王妃の作戦 ①
◆◇ 第二十一章 前編 ◆◇
フェリシアはいつものようにアンナに朝の身支度をしてもらっていた。
「今日はこの髪飾りにして。」
フェリシアがアンナに差し出したのはマティアスから初めての贈り物だった。
「はい、この髪飾りですね。今日は殿下と逢瀬ですか?」
アンナはフェリシアを茶化すようにニヤニヤした。
「そ、そんなんじゃないのよ。もうアンナったら!」
ほんの少し頬を赤らめながらプンプンしているフェリシアをアンナは母親の気分で見つめた。
お妃教育は順調に進んでいた。
「今日の授業はここまでにしましょう。結構進みましたね。」
「ヘイマー先生のおかげですわ。」
フェリシアが少しだけお世辞を言うとヘイマーは嬉しそうに咳払いをすると珍しく世間話しを始めた。
「私の最後の生徒がフェリシア様で光栄ですな。」
「まぁ、光栄だなんて大袈裟な。」
「イヤイヤ、私は王子たちばかり教えてきましたからな。ご令嬢との授業は落ち着きますよ。」
「まぁ、ご幼少の頃の殿下たちのお話しを伺いたいですわ。」
ヘイマーは再び咳払いをすると目を細め懐かしむ様に話し始めた。
「王太子のアーサー様はとでも真面目なお子様でした。私が教育係になった時にはすでに王太子としての自覚がおありだった様です。授業も熱心に受けられ非の打ち所がなかったのですが、時々相手を困らせる様な発言をして反応を見る事がありましたね。」
あぁ、やはり。
王太子様は昔からそうだったのね。
ヘイマーは続けた。
「ノア様は勉強が大好きでした。いつも復習はもちろん予習も完璧でしたので教える側として予定以上の準備をしなければなりませんでしたので大変でした。」
ノアお義兄様は想像つくわ。
「先生、マティアス様はどんな生徒でしたか?」
フェリシアが興味津々で質問をするとヘイマーは更に目を細め饒舌になった。
「マティアス様はですね、まぁ、呆れるぐらいやんちゃでしたよ。とにかくじっと座ることさえままならずペンを剣の様に振り回しておりましたな。」
ふふ、マティアス様はやはりマティアス様だわ。
フェリシアは思わず吹き出してしまった。
その様子を見てヘイマーもつられて笑い出してしまった。
二人で笑っていると扉を叩く音がしマティアス付きのロイドが入ってきた。
「ヘイマー卿、お妃教育中申し訳ございません。フェリシア様、王妃様とマティアス殿下からの伝言でございます。」
ヘイマーは構わないと手招きをしロイドを入室させた。
ロイドはフェリシアに二人からの伝言メモを渡すと一礼をしてすぐ退出した。
フェリシアは読むのが怖かったのでメモを受け取るとそのまま机に置いた。
いきなり二人からの伝言なんて。。。
一体何事?
何かお叱りを受けるのかしら?
今日はまだ何も粗相していないし
まさかルイス様とのことかしら?
ヘイマーはフェリシアが一向に伝言を読もうとしないのは自分を気遣ってのことだと思い授業を終了させた。
「では今日はこれで終わりにしましょう。」
「はい。ありがとうございました。」
「これからの季節は王室行事が目白押しですから貴方も忙しくなるのでしょうね。少し授業を減らしましょう。」
「私は大丈夫ですわ。」
「アハハ、貴方はまだお若いから。私はもう年寄りなので身体が持ちませんよ。」
ヘイマーはそう言うと笑いながら部屋から出て行った。
フェリシアはニッコリ笑いながらヘイマーを見送り彼の足音が遠ざかったのを確認するや否やものすごい早さで王妃からメモを開いた。
メモを読んだフェリシアは心臓が止まる程驚き口を手で覆うとしばらくその状態のまま固まってしまった。
待って、待って、待って。
今夜の晩餐をご一緒しましょうって
これ絶対に断れないでしょ!
