愛妻家の王様は家族を優先したい
「誤解だ」
「とりあえず飲むから」
「やめろ」
「上手くいけば研究が進むよ」
「死んだら研究にならないだろう」
「死なないわ。眠るだけ。その後の研究はエヴァンに託すわ」
透明の小瓶をちゃぷちゃぷ揺らしながらアデルはニヤリと笑って言った。
「悪かった」
「認めるんだ?」
「誤解だ」
「ふーん。誤解なのに謝るんだ?」
「とにかく飲むな!!」
強い口調に一瞬怯んだ様子を見せたアデルから、エヴァンは素早く小瓶を取り上げた。
盛大なため息が背後から聞こえたので、エヴァンは胡乱な目つきでそちらを見た。
「ねぇ! さっきからなんで私の執務室で痴話喧嘩してるのかな!?」
ランドルフが、苛立った様子で金色の髪をくしゃくしゃと乱雑にかきむしった。エヴェンは面倒臭そうな目で暫く見つめたかと思うと、盛大なため息をついてから言った。
「あんたが、俺に身を固めろとか言い出したせいで、どこからか聞きつけた令嬢に連日のように迫られた挙句、誤解されてこうなってるんだからつべこべ言うな」
「不敬だよね!? 一応この国の王様なんだけど!!」
「威厳が全く無いからな。黙ってりゃ見目麗しい大国の若き王様なんだから黙ってろ」
エヴァンがジロリと睨む。
ランドルフは乱雑に書類に判を押しながらぶつぶつと文句を言った。
「これだから魔術師とか嫌なんだよ。そのご令嬢達は、魔術師の変人ぶりは計算にないの? 押しかけたところで手玉に取れるような相手じゃないのに」
執務室が居た堪れぬ空気に満ちたところで廊下からパタパタという足音が聞こえた。その音は止まることなく、執務室の扉が勢いよく開かれた。
「おとうさま!」
駆け寄ってきた金髪碧眼の美少女はランドルフめがけて突進した。後から来た護衛のサムが扉の外で、真っ青な顔で頭を下げていた。
「シェイラ! 淑女は廊下を走ってはいけないし、ノックもせずここに入ってはいけないよ?」
サムに手の動きだけで入り口で待機するよう指示したランドルフは、我が子可愛さに頬が緩まないよう必死でこらえていた。
「だってみんな足がおそいのだもの」
「うん、それはシェイラが無意識に身体強化かけてるから。普通の人は追いつけないから」
魔力を持つ騎士もいるが、それを幼児の護衛に使う程余裕のある者はそもそも騎士にはならない。行き先は魔術師団だろう。
そんな理由を説明したところで幼子には通じないだろうと思っていると、腕から飛び出たシェイラはアデル目掛けて突進した。
あと一歩のところでエヴァンに首根っこを掴まれた。
「エヴァン、おとなげない」
「シェイラ様、アデルに突進してはいけません」
「だって、アデルはいいかおりがするし、やわらかいし、かわいいから好きなんだもん」
「駄目です。アデルは一人の身体ではないのですから」
「えっ!? そうなの!? もしかして赤ちゃんいるの!? おかあさまといっしょ!?」
「そうですね」
聞いた途端、キラキラとした顔でアデルを見つめるシェイラは、アデルがあまり嬉しそうではないことに気付いた。
「アデルはうれしくないの?」
「わたしは嬉しいのですが……」
「もしかして、ちちおやがにんちしてくれないの?」
「姫様、一体どこでそういう言葉を覚えるのですか?」
アデルが嫌なものを見る目つきでランドルフを睨んだ。ついでにエヴァンからも睨まれている。
「どこの世に、好き好んで娘にそんな言葉を教える父親がいるっていうのさ! 私なわけないでしょうが!」
「おとうさまににんちしてもえなかったって」
「なんの話!?」
「おとうさまのあいしょうとなのるひとに聞きました」
「嫌な嘘だな!! ほんと誰!?」
シェイラの小さなかわいらしい唇から漏れた名前に、大人達は苦い物を飲み込んだような顔になる。
