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薬師マルコーの失恋

 その日もまた、騎士団長クロード・オードランは私の薬屋にやってきた。

 週に一回、閉店間際に彼はやってくる。

 夕暮れに染まりつつある街を背に、その銀色の長い髪の青年が店内に割って入ってくるのだ。


「いらっしゃいませ」


 私は儀礼的にそう声をかけた。

 クロードはこちらに一瞥すらなく、店内をぐるりと見回して、店の棚に置かれた干した植物や調剤済みの薬に視線を送る。

 店内に彼以外に他に客はおらず、今は従業員もいない。店主である私だけだ。


「いつもの物でよろしいので?」


 私がそう尋ねると、クロードはようやくその紫色の瞳をこちらに向けた。


「……ああ」


 ポーションを一本のみ。

 クロードのする買い物は毎回それだけだった。

 私は思考に引きずられて変な表情にならないよう気をつけながら、ポーションが割れないよう藁と紐でくるむ。

 騎士団長ともなれば王宮に薬をおろしている商会からポーションを手に入れることもできるだろうし、そもそも実践で使うなら一本じゃ足りないはずなのに。

 私の店のお客は一般市民かギルド登録者ばかりで、騎士団員がやってくることは彼以外ほとんどない。


「……ご自身で使われるのですか?」


 私は勇気をだして営業スマイルで聞いた。

 クロードは鼻で笑うと、そっけなく吐き捨てた。


「俺が使うはずないだろ」


 その態度に私は反感を持つ。

 クロード・オードラン。どうしてこんなに傲慢な性格なんだろう。そして神はヤツの見た目を良くしすぎだ。背中まである月光のような銀髪、端正な相貌。内面との落差で思考がグチャグチャになる。


「そうでしたね。無血のクロード・オードラン様ですから」


 私は嫌味を込めて、そう言った。

 クロードは私の四歳年上──弱冠二十歳でありながら、その類まれな才能で騎士団長にまで登りつめた。戦場ですり傷さえ負わないことから『無血のクロード』と呼ばれている。

 ──無血というより冷血でしょ。

 私は内心舌を出しつつ、ポーションを彼の前に差し出した。

 クロードは「当たり前だ」と言って、ポーションをつかんで足早に出ていく。

 誰もいなくなってガランとした店内で、私はため息を落とした。


「……じゃあ、どうしてポーションなんて買っていくのよ」


 何よりも腹立たしいのは、彼のことが気になってしまう自分自身だった。



◇◆◇



 ポーションには使用期限がある。七日を過ぎると効力が格段に落ちてしまう。長期間おいた物になるとお腹をくだしてしまう。そのため、ポーションの賞味期限は国の規定で七日に定められていた。

 ──だからクロードが週に一回買いに来るのは分かるのだけど……何のために買っているのかは分からない。


「無血なら怪我もしないでしょうに……」


 お客のいない店内で、従業員のルッツが私の呟きを聞き留めて片眉をあげた。


「なんです? またクロードさんのことですか?」


「ま、またって何よ!?」


 顔面が勝手に熱くなる。それを隠したくてパタパタと手で扇いだ。

 ──仕方ないでしょ!?

