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翔は、傘行の背中を見送らずに、スマホを取り出した。
「ねえ、何するの?」
「まずは、おかしな所を直そうと思って」
「え? あらすじを?」
「はい。ついでに本文も」
「今、ここで?」
ミナコは、呆れた顔で、翔を見つめた。
「ええ。この瞬間に、誰かが読もうとしているかも知れませんから」
「本文も、って、王国の名前も登場人物の名前も修正でしょう? かなりの量だと思うけど」
「置換を使います。一瞬です」
「時間かけなくていいの?」
翔の指の動きが止まった。
「じっくり考えた方が、よくない? 特に、名前は」
「…………」
「あ、ごめんなさい。困らせちゃったみたいで」
「いえ」
ミナコは、顔の前で両手を合わせた。
「そういえば、名前がおかしかった件、ごめんなさい。読者の私が気付くべきだったわ。彼に先に気付かれて悔しいけど、確かに、今思えば変。これって、私の責任よね?」
彼女は、自称文学少女が、あの程度の単純ミスに気付かないのかと、自分を厳しく責める。
作者に対して、ずけずけと言うのも気が引けるという遠慮があったのも事実だが、見過ごして他人から笑われる結果になるなら、もっとしっかり読み込んで指摘しておくべきだったと。
「いえいえ。ミナコさんは、謝らなくていいですよ。責任を半分背負ってもらうつもりは、ありませんから」
「でも――」
「読者として、意見をもらえるだけで嬉しいんです。校閲までやってもらおうなんて、考えていません」
「……そうなの?」
「はい」
「――――」
寂しそうな顔をするミナコ。彼女の顔に、すぐに反応する翔。
「あ、気付いたところは、どんどん言ってください。書いている方は夢中なので、用語の不統一とか表記の揺れとか矛盾とか、気付かないことが多いので、遠慮なく」
「うん、分かった」
ミナコに笑みが戻る。
「それにしても――彼は、モラハラの典型ね。ある意味、鑑よ。しかも、パワハラと合体技噛ましているし」
「あはは」
「笑い事じゃない。私なら、絶対に反発するわ。彼が売れっ子作家になったって――なるわけないと思うけど――彼の書いた本は手にしない」
「坊主憎けりゃ?」
「そう」
「でも、言っていることは、真っ当ですよ」
エキサイトするミナコは、両腕を広げたり振ったりして、高ぶる感情を表現する。
「そんなこと言うから、相手がつけあがるの! 分かる!?」
「…………」
「彼は、翔をいじめて楽しんでいるの! 見下して、悦に入っているのよ! 言っていることは真っ当に思えても、腹の中は真っ黒!」
「ミナコさん。落ち着いてください」
「落ち着いてなんか、いられないわ!」
一瞬、困った顔になった翔。
「10分待ってください。すぐに直しますから。そうしたら、3ページ目の内容をチェックしてください。今日中にアップしたいので」
「……うん。分かった」
冷静さを取り戻す彼女を見て、彼は微笑んだ。
「ここで立ち止まっては、僕の長編が止まってしまいます。とにかく、前に進まないと」
「そうね」
「今は未完成でいい。タイトルもあらすじも本文も」
「――――」
「アップするときは、気持ちは『完成版をアップするぞ』、ですが、アップすると『もっと良くしたい』と思うんです。それって未完成ってことですよね?」
「――――」
「作者って、そういうものなのです。欲が深いというのか、何というか……」
それから、指を忙しく動かす翔は、作業中に「他の人の意見も聞いた方がいいな」と呟いた。
「今、なんか言った?」
「ええ。他の人の意見も聞いた方がいいと思いまして」
「急にどうしたの?」
「傘行さんの意見だけでは、ある側面しか分からないのでは、と思ったからです」
腑に落ちたミナコは、「ああ」と言って、うなずいた。
「誰から意見を聞くの?」
「読者や同業者です」
「なるぞにいる知り合い?」
「なるぞーに知り合いはいませんが、感想欄に書いてもらおうかと」
そうは言うものの、48もある短編は、未だに感想が0件。もちろん、長編も、言わずもがなである。
感想を書いてもらうつてでもあるのだろうかと思ったミナコだが、それ以上は追求しなかった。
だが、この後、翔が取った行動が、話を思わぬ方向へ進めてしまうことになる。