「とりあえず、シェイラは一度部屋へ戻りなさい」
「いやよ。おはなしのとちゅうだもの」
アデルの手を握ってブンブンと振り回すシェイラに、アデルは明日一緒にお茶を飲みましょうと声をかける。
約束よ!と何度も言いながら執務室を去った後は、大人達の深い溜息が漏れた。
「ランドルフ様、認知はされたほうが宜しいですよ」
「そんな覚えは無いし、愛妾なんて居ないから!」
「なんだ、お手付きか」
「私が愛妻家なのは、キミたちが一番知ってるでしょ!?」
ランドルフは疲れた顔で頬杖をついた。
「ねぇ、そんな事より、キミ達なんでさっさと結婚しないの? 私がエヴァンに結婚を勧めたのはアデルとって意味だけど」
エヴァンは苦虫を噛み潰した顔をして言った。
「何度も結婚をほのめかしたが断られた」
ランドルフは目を丸くし、アデルに何故断ったのと視線で聞いた。
「毎日アデルの顔が見たいと言うから、魔術師団で見てるじゃないって言いました。その次の日はアデルの淹れたお茶が毎日飲みたいというので、忙しくて嫌なのに仕方なく毎日淹れました。その次の日は毎日一緒にご飯を食べたいというので、同僚とのお昼を断り毎日共にしました。その次の日は……」
「わかった! 私がエヴァンのヘタレっぷりを忘れてたせいだね! 顔よし腕よし頭よし! 大人気の魔術師団長は好きな子に告白も出来ないポンコツだって思い出したよ! なのに何でキミたちやる事やってんの!? アデルは何も言わなくていいからね? やろうと言われたからとか言いそうで怖いからやめて? 子供まで作った癖に他の女性と結婚するのかって怒ったのはわかるけどさ、エヴァンが他の女性に興味持つと思う? 昔からアデルアデルアデルアデルってさ!! わかってるんだからアデルも素直になって? この結婚はもう王命にするから!! さっさと二人は結婚して? それから早くここから出てって?」
ランドルフが言い終えた頃には二人は見つめ合い、もうすぐ唇が触れ合いそうなところで転移魔法であっさり消えた。
「ハァ……」
なんの障害もないのに、なぜあんなに拗らすんだ?
気配を消して控えていた側近のギルに書類の束を渡して言った。
「今日のダニエル騎士団長との謁見は延期。今朝はマリエルの調子が悪かったし、シェイラが戻っているか気になるから私は部屋へ戻る」
「それは無理ですね。先ほど鬼の形相のダニエル騎士団長がカミロ魔術師副団長に掴みかかろうとして反撃をくらい、したたか腰を打ち付け喧嘩勃発との連絡が入ってます」
「馬鹿なの!?」
「犬猿の仲ですから。あの二人が絡むと謁見室は壊滅するかと」
「あえて日をずらしたのに、なんで鉢合わせるかな」
再びため息をついたランドルフは、テーブルに置いたままになっていた紅茶を飲み干してから立ち上がった。
「愛妾様の件はどうされますか?」
「紛らわしい言い方やめてね!? 愛妾じゃないからね!? 美形の愛人を斡旋しておいて。あの夫人は夫が高齢で甘いのをいいことに見目のいい殿方を漁ってる有名人だから。ありもしない関係を信じる人なんていないよ」
「相変わらず甘いですね~。陛下の子を身ごもったと、しかも認知なんて言葉を使ってシェイラ様にウソを吹き込んだというのに」
ギルは馬鹿にしたように鼻で笑った。エヴァンといい、ギルといい幼馴染は容赦が無い。
「この程度のことで不敬罪とか面倒くさいことしないよ、時間と書類の無駄」
「そんなこと言ってるからエヴァン様が拗らせたのでは? 結局王命にしちゃって陛下のお嫌いな書類を増やしたじゃないですか」
「煩いよ! いくらエヴァンでも求婚ぐらいできると思うでしょう!?」
思わずそう聞けば、ギルは『絶対無理でしょ』と呆れ顔だ。憎たらしい!!
