9.翔の提案
翌日の放課後。翔とミナコは、公園のベンチに腰掛けていた。彼は、ベンチの右端に、彼女は、彼の左側に人一人分の間を開けて。
翔は、図書室でミナコが横に座るのもドキドキものなのに、公園のベンチで座っているというシチュエーションは、否応なしに顔が熱くなる。
一方、異性とベンチに座って、ほんのり頬を染めるミナコだが、待ち合わせ時間を大幅に過ぎている傘行へ向ける言葉を、頭の中で予行演習するのも忘れない。
手厳しいことを言ってやろうかと、彼女が言葉を選んでいると、
「おや? 今日はカップルでご登場かい?」
正面に見える公園入り口から傘行が現れると思っていた二人は、後ろから聞こえてきた声に驚かされて、同時に振り返る。
すると、背後に広がる芝生の上で、いつの間にか、待ち人が立っているではないか。
「長編アドバイザー如きが何しに来たのか知らないけど、作家同士の話し合いに口出ししないでもらえるかな?」
挑発する口調の傘行が、ニヒルな笑いを浮かべながら、翔に近い側にあったもう一つのベンチへ向かう。
彼は、ショルダーバッグを左側へ投げ出して、真ん中に腰掛け、両腕を背凭れに置いてから、足を組んだ。
翔にとっては、前回のデジャブのようなシチュエーション。ベンチに座っている位置まで一緒。
初めて見るミナコは、態度がデカい傘行に対してムッとして、口撃の準備を始める。
しかし、先制攻撃は、傘行からだった。
「そういえば、君って、読専だっけ? 翔くんから聞いたけど」
「そうよ。読専で、なんか悪い?」
彼女が想定内の反応だったのか、傘行は、さして驚く様子もない。
「悪いとは言ってないけど、自分で悪い自覚あるんだ」
「……感じ悪い。それより、翔に全作品を書き換えろって、あなた、酷いこと言うわね」
傘行は、肩をすくめた。
「当然のアドバイスだよ。駄作を放置するのは、作者の罪だからね」
「彼に、また変な事アドバイスしたら、承知しないんだから」
「おいおい。いつから、翔くんの保護者になったんだい?」
「あのね――」
「いいから、黙っていてくれたまえ。話が進まないから」
「……じゃあ、言いなさいよ」
ミナコを黙らせた傘行は、咳払いをして、口を開いた。
「ねえ、君?」
「はい?」
「タイトルとあらすじを10作品書き換えたみたいだけど、力尽きたのかい?」
「……いや、宿題とかあって」
「言い訳か。それと、更新日付を見ると、1作品しか更新していないんだが」
「……はい」
「やる気、あんの?」
ミナコが、たまらず、身を乗り出した。
「ちょっと!」
「おい。読専は黙っている約束じゃないのか?」
傘行の冷たい視線に、ミナコは歯がみする。
「その前に、全面書き換えた作品は、読んでいただけましたか?」
「読んだよ」
「あ、ありがとうございます」
「最初の1行で、あ、こりゃ駄目だ、ってなったから、2行目以降は読んでいないけどね」
「え……?」
「何、あの書き出し。ダサすぎ。僕の貴重な時間を返してくれって感じだね」
「そんなに……駄目でした?」
「あのねぇ。どんな小説だって、作家は、1ページ目の最初の1行目に命をかけるんだよ。そこで、読者の心を掴むか否かの勝負がかかっているんだから」
「…………」
「初っぱなから、あ、こいつ、小説を馬鹿にしているって思ったよ。1行目は1000回推敲しな。出来ないなら、サイトから直ちに削除すること」
「ちょっと待って!」
立ち上がったミナコが、語気を荒らげる。
「何、その言い方! 書き出しの1行目に1000回も推敲なんか出来るわけないじゃない! それって、いじめじゃないの!?」
「口出すなって言っているのに、人の話、聞いてんのか?」
「出すなって言われても、こればかりは、見過ごせないわ!」
冷笑を浮かべていた傘行が、癇に障ったらしく、顔に怒りの色を浮かべる。