 救国の騎士で、容姿もあんなに良くて、市井に彼の肖像画や彼にまつわる物語が溢れかえっている。

 年頃の女ならば憧れない方がおかしい。

 興味のない振りをすれば『他人とは違う自分カッコイイ』の姿勢だと思われてしまうだろうほどの有名人なのだ。

 かくいう私も彼に会う前までは、ほのかな憧れを抱いていた。

 ──クロードがうちの薬屋にくるようになってからは、その想いは粉々に崩れ去ってしまったけれど……。


 ルッツは意地悪げに笑って言う。


「あんがい無血なんてのも、ただの噂かもしれませんよ。見栄を張っているだけで。陰でうちのポーションを使ってるんですよ」


 私は首を傾げて、唸り声を上げる。


「う〜ん……まぁ、確かにそう考えるのが自然だけど」


 でなければ、何故うちで買っていくのか。わざわざ騎士団員があまりこない城下町の店を選んでまで。

 ルッツは肩をすくめた。


「可愛いもんじゃないですか。男の見栄! そう考えると、あの澄ました面構えも愛らしく思えてきますね」


 一本しか買わないことには引っかかったが、私はルッツの言葉にうなずいた。

 自分が使ってることを隠したくて、きっとあんな返事をしたのだろうと。それならそうと素直に言えば良いのに。



◇◆◇



 その日の午後、ルッツに市場で買い物を任せていた。店に戻った彼は興奮して面持ちで開口一番に言った。


「フォルティナさん、さっき道で何を見たと思います!?」


 フォルティナ・マルコーが私の名前だった。

 私は首を傾げる。


「さぁ? また肉屋のメアルーさんの鶏が脱走したとか?」


「そんなんじゃありません! クロード・オードランですよっ! 彼が花屋から出てきたんです。花束を持って!」


 私は動きを止めた。


「……花束?」


「ええ! あれはきっと意中の女性か誰かへのプレゼントですよ! 花屋の店主に聞いたら、毎週クロードは花を買っていくとか……」


 私は押し黙り、手に持っていた薬草を紐で束ねて壁に掛けた。

 その後は夕方まで接客をしていたが、心の中は上の空だった。

 店を早めに閉めてしまおうと、一人で看板をしまっていたところで来客があった。クロードだ。


「……今日はもう閉店か?」


 少し意外そうな表情をして、クロードはそう尋ねた。

 いつもだったら閉店間際でも『大丈夫ですよ。どうぞ』と店内に快く招いていただろう。

 けれど、その時はどうしてもそうしようという気持ちが起きなかった。


「……すみません。今日はお引取りください」


 私がそう言うと、クロードはあっさりと身を翻して去って行った。

 ──どうせ、あなたには必要のないものでしょ。

 彼の背を見つめながら、ささくれだった心でそう思う。

 せっかく心を込めてポーションを作っているのに、彼にいらないものとして扱われているのが前から気に入らなかった。

 もちろん商品である以上、どう使おうと買った人の自由だ。だけど、それならこっちにも売らない自由があるはずだ。

 ──もしかしたらポーションは愛する女性に渡しているのかもしれない。そう思うと苦いものが込み上げてくる。

 分かっている。私はズルい。彼に売らないことで彼女へのプレゼントを阻止しようとしているだなんて。薬屋としても失格だ。

 私は今まで何も行動を起こしていない。彼に好きだと伝えることも、気持ちを匂わせることすら。

 それなのに相手に期待するなんておかしい。

 もしかしたら、わざわざこんな店にくるのは私に会いにきたんじゃないかって、ありもしない想像をめぐらしたりして……私が勝手に想像して浮かれていただけの話で。


「馬鹿みたい……」


 どんよりした曇り空からは今にも雨が降り出しそうだった。



◇◆◇



 それから閉店時間を早める日が続いたためか、いつも週に一回クロードと顔を合わせていた日々がなくなった。

 薬屋は他にもあるから、きっと他の店に行ったに違いない。

 その日、私は店番をルッツに任せて、広場近くのお客の家にポーションの配達に向かった。

 だが、不運にも家主は不在だった。店に戻ろうと踵を返した時──クロードと鉢合わせた。


「あっ……」


 クロードは無感動な瞳でこちらを見つめている。その手には花束があった。

 こんにちは、と営業スマイルで言おうと思ったのに言葉が出てこない。

 先に口を開いたのはクロードだった。


「……今日は何時まで店を開けている?」


「……さぁ? その日によって違いますから。早く閉めるかもしれません」


 クロードは私の返答に眉根をよせた。


「配達の帰りか?」


「ええ。ポーションを宅配にきたのですが、あいにく不在みたいで……」


 クロードは私が手に下げていた籠を見つめる。


「なら、それを今俺に売ってくれないか?」


「えっ……」


「今日も買えないのは困る。前にお前の店で買ってからポーションがもうない」


「…………」

 