ランドルフが謁見室へと着いた頃には、憮然としたダニエルと澄まし顔のカミロがソファーの両端に座っていた。ざっと見回し、部屋が無事だったことに安堵する。
二人は立ち上がりランドルフに礼をした。それを手で座るよう促すと、ダニエルが差し出した陳情書にザッと目を通した。
「前回の魔獣討伐の際の予算割り振りが魔術師団の方が多く、それが不服ってことかな? 対魔獣の時は仕方がないと思うけど?」
熊のような大男であるダニエルを見れば、頷きつつも反論した。
「魔術師団の活躍には敬意を表しております。私が申し上げたいのは、現地までの護衛、食料調達、宿の手配、土地の者達への謝礼としての食料の配布など我々の活動は労力と金がかかるのです」
「うん、そうだね。いつもありがとう、頼りにしてるよ」
「光栄に存じます。では予算を……」
したたか打ちつけて痛いであろう腰を必死に曲げて頭を下げるダニエルに、被さる形でカミロは声をあげた。
「意義あり! 貴殿らの活躍には私も敬意を表しておりますが、魔術とて無限ではありません。魔力が枯渇する者も出てきます。その場合、ポーションに頼る他ないわけですが、生憎高価な物ですから、我々とて無駄に予算を頂いてるわけではないのですよ。それに今回は団長と並んで魔力量の多いアデル様が前線に出られないとあって、かなりの数の魔術師が魔力切れをおこし、今の予算ですら到底……」
「意義あり! そもそも貴殿の謁見は今日の予定ではなかったではないか!!」
ダニエルの言葉に思わずランドルフも頷いた。カミロは澄まし顔で言った。
「申し訳ございません。売り言葉に買い言葉でつい余計な事を申し上げました。今日は団長からお預かりしたこちらのお薬を陛下にお届けする役目で参った次第です」
そう言って差し出された小瓶を、ランドルフは素早くポケットにしまった。先日エヴァンに頼んでおいた薬だ。こうして届けてもらえたのは有難いが、使いをカミロに頼むのは頂けない。先ほどのアデルとの執務室突撃がいかに突発的だったかはよくわかるが。
カミロは明らかに、ダニエルがいるとわかっていて此方に来てちょっかいを出している。
面倒くさい!!
「ありがとう、エヴァンにも宜しく言っといて。君の話は明日聞くから、今日のところは遠慮してもらえると助かるな」
ランドルフは笑顔でそう言うと、ソファーの肘掛けを掴んで居座ろうとするカミロを引っ剥がし、扉の外へ追い出した。
ダニエルは思わず目を見開いた。カミロは癖も強いが魔力も強く、力任せに追い出したくともダニエルでは先程のように反撃されて終わるだろう。
「私が王になって、騎士団がないがしろにされてるって感じてるなら、それは間違いだってことは伝えておくよ。騎士団が日々頑張ってくれたお陰で、この国はとても平和なんだ。それ故に、国王の一声で、国の全てが動く時代は終わったんだ。私の一存で予算は決められない。明日の会議で予算の件は提案しておくし、必要なら出席してくれていい」
ランドルフはそう言って、扉に手をかけたところで立ち止まり、ダニエルの方を見た。
「何か質問ある?」
「いえ……ご配慮に感謝致します……」
ダニエルは急いで立ち上がると、痛む腰を精一杯折り曲げて頭を下げた。
ダニエルと別れ、王族の居住区へ向かうべく急いだ。
時折すれ違う人に、何をそんなに急いで?という顔をされたが無視する。
足を止めて礼をする人には適度に頷いて通り過ぎたが、角を曲がったところで一番会いたくない人が待ち構えていた。
「エイジャー伯爵夫人」
「陛下! お会いしたかったですわ」
くねくねと、腰を揺らしながらやってくる様はちょっと怖い。