「あのな。なるぞの上位にいれば、出版のチャンスが必ず巡ってくる。つまり、なるぞは、職業作家の卵の集まりなんだよ」
「――――」
「残念ながら、志の低い連中も、なるぞにいるけどね。翔くんは、書いているのが楽しいらしいが、志が感じられなくて、何となく、そんな連中の一人に見えるんだ。上を目指すなら、厳しいことを言わないと、目が覚めないんだよ」
「好きで書いて、投稿して、何が悪いの? 私みたいに、職業作家を目指していない作家の作品を楽しんでいる読者も、多いはずよ」
「おいおい、サイト名見ろよ。『携帯小説家になるぞー』って、書いていないか?」
「――――」
「なれたらいいな、でもなく、なってみよう、でもなく、なるぞー、だからな」
「――――」
「翔くんの作品のいいねと評価は、何となく、一個人だけポチっている、やらせみたいに見えるけど、ページビュー数の少なさと感想ゼロが作品の質を物語っている。つまり――」
傘行は、自分の顔を指で差す。
「僕らみたいな、上を目指す作家から見て、読むに値しないと判断された作品、ってことさ」
「あなたは、なるぞの会員なの?」
「いや。転校初日に、投稿しているサイトをバラしたけど、聞いていなかったのか?」
「聞いたけど、なるぞにもいるのかと――」
「なるぞなんか相手にしないね。アカウント取ったら、オヤジに、めっちゃ怒られるよ。だから、翔くんの短編の感想欄に書けない。第一、会員以外、拒否ってるし。あ、それ以前に、最初の1行目で読むの諦めたから、書けないわ」
肩をすくめて再び冷笑する傘行。
「あのー、僕のために、言い争いしないでください」
膝の上に視線を落とす翔が、右手を肩の高さに上げた。
「とりあえず、全48作品のタイトルとあらすじを書き換えて、読者が『読んでみようかな』と思うかどうか、試します。検索用のタグも工夫します。まずは、それで様子を見ます」
そう言い切ってから、翔は、顔を上げて傘行を見た。
傘行は、腕組みをして、組んだ足をぶらぶらと揺らす。
「本文を書き換えるのは諦めたのかい?」
「まず、入り口の改訂の効果を見ます。ですから――」
翔は、ミナコの方へ顔を向けた。
「ミナコさん、僕の作品をしばらく読まないでください」
彼女は、渋々と頷く。それを見た翔は、再度、傘行へ目を向ける。
「一週間経っても変化がなければ」
「なければ?」
「短編を全部削除します」
「ほう」
慌てたミナコが声を上げる
「ちょっと待って、翔! それ、極端すぎるわ!」
しかし、翔は振り向かなかった。
「いえ。そのくらいの覚悟で頑張ってみますから、効果が出るはずです」
「なるほど」
「そして、効果が出たら、新作の長編をアップします」
翔の長編投稿の宣言に、傘行は、フフンと鼻で笑った。
「効果が出なかったら、長編も諦めな」
「はい。諦めます」
「なるぞのアカウントも削除」
「はい」
「よく言った。その言葉、忘れるなよ、なるぞの深海魚さん」
ヘラヘラと笑う傘行は、ショルダーバッグを手にして、去って行った。
ミナコは、傘行の背中を睨み付けると、すぐに翔へ顔を向けた。
「ねえ。アカウント削除するの?」
「売り言葉に買い言葉で言ってしまいましたが、不思議と、成功する自信があるのです」
「ホントに?」
「ええ」
ミナコは、言われっぱなしの翔が、自信に満ちた顔をするので、驚いた。
作家の心に、火が付いたのだろうか。
「ホントにホント?」
「はい。今回、傘行さんに言われて、48作品を見直したのですが、僕の短編って、思いつきでアップしていたなぁと、反省したんです」
「――――」
「厳しいことを言われて当然です」
「彼の言い方は、最低だけど」
「ははは。確かにきついですが。僕は、長編小説を、早くアップしたいので、頑張ります。何せ――」
「何せ?」
「……何でもありません。まあ、見ていてください」
頭を掻いて笑う翔を見て、ミナコは、彼が勝利を確信しているように思えた。