王妃ヘレナからの伝言は紛れもなく晩餐の招待だった。
マティアスとの関係をスッキリさせる前に王族との晩餐はフェリシアには重荷以外の何物でもなかった。
フェリシアは鉛を背負ったかのように全身が重く感じられ次のマティアスからの伝言を読むのが怖かった。
彼女は震える手で開封すると深呼吸をしてから読み始めた。
読み進めるうちにみるみるフェリシアの頬は緩んでいった。
マティアスも王妃から急に晩餐の事を聞かされ慌ててペンを取ったのだった。
騎士団棟に行けばいいのね。
よかったわ、晩餐の前にマティアス様にお会いできる。
ちょっと安心。
きっとマティアス様も驚いたに違いないわ。
フェリシアは今日こそ絶対にハンカチを渡そうと何回も確認してから部屋を出ると、逸る気持ちを抑えながら騎士団棟へ向かった。
ついこの間まで何回も通った道がフェリシアを元気づけてくれた。
騎士団棟近くに行くとマティアスが棟の前でウロウロしながら待っていており、フェリシアを見つけるといつもの様に大きく手を振った。
マティアスのあの笑顔を見ただけで今まで胸の奥に溜まっていたモヤモヤが一挙に澄み切った気がした。
「マティアス様、申し訳ありません。お待たせしてしまったでしょうか?」
「いや、俺が待っていられなくて早く来すぎていたんだ。」
最初はよかったものの次の会話がお互いに見つけられず微妙な沈黙ができてしまった。
「あ、あの、ウィザードに乗って少し散策に行かないか?」
「は、はい。久しぶりなので楽しみです。」
マティアスはやっとの思いで切り出したが、緊張を隠せない二人は再び無言になってしまい沈黙のまま厩舎へ向かった。
何回か通った厩舎へ続く石畳。
道の両側は薄紫色のコスモスが揺れていた。
ちょっと来ない間にコスモスが咲いているわ。
もう秋になったのね。
厩舎に着くとマティアスは厩舎係のダンを呼びウィザードの準備を頼んだ。
「今日は天気も良く散策日和ですね。」
ぎこちない二人に気づいているのかいないのか、ダンは雲一つない青空を見上げながらボソッと言った。
「あぁ。」
マティアスは一言だけ言うとウィザードにサッとまたがりフェリシアが乗るのを手伝った。
ダンは丘に続く道の入り口まで手綱を引き扉を開けた。
「いってらっしゃいませ。」
二人が小さくなるまでダンは頭を下げていた。
無言状態はしばらく続きウィザードの蹄の音だけが聞こえた。
しばらく振りにマティアスと密着状態のフェリシアの鼓動は高鳴るばかりで会話のことなど考える余裕はなかった。
「前に案内した王都が一望できる高台まで行こう。」
またもマティアスが先に話しかけた。
「えぇ。」
フェリシアは頑張って会話を続けた。
「前回は丘一面が新緑で覆われていましたがだいぶ秋が近づいているのですね。葉が茶色になってずいぶん落ちていますわ。」
「あぁ、そうだな。。。」
マティアスは何か続けて言いたかったようだが口を閉じてしまった。
程なくお気に入りの高台に着いた。
マティアスが先に降りるとフェリシアを抱き抱えるようにして降ろした。
「わぁ、素敵。何回も見てもパルトの街並みは素敵ですね。」
「あぁ、そうだな。」
ぶっきらぼうなマティアスの返事にフェリシアは少しだけムッとした。
もう!
私だって頑張って会話しようとしているのにマティアス様ったらひどいわ。
するとフェリシアの心の声が聞こえたのかマティアスが口を開いた。
「俺はこういう時なんて声を掛けたらいいのかわからないんだ。」
フェリシアはびっくりしてマティアスの顔を覗き込む様に見た。
「マティアス様、どうされたのですか?」
「どう言えばいいのかな。今の俺たちには小さな溝がある様な気がするんだ。」
フェリシアは一呼吸した後ゆっくり瞬きをしてから答えた。
「はい。私も若干感じておりました。」
「俺にはフェリシアがよそよそしく感じらて仕方なかったんだ。」
マティアスは続けた。
「でも、何故なのか分からなかったんだ。最初はただ機嫌が悪いだけかと思っていたから。」
「はい、確かに機嫌が悪かったと思います。」
フェリシアの声がわずかに震えた。
「俺はフェリシアを大切にしなくてはいけないのに相変わらず女性のことには鈍くてね。」
フェリシアは胸がいっぱいになりながら聞いていた。
「フェリシアはシンシア嬢のことが気になっていたのだろう?」
フェリシアはビクッとしてマティアスの顔を見つめ首を縦に振った。
「彼女は宰相の娘だし俺としてはただ世間話しをしているだけのつもりだったんだ。」
マティアスの言い訳とも取れるセリフにフェリシアの瞳は次第に濡れていった。
「マティアス様はそのおつもりだったのでしょう。でも、シンシア様がマティアス様をお慕いしてたのはご存知でしたか?」
マティアスは「えっ?」と驚きを隠さなかった。
フェリシアは庭園パーティーでのこと、最近はいつも二人でいることを説明した。
「待って、俺から近づいた訳ではないんだ。気がつくと側にいるだよ。小さい頃から知った顔だし俺は王子という立場から無視することは出来ないんだ。」
マティアスは慌てて説明した。
「だからなんです! 公人としてのマティアス様を理解しなくてはいけないのに私は自分の感情ばかりが先走ってしまって。。。」
「フェリシア、そんな風に思っていてくれたんだね。ありがとう。」
「私、悔しかったんです。マティアス様が私の前では見せない笑顔をシンシア様の見せているのですもの。」
「悪かったよ、無意識なんだ。」
「ずっと悶々とした気持ちでマティアス様を見ていました。これって焼きもちですよね?」
「フェリシアに焼いてもらえるなんて幸せだよ。」
「私初めて嫉妬という感情を覚えました。嫉妬を知って改めて私はマティアス様をお慕いしていることに気づいたのです。」
フェリシアの緑の瞳はまるで湖に落ちた宝石の様にゆらゆら揺れている様に見えた。
「あぁ、フェリシア。。。」
マティアスは今まで見たことのない様な切ない表情をした。
それを見たフェリシアの目から涙が溢れ出た。
「フェリシア、抱きしめていい?」
返事を待つ前にマティアスはフェリシアを強く抱きしめた。
フェリシアはそっと瞼を閉じ身体をマティアスに預けた。
苦しくてもおかしくないのに何故が暖かくてふわふわした毛布に包まれている様だった。
「いいかいフェリシア。俺がこうして抱きしめたいと思うのはフェリシアだけだよ。」
「はい、信じていますわ。」
「何でも話そうって言ってたのに俺たちは会話が足りなかったね。」
「そうかもしれません。私も一人で勝手に決めつけていましたから。」
二人はお互いの鼓動を確かめ合うようにしばらくの間抱き合っていた。