濃い化粧と強い香水の匂いが辺りに漂っていた。
ランドルフは来た道を三歩ほど戻り、メイドや侍従などが行き来している目立つ場所に躍り出た。
夜会のような格好の夫人と二人きりになりたくない。
それを察知した夫人は、大袈裟によろめいて、しな垂れかかろうと画策する。
今どきの令嬢はそんな手は使わないので随分と古風だとも言える。もちろん華麗に避けた。
運よく手すりにつかまり倒れずに済んだフリをしていたが、演技がクサ過ぎて通りかかったメイドが笑いをこらえるように口元を震わせていた。
「体調がお悪いようですね。お早くお帰りになられたほうがエイジャー伯もご安心なされるでしょう」
「まぁ、わたくしの体調が悪いことをご存知でしたの? 先程、姫様にお会いしましたら、何もご存知ないようで、ついうっかりお話してしまいましたのに」
夫人は、唇を手で覆いながら嘆いた。
なりふり構わず演技している様子に、妊娠は本当らしいと確信した。
嫌だけど、本当に嫌だけど、仕方なく書類が増える覚悟を決めた。
「ハネス」
控えていた護衛に声を掛けると、夫人を拘束するよう命じた。
「酷い方!! あんなにも愛して下さったのに!!」
喚き始めた声を聞きつけ、それまで傍観していた人々が足を止めた。
「王族に対する虚言は重罪ですよ、エイジャー伯爵夫人」
「何をおっしゃってるのかわかりませんわ!!」
「バーレ男爵家のアヒムでしたか? 金髪碧眼の美男子ですね」
暴れていた夫人がピタリと動きを止めた。愛人はかなりの数いるようだが、彼が一番のお気に入りだ。
艶かしい美貌でエイジャー伯爵の後妻になった夫人を、七十歳を超えた伯爵は甘やかすだけ甘やかしているが、さて。
伯爵の髪は今ではすっかり白いが、元々は黒髪、瞳の色も黒。夫人も同じく黒に近い髪と瞳だ。金髪碧眼は生まれないだろう。そもそも夫婦としての営みがあるかどうかすら怪しい。
「金髪碧眼の私に目星を付けたのでしょうが、貴女のことは調査済みですよ」
「嘘よ! 嘘! この間だってわたくしを激しく求められて!!」
「不敬だぞ!!」
ハネスがいよいよ声を荒げた。騒ぎをききつけ駆けつた騎士団員と共に夫人は連れて行かれた。騎士団とギルでなんとかしてくれるだろう。さすがにこれ以上は付き合えない。
「皆、騒がせたね。この城で働く皆が知っての通り、私は愛妻家だから色目を使ってもらってもそれに応えることはできないよ」
そう言ってウインクすると、侍従の一人が『陛下~! ウインクも古いです!』と言って笑わせてくれた。
夫人の古い演技を揶揄ってくれた上に、周りの雰囲気も良くなった。この侍従は今後重用しよう。
その後、マリエルのところへ———
行けるはずもなく、ギルに指示された従僕に捕まり、戻ってきたギルに散々嫌味を言われながら事後処理をさせられた。
終わった頃には辺りが暗くなり始めていおり、嫌でもため息が出る。
「若様~! 姫様が護衛を振り切って中庭で暴れてま~す」
軽い口調の影が、人気がなくなった場所で声をかけてきた。
幼い頃から付いている影は、ランドルフが王となっても若様と呼ぶ。
「若様じゃないって何度言えば————中庭ね」
「騎士団長の三男坊とやり合ってま~す」
「やり合ってるの?」
「それはもう派手に。護衛が間に合ってないんで急いでくださ~い!」
「はぁぁぁ……。ほんっと、魔力なんて、やたら持つもんじゃないよね」
そう言いながら、シェイラの魔力を感じる方へと転移した。
辿り着いた場所では、シェイラがダニエル騎士団長の息子のロバートの髪を鷲掴みにしていた。
暴力ダメ!絶対!