 つまり、クロードは他のお店では買ってなかったということだ。

 たかだかその程度のことで心が躍ってしまい、私は己の頬をつまんだ。痛い。


「……何やってるんだ?」


 クロードは奇異なものでも見るような目でこちらを見つめている。


「……お気になさらず。売るのは構いません。……その花束は彼女さんにですか?」


 彼の手にある花束を見やり、私は尋ねた。

 どんな返事がきても受け入れる覚悟をする。


「いや……。亡くなった弟へだ。いつも買ってるポーションも」


 クロードの淡々とした受け答えに、私は固まった。


「支払いもあるし、ここではなんだ。場所を移そう」


 そう言われて、広場のベンチに二人で腰かけた。

 クロードには弟がいたのだ。

 ポーションとお金を交換しながら、ぼんやりと思う。

 ──だったら、彼女へのプレゼントなんていうのも私の思い過ごしで……。

 私は居たたまれなくなり、クロードに思いっきり頭を下げた。


「……ごめんなさいっ」


 自分がつくづく嫌になる。店主としての責務も放棄した上に、勝手な想像で拗ねてポーションを売らないだなんて……。

 クロードは何を謝られているのか分からないでいるようだ。


「お店を早くに閉めてしまって……せっかく買いにきてくださったのに」


「ああ、そのことか。それは別に気にしなくて良い。店の都合もあるだろうから」


 無愛想なのに、こちらを気遣うようなことをクロードは言う。

 もしかしたらクロードの不器用な言動を、今まで誤解していたのかもしれない。


「でも、弟さんへ贈るためのものだったのに……」


「……いや、正確に言うと弟への贈り物であり、俺のための物……になるかな」


 そして、クロードはゆっくりと話し始めた。




 クロードには三歳年下の弟がいた。昔から彼の後をどこにでもついてくる可愛い弟だった。

 クロードは騎士団長を夢見て、弟のカイも『それならボクは副長になる!』と同じ夢を語るほど仲が良かったそうだ。

 しかし、二人が大きくなるにつれて対立することが増えていった。

 クロードは幼い頃から武芸の神に愛され、若いうちから騎士団に入り、めざましい活躍をしていた。

 対する弟のカイは決して騎士団員として才能がないわけではなかったが、兄が比べるとどうしても見劣りしてしまう。そのため、両親や周囲からも見下されることが多かった。

 クロードは気まずくなり、二人が成長するにつれて距離は離れていったという。


「嫌われている……いや、憎まれていると思ってた。会えば細かいことで言い合いばかりになっていたからな」


 クロードは指を組んで、ため息を落とす。

 まだクロードが騎士団長になっていなかった一年前のある日、たまたま弟と同じ部隊で任務をこなすことになった。そして何の悪縁か、二組で森に入り魔物を狩ることが決まった時、カイと組むことになってしまったのだ。


『どうしてポーションを持ってこないんだ! いつも口を酸っぱくして言っているだろう。いざとなった時に必要になるんだって……!』


 カイは己のポーションは全て使い切っていた。クロードが持参していることをあてにしていたのだ。


『だから、いつも言ってるだろう。俺は怪我なんてしない』


『はいはい、無血のクロード様だからな!』


 道中はさんざん悪態を吐きあって、雰囲気は最悪だった。

 クロードは弟の忠告を無視して生きてきた。自分が兄なのに弟の言う通りにするのはしゃくに障るし、何より怪我をするのはそいつが無能だからだと当時は本気で思っていた。

 そして二人がそろそろ部隊に戻ろうとした時に、大型の魔獣と出くわした。

 これまで森で遭遇したことがないほどの獲物だった。心が湧き立った。

 勝てると思った。

 しかし、最後の最後で木の枝から飛び退く際に足を踏み外し、魔獣に食われそうになった。

 それを身をていしてかばったのが弟だった。

 カイは魔獣に下半身を喰われる大怪我をした。

 どうあっても助からない怪我であることは一目瞭然だった。

 しかしポーションがあれば結果は違っていただろう。

 ポーションを飲ませ、傷の止血をして部隊に戻ることができたなら、命は助かったに違いない。


(俺はどうしてポーションを持ってこなかったんだ……っ!)


