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俺の名前は井手弘明。好きなものは、ついさっきまではあったが無くなった。まあそれは好きなものと言うより好ましいという意味で、いや、尊敬するという意味での羨望している人だったのだが。幻滅かと問う人がいればそうだとしか答えようがない。しかし、俺は、過去にその男が実際、俺の思い描いた人物であったことをこの目でしかと見た。絵に描いた餅ではない。俺はもとより幻想が好きではなかった。そんな俺の母は円熟していて、その懐に飛び込んだら確かに母の呼吸の息吹が、生の実感があった。夭折した父は公明正大な人物だったと母から聞いて、俺は幼いながらにもお似合いな二人だとはにかんだりもした。そんな母は能力者が跳梁跋扈し、専横を築いている最中に、その荒波にもまれて帰らぬ人となったのだが。母はどうかこの世がもう少し非能力者にとっても生きやすい世の中になるように願っていた。それはあるいは自己欲求のようなものなのかもしれない。しかし、彼女が言った「その方がもっと楽しい世界になるでしょう?」と言う言葉と、その魅惑的な微笑みには嘘があるように思えなかった。そんな母親が亡くなったのだから俺はさぞかし泣いたのだろうって?いいや、泣かなかったさ。その時の俺は憎しみに忙しかった。この世界をどう壊すかに忙しかった。と言っても、その時の俺は同様に今まで幸せに浸っていたドラ息子だったから能力も弱小だったわけだが。そんな時、偶々つけていたテレビに衝撃のニュースが流れた。なんと、独断専横を築いていた二つ名の一人が惨殺されたのだ。そのテロップとともに流れた映像にはぼさぼさの頭と無気力な眼光を宿した一人の人物が映っていた。その時の俺の衝撃はすさまじかった。何せ、そのころの二つ名は今のような憧憬の対象ではなく畏怖の対象だったからだ。そいつらをまず殺せるのかすら、俺たちは思ってもみないことだった。そんな中で流れた映像だ。つい気になった。俺はスマホでよりサーチしてみる。するとそこには二つ名を片手であやし、二つ名が逃げようとしたときに一瞬で屠る彼の姿があった。彼とは、そう、レンジャーのことである。見た目では俺と同い年なのになぜこんなにも勇猛果敢にふるまえるのか、ミステリアスな人物に映った。その映像になまじりを決して見入っていた俺は、気が付くと彼に憧憬の念を抱いていた。それからは憑き物に憑かれたかのように修練に明け暮れた。彼に追いつくためだ。そして結果がこれ、タッチャーとしての異名が付いた。しかし、それが終わるや否や、レンジャーは姿を消した。そして現れたら俗に塗れていたというのだから落胆を禁じえなかった。
ちょっとずつ投稿してみることにしました。