「やめなさい!」
「おとうさま! おしごとおわったの?」
「ロバート君の髪から手を離しなさい」
静かに言えば、シェイラは納得いかない顔をしながらも手を離した。漸くシェイラの元に辿り着いた護衛のサムが先程よりも青い顔をして二人の間に膝を着いた。ロバートは涙目で髪をさすっていた。
「謝りなさい」
「嫌!」
「シェイラ、暴力では何も解決しないよ。謝りなさい」
シェイラは右へ左へと視線を動かした後、小さな声でごめんねと呟いて下を向いた。
「ロバート君。シェイラが手を出してすまなかった。怪我はない?」
ロバートは気まずそうに頷いた。ランドルフはロバートと視線を合わせるように膝をつき、柔らかな茶色の髪の上に手を置いた。
「ありがとう。君が立派な騎士で良かった。シェイラはお転婆だけど一応レディだからね。お父上によく似て体格のいい君ならシェイラを振り解くなんてわけもなかっただろう。それなのに、怪我をさせてしまうかもしれないと思って我慢してくれたんだね。君を尊敬するよ」
ランドルフの言葉にロバートは涙の浮かんだ目をパチパチと瞬かせてから、コクンと頷いた。その様子にランドルフは思わず顔を綻ばせる。ランドルフは俯いたままのシェイラの小さな手を握り、視線を合わせるように覗き込んだ。
「シェイラ、なぜ怒られているのかわかる?」
「しゅくじょなのにロバートのかみをひっぱったから」
「違うよ、淑女だからじゃない。人として暴力はいけないって言ってるの。今回はロバート君が立派な騎士だったから怪我を負うことはなかったけれど、もしこれが他の子だったら、やり返されたりしていたかもしれないんだよ?」
ランドルフの言葉にシェイラはゆっくりと頷いた。
シェイラに仲直りを促すと、再びごめんね、と呟いてから小さな手を差し出した。ロバートは先程よりも大人びた顔でその手を握り返していた。
迎えに来たダニエルにもシェイラの行動を詫びると、何とも言えない顔をしたまま『お気になさらず』と言ってロバートと手を繋いで帰って行った。
「それで、私の小さなお姫様は、どうして喧嘩をしたのかな?」
「ロバートが、おとうさまよりきしだんちょうのほうがつよいっていうから」
「うん、そうだね。騎士団長はとても強いよ」
「シェイラのおとうさまだってつよいもん!! なんどいってもしんじてくれなかったんだもん!! おとうさまはつよいのに、まりょくだっていっぱい」
ランドルフはポロポロと泣き出してしまったシェイラを抱き上げて、背中をそっと撫でた。
「ロバート君も、シェイラと同じ気持ちだったんじゃないかな。自分のお父様は強いんだって、シェイラに知ってもらいたかったんじゃないのかな?」
「ロバートも?」
「そうだよ。ロバートにとって、騎士団長はカッコいいお父様なんだよ。事実、騎士団長はとても頼りになる立派な騎士だからね」
「知らなかった」
「うん、そうだね。今度一緒に騎士団の訓練を見せてもらおう。きっとビックリするよ。それに」
ランドルフはシェイラの涙を指でそっと拭う。
「ロバート君と、お友達になれるかも知れない」
「ほんとう?」
「本当だよ、ちゃんとお話をすれば、仲良くなれるはずだよ」
ランドルフは笑顔になったシェイラにホッとすると、片膝をついてジッと待っているサムに声をかけた。護衛の任を解かれると覚悟している顔だった。
「サム」
「はい」
「これからも引き続き護衛を宜しくね」
「えっ」
サムが思わず顔を上げた。
「君が近衛の中で一番足が速いし、剣の腕も立つでしょう?」
「いえ、そんなことは」
サムは戸惑いがちにシェイラの方を見た。
シェイラは世話をしてくれる人々に対し、好き嫌いを態度に出さないよう教育されてはいるが、それでもランドルフには手に取るようにわかる。有り余る魔力に伴うエネルギーが爆発してしまうだけで、優しいサムにとても懐いているのだ。
「娘がお転婆でごめんね」
「とんでもございません」
サムが深々と頭を下げる。
「じゃ、明日もよろしく。今日はもうこのまま私が連れて帰るから休んでいいよ」
そう言ってシェイラを抱いたままスタスタと歩いて行くランドルフの後姿を、サムは呆けたように見つめていた。
「ふふふ、今日の冒険譚はシェイラの確保が最後かしら?」
ランドルフの振り回される日々はほぼ毎日であることをマリエルは知っていて笑う。
一日の珍事を話している間に薬が効いて、果実水を飲めるほどに回復してくれた。
「一刻も早く薬を飲ませたかったのに、遅くなってしまって申し訳ない」
マリエルはシェイラの時より、魔力の強い子を妊娠しているらしく、エヴァンの『魔力酔い止め』を飲まないと、吐き気と眩暈で立ち上がることもできない。
