた。
なぜ起こしてくれなかったのですか!
私、見苦しくなかったですか?
私、何か粗相していないですよね?
私、に何もしていないですよね?
きっとフェリシアの頭の中でこれらの言葉がグルグル回っているに違いないと確信したマティアスは
フェリシアの髪を優しく撫でながら言った。
「大丈夫だよ。スヤスヤ眠っていたから起こすのが忍びなかったんだ。」
馬車内から反応がなかったのでルーファスはもう一度声をかけた。
「殿下、フェリシア様到着しましたよ。扉を開けますね。」
扉を開けたルーファスの目に飛び込んできたのはにらめっこをしている二人だった。
この二人絶対に何かあったな。。。
ルーファスはまたしてもニヤニヤしながら思うのだった。




