27.傘の雪
3ヶ月後。とある金曜日の放課後。
駅前にあるハンバーガーショップの2階で、傘行が四つ上の姉の教子と一緒にハンバーガーをほおばっていた。
2階は80席が入っている広さで、半分以上埋まっている。
二人は、階段から一番遠い壁側の席にいて、壁を背にする教子は、階段から上ってくる客と弟を正面に見る位置に座っていた。
店まで学校から歩いて20分の距離ではあるが、傘行と同じ制服を着た生徒は、チラホラいる。電車通学の生徒が、小腹を空かせて店に入ったのだろう。
「姉貴。二次選考通過、さすがじゃん」
「まあね。いっつも、そこから先が納得いかないけど」
ハンバーガーの包み紙を丸めた教子は、組んだ足を組み替えて、ジュースの残りを飲み干し、脱げかけた靴を、ぶらぶら揺らす。
「彼の長編、ついに完結したけど、ユッキーは読んだ?」
ユッキーとは、傘行のことだ。
「意地でも、読まないね」
「同じクラスの同業者なんだろ? 読んでやれよ。なんで、あたしだけに、読ませるんだよ?」
「だって、感想、うまいこと書くじゃん」
「感想ってか、間違いの指摘だけど。ユッキーにだって、出来るだろ?」
「当然」
「だったら――」
「いやなんだよ」
「なんで?」
「……あいつには、編集担当が付いているから」
傘行が口をとがらせ、小声になった。
「って、クラスの女の子だろ? 一丁前に、嫉妬か? ああん?」
「…………」
「図星って顔してるよ」
鼻で笑う教子は、ムッとした弟の顔が面白くて仕方ない。
「最初は、ボロボロで、読んでてイライラしてきて、ユッキーだったら最初の一行目で怒り心頭だろうと思ったけど」
教子が、タバコをポーチから取り出すので、傘行は「ここ、禁煙」と注意する。
「それが、改稿する度に良くなってきて。なんだ、実力あるんじゃんって」
「姉貴の指摘が利いたんじゃない?」
「あたし以外にも書かれていたから、どうだか」
「指摘で気付いて、全部直したから良くなった――」
「いや。タイトルの漢字は変えなかったし、空から水が落ちてきても、地面は水浸しにならないって、主人公に言わせたし。そこは、他人に言われたとおりに直すタイプじゃないって分かった」
「ふーん」
「スローライフには笑ったけど、本人もおかしいと思ったのか、全面書き換えたから、やっぱり、考えたんだろうな」
傘行は、顔の前で手を振る。
「いやいや。あれは、本人じゃない。編集担当がそうさせたんだと思う」
「なぜ分かる?」
「…………」
「やっぱり、嫉妬だわ。その顔を見れば分かる」
「うるさいなぁ」
「ユッキーも、真希ちゃんと続けていれば――」
「その話はやめてくれ」
傘行が真顔になった。
「あいつ、俺の小説に、いちいち口を出しすぎたんだよ」
「ユッキーのファンだったから、気になったんじゃないか? あたしだって、あの長編、読んでて変なところ、いろいろあったし」
「姉貴が口を出すのはいいけど、赤の他人が口を出すのは許せないんだよ」
「編集担当でも?」
「それ、出版社の?」
「あはは。どっちだろう」
「なんだ、それ」
傘行が、飲みかけのジュースを飲み干す。
「あれ以来、作者名を他人に明かすことは、やめたんだ」
「じゃあ、彼は、ユッキーの作者名を知らない?」
「当然」
「なるほど。……まあ、それにしても、彼の毎日更新は、凄いペースだったな。分量は多いし、ストーリーの組み立ても、うまかったし」
「――――」
「時々、突っ込んでやったけど、最後の方は、突っ込むのも忘れたよ」
「それ、没頭したってこと? 姉貴にしては珍しいじゃん」
「うん」
「でも、あいつの実力じゃないよ」
「編集担当――彼女の力って言いたい?」
「……そう」
「一人で悩んで格闘しているオレが一番偉いって言いたい?」
「そうだよ!」
教子が苦笑する。
「井の中の蛙でいたいんだったら、そうしな。イヤなら――」
「もっと他人の作品を読め。エンタメも勉強しろ、だろ?」
「分かってんじゃん」
傘行は、自分が翔へ向かって吐いた言葉を、姉に聞かされて、唇を噛む。
「ま、いずれにしても、ユッキーは、スランプを脱出する必要がある」
「…………」