「お忙しいのですもの、仕方ありませんわ。それに、わたしの魔力がもう少し多ければ、ここまで酔わずにいられますのに」
「いや、マリエルだってかなりのものだよ。エヴァンやアデル、それに私と比べては駄目だ」
ランドルフはマリエルの手をとり、励ますように撫でた。
「そんな顔をしないで、大丈夫だから。もうすぐシェイラが湯あみを終えてこちらに戻ってくるだろうし、そうしたら一緒に何か食べよう」
「あの子ったら、あんなに泥だらけで」
「遊びまわってたんだよ、君そっくりのお転婆さんだから」
「まぁ!」
マリエルが抗議の声を上げたところで扉がノックされた。入室を許可すると、困惑顔の侍女が山のような量のビーフジャーキーを持って来た。
「騎士団長様より、こちらの御品を陛下にとのことです。それと、お手紙を王女殿下にと御子息様よりお預かり致しました。……それと」
侍女は持ってきたビーフジャーキーをテーブルの上に積み上げながら眉を下げた。
「魔術師団長様がお見えなのですが」
「え!?」
「お通し出来ないとお断りしたのですが、来ていることを陛下にどうしても伝えて欲しいと仰ってまして」
「もしかしてアデルも来てる?」
「はい」
「これから親子水入らずでのんびりしようと思ってたのになぁ」
ランドルフがため息をつけば、マリエルが励ますように手を握り返してくれた。
「お薬のお礼を伝えたいですし、お会いしたいですわ」
マリエルの恩情により、王家の居住区の中枢に招かれたエヴァンとアデルは微妙な顔で向かいのソファーに腰を下ろした。
「凄い量のビーフジャーキーだな」
「ダニエル騎士団長からの贈り物だよ」
「へぇ」
「彼の領地の特産品だね、仕方ないからエヴァンにもあげるよ」
袋の一つをエヴァンに押し付けた。
ダニエルにとって、思うところのある一日だったのだろう。不器用な彼の顔が浮かんで、なぜだか少し心が和んだ。
「で、なに? 急用?」
「いや、その、アデルが」
「えっ、わたしが聞くの!? 信じられない!!」
「いや、待て、興奮するな、からだに障る」
「わたしは別に平気よ!!」
立ち上がったアデルに、エヴァンがたじろいだ。
碌な話じゃないな……。
そう察知したランドルフは、あげると言って押し付けたビーフジャーキーを取り返して袋を開けた。
もぐもぐ
ダニエルの領地のジャーキーは、味も香りも一級品なんだよね~。
「おい、ランドルフ、何とかしろ」
「やだよ、帰ってよ、もう君たちの痴話げんかは散々だよ」
侍女の運んできた酒に口をつける。
知らないフリを突き通そうと思う。
「わたしとアデルで話したらどうかしら?」
マリエルが微笑みながら言う。
アデルとエヴァンは顔を見合わせた後、アデルが頷いた。
それを見たランドルフは嫌な予感がして首を振った。
「マリエル、碌な話じゃないと思うよ」
「大丈夫ですわ。女性同士のお話ですもの」
「どうせ帰ったらアデルはエヴァンに言うよ? いいの?」
「わたしが直接言わなければ、それはアデルからのお話ということですもの」
そう言ってアデルと共に、マリエルの応接室の方へと行ってしまった。
女性二人が去った後、残された男二人はやることもなく黙々と酒を飲んだ。
エヴァンが図々しくもビーフジャーキーに手を出したところで呟いた。
「夜はどうしてる?」
「は? 夜は寝るでしょう、何言ってんの」
「そうじゃない、閨のことだ」
ランドルフは驚きに目を見開いた。
「もしかしてそんなこと聞きにきたの!?」
「からだに障ると断ったら、アデルが愛してないのかと怒りだして」
「ハーーー!?」
「大きい声を出すな」
「何言っちゃってんの!? そんなの医者か爺やに聞きなよ!!」
「アデルが体験談じゃないと信用できないと」
「医者も爺やも経験済みだよ! 安心して聞いて来なよ!! え!? 今もしかしてマリエルに聞いてるの!?」
立ち上がったランドルフに、エヴァンはバツが悪そうに頷いた。
「ちょっと、止めなきゃ!!」
ランドルフが叫んだところで、楽しそうなマリエルとアデルがシェイラと共に部屋に入ってきた。
「マリエルっ!!」
「はい?」
「もしかして質問に答えたの!?」
「えっ? ええ」
「嘘でしょ!? そういうのは夫婦の秘密なのに!!」
ランドルフが頭を抱えていると、シェイラが横に来て心配そうに顔を覗き込んでくる。
「おとうさま、だいじょうぶ?」
「…………だ、大丈夫だよ」
全然大丈夫じゃねーーーーーーーーーーー!!!!!!
もうやだ、変人魔術師夫婦とか、ほんとやだ!!