 クロードは自分を責めた。


『カイ、どうして……』


 自分のことを嫌っているはずなのに。

 カイは口から血を流しながら笑った。


『ほら、俺の言った通りだろう。今度からポーション持ち歩けよ、ばーか……』


 そう最後まで憎まれ口を叩いて亡くなった。


 それ以来、クロードはポーションを持ち歩くようになった。

 クロードは深く息を吐き、空を見上げて言う。


「でも、あいつの遺言だから持っているだけだ。俺はあの日以外で必要を感じたことはない。……だから非番の日に弟の墓参りするたびに、賞味期限が切れたポーションをあいつに見せて『ほら、今週も必要なかったぞ。俺の言った通りじゃないか』って言ってやってるんだ。そのためだけに、俺はポーションを買っている」


 私は何も言えなくなった。

 素直じゃないなぁ、と思うけれど、それでもクロードは弟の言葉を守っている。これが彼なりの弔いなんだろう。


「だから……フォルティナの店が早くに閉まってポーションを買えなかった時に……俺は急に恐怖を感じた」


「え……」


「いつの間にか、俺にとって一本のポーションがお守り代わりになっていたことに気づいた。……自分はこれからもきっと怪我はしないだろう。けれど、ポーションを持っていないことで周囲を傷つけてしまうかもしれないと……そんな恐れを抱いた」


 私は戸惑いながら聞く。


「それなら何故、他の薬屋でポーションを買わなかったんですか?」


「お前の作るポーションが気に入っている。他のものじゃ駄目だ」


 そう言われて心臓が跳ねる。

 突然のクロードのデレに不意を突かれてしまい、熱くなる顔面を隠すためにうつむいた。


「俺自身は使ったことはないが……使わず処分するのももったいないからな。たまに部下に分けてやることがある。騎士団におろしているものよりお前のポーションは性能が良いと評判だ」


「あ、あぁ……そういう……」


 彼自身が使っているわけではない。とはいえ褒められて嬉しくないわけがなかった。

 締まりがなくなりそうな表情を意識して真顔にする。


「きっと……弟のカイさんもクロードさんがポーションを持ち歩いてくれるようになって喜んでいると思いますよ。たとえ貴方が無敵でも、人間いつどんなことが起きるかなんて分かりませんから」


 私は深呼吸してから、笑顔でそう言った。

 クロードは遠い目をしている。


「……果たして、そうなんだろうか。あいつは俺を恨んでいるんじゃないか?」


「クロードさん……」


「俺があいつだったら恨むだろう。向こう見ずなことをして俺が死んだって自業自得だとすら思う。あいつが俺をかばう必要なんてなかったのに……」


 クロードは視線を伏せた。うつむくような態勢に、泣いているのだろうかと思う。けれど涙は出ていない。

 弟の死から一年も経っているのに、彼の心の傷は癒えないままなのだろう。


「生きているうちに分かり合いたかった。兄弟なのに何もしてやれず、仲違いしたまま……あいつを殺してしまったのは俺だ」


 私は衝動的に彼の頭を抱きしめた。

 クロードの瞳が見開かれる。


「な……」


「貴方のせいではありません。きっと、クロードさんの気持ちはカイさんに伝わっていたと思います」


 でなければ、どうしてクロードをかばったのか。嫌いな相手にそんなことをするはずがないのに。

 クロードは黙り込んで、私の腕に手を添えた。

 そして私が我に返って彼から身を離すまで、ずっとそのままでいた。



◇◆◇



 その七日後、クロードはいつものように夕暮れ時に店にやってきた。

 後先構わず抱きしめてしまったことを思い出して私はぎこちない態度になってしまったが、クロードの方はいつもと変わらなかった。

 ──いや、いつもより少し表情が柔らかいような……?


「ポーションを一本。……それと、もしこれから時間があれば、お前を食事に誘いたいんだが」


 クロードはらしくなく照れたように笑って、そう言った。






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