2.作家と読者の出会い
翔が小説を書いていることは、つい最近、クラスメイトの一人が知るところとなった。
それは、彼自身が創作活動を宣伝したからではない。
放課後の図書室で本を広げていた彼が、急に思い立って、ポケットから取り出したスマホを本の右横に置き、作品の修正に夢中になっていたところを、最近転校してきた同級生の女生徒に目撃されたからだ。
彼女の名前はミナコ。ポニーテールが似合う、明るくて快活な女の子。
教室でアイドルやファッションの話題に花を咲かせる生徒の輪の中へ飛び込む一方で、本を読み始めると、作品の世界に没入して周りが見えなくなる一面を持つ。同じ趣味の相手に対しては、文学少女を自称するほどである。
一方、登下校時には必ず本を片手に読みながら歩き、昼休みと放課後は、図書室のお気に入りの椅子を定位置として座り、夢中で本を読む翔は、生徒から、小説が生活の全てかと疑いの目を向けられている。
中肉中背、癖毛のボサボサ頭、丸顔に黒縁メガネの彼は、教室では口数が少なくて目立たない存在だが、図書室では毎日同じところに座っている生徒として存在感が大あり。
そんなクラスメイトの行動が、ミナコの気を引いた。
図書室に通いつめるなら、文学少年とおぼしき生徒ではないかと。
教室で見ていても、大人しいは大人しいが、声をかけにくい雰囲気を醸し出している男子でもないし、本好きに悪い人はいないと信じている彼女は、声をかけてみようと思い、翔の背後から近づいていった。
放課後の図書室は、受付で暇そうにしている係の女生徒しかおらず、足音すら立てにくい。
悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女は、爪先立ちで忍び寄る。
近づくにつれ、異性に背後から接近するという緊張感が高まる。
一方の翔は、誰かが近づいてくるのも知らず、本の右横のスマホへ一心に文字を入力中。
本をどけて、スマホを体の正面に置けばやりやすいだろうに、横着をしているので、やや首を右方向へ向けている。
ミナコは、ついに、手を伸ばせば背中に届く距離まで近づいたが、視線は、引き寄せられるようにスマホの方へ。
何か、忙しそうに文字を入力している。
画面には、文字がいっぱい見える。
一体、何をしているのだろうと思った彼女は、よく読むために、体を右へずらし、身を乗り出した。
彼は、視界に斜め後ろの人の姿が映らないほど集中しているのか、全く気付く様子がないので、彼女は、大胆にも、画面へ顔を近づける。
と、その時、ついに人の気配を感じた翔は、直ぐさま振り返り、黒縁メガネにミナコの顔を映すと、一瞬驚いたものの、恥ずかしそうに笑う。
「見えちゃい――ました?」
「うん」
ミナコは、頷いて微笑む。
もちろん、文章を全部読んだわけではないが、始めの部分は少し読めた。なので、見えたと言えば見えたから、正直に返事をした。
一方の翔は、彼女が「証拠を掴んだぞ」とでも言いたそうな顔に見え、バレたと頭を掻く。
「……投稿サイトなのです」
訊いてもいないのに答えてくれる人の良さが、翔の顔から滲む。
緊張が解けたミナコは、投稿サイトと聞いて、心が躍る。
彼女の場合、投稿サイトと言えば、自分が入り浸っているサイト「携帯小説家になるぞー」しか頭にない。
なので、ミナコは目の色が変わり、思わず、口走ってしまう。
「え? なるぞの作家さん?」
なるぞとは、「携帯小説家になるぞー」の短縮形の一つ。他には、なるぞーがある。
彼女は、大声を出してしまいそうになったが、もちろん、受付の生徒と彼を配慮して小声で質問している。
それに対して、彼の反応は、
「……はい」
蚊の鳴くような声。
「すごーい」
「……あのー」
「はい?」
微笑むミナコを瞳に映す翔は、頬が徐々に赤くなる。
「なるぞーを知っているのですか?」
「もちろん」
「投稿したこと、あります?」
ミナコは胸の前で両手を振る。
「な、ないです。私、読専なんで」
「同業者じゃ――」
「ないです、ないです」
翔の視線は、ミナコの目から首の辺りへ。
「あ、ごめんなさい。ガッカリさせちゃって」
「いえ、ガッカリなんかしていません」
「――――」
「…………」
「あのー、聞いちゃっても良いですか?」
「何でしょう?」
翔は、もちろん、彼女が自分の作者名を尋ねようとしていることを知っている。
ここは正直に答えようと覚悟を決めて、ミナコを見つめる。
そうして、鼓動が一層高まるのを感じていると、
「なるぞでの名前は? あ――」
言ってから不躾な聞き方だと後悔したミナコは、言い方を訂正しようとしたが、翔は素直に応じた。ただし、蚊の鳴くような声で。
「……kake翔」
「え? もしかして、ローマ字のkakeに漢字の翔?」
「……はい」
「――――」
その名前は、自分のお気に入りの作家さん。
ブラウザの向こうにいる作家が、今、自分の目の前にいる。
何という偶然。
直立不動になったミナコは、辺りを見渡す。今は、自分たちを含めて、三人しかいない。
安心した彼女は、告白する。
「私、ファンです」
「…………」
椅子の音に気を配りつつ、ミナコの方へ体を向けた翔は、彼女の姿が眩しかった。
「――――?」
「……あ、ありがとうございます」
ゆっくりとお辞儀をする作家に、ミナコも深く頭を下げた。