「感想に、ぐちゃぐちゃ書かれて、しょげてる暇ないよ」
「でも……」
「でも?」
「あれだけ書かれると、気が重くなるんだよ!」
「それは、ユッキーの作品が注目されているからさ」
「てめえら、黙って、オレの小説を読めってんだ!」
「おいおい……」
傘行は、息が荒くなる。教子は、弟が息巻く姿を見て、ため息を吐いた。
「いい加減、人に当たり散らすの、やめな」
「してない」
「してる。うちだけじゃなく、学校行っても、してるんじゃない?」
「してない」
「自覚ないんだ……」
教子は、肩をすくめた。
「ねえ。笠の雪って言葉、知ってる?」
「重い物の例えだろ?」
「今時、笠を被っている人はいないから、アンブレラの傘に変えて、傘の雪でもいいが」
「その傘の雪が、どうかした?」
「一つ一つは、掌に載っても重さを感じない物でも、積み重なると、重くなる」
「――――」
「振り払っても、全部は振り払えない。また、降り積もって、重くなる」
「だから?」
「ん?」
「だから、書かれても諦めろって?」
「もしかして、感想の一つ一つを雪の結晶と思っている?」
「そういう例えなのかと」
教子が、ふっと笑う。
「違うよ。ユッキーのスランプの原因を考えな。それを振り払え、って言ってる」
「原因は感想なんだよ!」
「そうとも思えないが。……ん? ユッキーの制服を着た生徒が、カップルで入ってきたよ」
姉の指摘に、傘行が後ろを振り向く。
すると、ギョッとした彼は、姉の方へ向き直った。
彼が見たのは、肩を並べて2階へ上がってきた翔とミナコだった。
二人は、席を取るために上がってきたらしく、ミナコが階段に近いところにある四人分の空いた席を指差し、二人で座席にショルダーバッグを置く。二人掛けの席は、全部、一人に占領されていて、そこしかないのだ。
その後、翔は、階段を下りていった。
「何、その反応? もしかして、噂の人物、登場?」
「――――」
「へー。あれが、編集担当? ポニテ、可愛いじゃん」
「見ないでくれる?」
「やっぱ、そうか。どれどれ、『弟がお世話になっています』って、挨拶に行こうか?」
「やめてくれ」
困惑する弟を、からかって遊ぶ姉。
「彼が、あの長編の作者か」
「……そうだよ」
「ありゃ、編集担当に、こき使われるタイプだな」
「イライラするほど、口下手な奴だよ」
「ユッキーとは、大違いだ」
「当然。あんな深海魚とは、格が違う」
「その自尊心だが――」
教子は、短く息を吐く。
「スランプと関係していると思うから、考えた方いいよ」
「――――」
「それと、彼、もう、深海魚じゃないから」
「――――」
「十万単位のページビュー数だから。うかうかしていると、ユッキーに迫ってくるよ」
「俺は、百万単位! 追いつけるはずがない!」
教子は、色々と弁明する弟に耳を傾けつつ、ミナコの方へ目を向けた。
後から飲み物をトレーに載せて階段を上がってきた翔を観察し、二人の仲睦まじい姿に目を細めた。
「姉貴? 人の話、聞いてる?」
「ん? 聞いてる」
「後ろばかり見ている気がする」
「この位置だと、視界に入るから、仕方ない」
「やっぱ、見ているんだ」
「でも、話は聞いている。頑張っているのに、誰も分かってくれないって?」
「そうだよ!」
教子は、苦笑した。
「読者なんて、作者の頑張りなんか、関係ない。血が滲むように書こうが、鼻歌交じりに書こうが」
「――――」
「作品が全て。結果が全て。だから、スランプを乗り越えて、結果を出しな」
「――――」
「そして、エタらないこと」
「分かってる」
「ホントに?」
「当たり前だよ。オヤジが駆け出しの頃、エターナルを『永遠に残る名作』と勘違いして笑われた話を聞かされたから」
「永遠に残る書きかけ。あんた、多いわ」
「言うなって」
「大丈夫。あたしも多いから」
姉と弟は、同時に吹き出して笑った。
「じゃあ、頑張れ」
「うん。分かった」
「ライバルは後ろにいるし」
「あいつは、ライバルじゃ……」
傘行は、後ろを振り返ろうとしたが、とどまった。
「追いつかれるのが、怖いとか?」
「追いつけないくらい、突き放してやるさ」
傘行は、そう言って、心に誓った。




