80. 秋季北海道大会準々決勝 (vs稚内大沢)
*
準々決勝、試合当日の朝。
集合場所の岩見沢で本日のスタメンが言い渡され、その瞬間、菫さんが息を飲むのが、隣に居たカナにも分かった。
1番レフト、カナの直後に、菫さんの名前が呼ばれた。
2番セカンド、初めての上位打線である。
この打順変更はパフォーマンスなどではなく、変化球打ちが巧い菫さんに期待しての抜擢である事は、容易に推測出来た。
カナもそうであるが、パワーで劣る女子は変化球打ちに長けていないと、普通にレギュラーではやって行けない。
そして、もうひとつの理由もあるだろうと、カナは思った。
昨日の二回戦は、モーリーが2番セカンドでスタメンだった。
打つ方では1安打に進塁打ときっちり役目を果たし、セカンドの守備は雑な面も多少あったが、持ち前の身体能力と器用さで、そつなくこなしていた。
指導陣は、同じ打順と守備位置で、菫さんとモーリーを競わせる腹積もりだろう。
しきりに深呼吸をしたり、小刻みに両肩を上下させている菫さんの様子を見ると、菫さんもやっぱりソレを意識しているのかな、と思わせる。
カナが、幾分冷たくなっている菫さんの手を握りしめると、菫さんは初めて気付いたかのように驚いた感じでカナを見つめ、そしてぎこちない笑顔でぎゅっと握り返してきた。
――うん。これは、結構緊張してる顔っしょ。
チームメイトになってまだ三ヶ月ちょっとだが、同じ女子同士、合同練習でも合宿でもずっと一緒だったので、菫さんの事は多少なりとも分かっているつもりだ。
そんなわけで移動するバスの中、今日はカナが、菫さんの手を握って離さない番だった。
カナはずっと菫さんと手を繋いだまま、無邪気に微笑み続けながら、他愛ない話題で菫さんの緊張をほぐしていった。
*
メインの円山球場はナイター設備が無く、準々決勝は四試合あるので、今日に限っては札幌麻生球場と、会場を二試合ずつ分けて行われる。
栗夕奈月と稚内大沢の試合は麻生球場の第二試合だった。
試合開始直前、後攻になったカナは、レフトのフィールドに立っていた。
カナにとっても、栗夕月奈にとっても初めての球場であるが、守備に就いた以上やるべき事は決まっている。
短い練習時間の合間にカナは、グラウンドのコンディションや今日の風向き、クッションボールの跳ね具合など、事細かに次々とチェックしていった。
こうして忙しく立ち回っていると、無意識に身体は動いてくれるし、気分も落ち着いてくる。
この作業はいわば、守備時でのカナのルーチンワークとなっていた。
麻生球場の構造は、内野クレー舗装、外野天然芝で円山球場と一緒。
円山よりひと周りちいさく、その分フェンスの壁は高くなっている。
よじ登るのはゆるくなさそうだが、今日はカナンが先発なので、その機会もないだろう。
そして十月も半ばを過ぎた札幌は、既に晩秋だった。
朝夕は余裕で10℃を下回るし、さらにこの季節は曇りや雨が多く、昼になっても気温が上がらない。
早い年なら十月終わりには初雪も訪れる。
住宅地のド真ん中にある麻生球場では一切の鳴り物応援が禁止されていて、今日はブラバンもお休み。
到って静かな雰囲気で、試合は始まった。
今日もカナンは順調な立ち上がりで、伸びのあるストレートを軸に、先頭バッターを粘らせる事なく空振り三振に斬って取る。
だが1アウトから、ちょっとした事件が起きた。
2番打者はセカンドゴロ。
明らかに振り遅れの詰まった当たりで、さほど難しくない打球に見えた。
しかしそのボールを、セカンドの菫さんが盛大に弾いてしまったのだ。
菫さんの守備力を考えれば、普段なら起き得ないミスだった。
雰囲気では捕球の直前にイレギュラーバウンドがあったようだが、それでも菫さんなら、柔らかく肘を使ったグラブ捌きで、あそこまでひどく弾きはしないだろう。
記録はもちろん、セカンドのエラー。
*
開始早々に想定外のランナーを出した栗夕月奈だったが、今のカナンは、この程度で浮き足立つようなレベルのピッチャーでは、もはや無かった。
3番打者に対してストレートとカーブでポンポンとストライクを取り、三球めはアウトローいっぱいのストレート。
バッターとしては当然、手を出さざるを得ない。
カキン。
注文通りのゴロがセカンドに飛んでいった。
ほぼ定位置で守っていた菫さんが、軽く前進する。
菫さんの前を一塁ランナーが通り過ぎ、一瞬打球の陰になる。
しかし今度の菫さんは、落ち着いていた。
無駄のないフォームで捕球すると、ノーステップで二塁に送球。
ボールを受け捕ったショートのタッキーが二塁ベースを踏み、2アウト、そしてすかさず一塁へ投げる。
一塁もアウトで併殺成立、結局3人で3アウトチェンジとなった。
「やたっ、ナイスゲッツー」
カナはレフトの守備位置で、両腕を胸の前にちいさく挙げて、ぴょんと飛び跳ねていた。
さっきのエラーを取り戻すべく、わざとセカンドに打たせたフクローのリードも粋だったが、何よりそれに菫さんがきっちり応えてくれたのが、堪らなく嬉しかった。
ベンチに戻るカナンやタッキーが菫さんに駆け寄り、ささやかなグータッチを交わしていた。
一回裏、栗夕月奈の攻撃。
カナと菫さんは同時にバットを取り、ふたり並んでネクストサークルまで歩いて行く。
「菫さん、ナイスゲッツーでした」
「いやいやいや、その前のひどいエラーがあったからねえ。さすがに同じ失敗を二度するわけにはいかないっしょ」
そう言えるのは、菫さんが確かな実力を持っている証拠です――カナは無言のまま、笑顔で肯いた。
「同じサブマリンでも、真綾とはだいぶ印象違いますよね」
札幌暁星の一年、五月女姉妹の姉、真綾の事である。
右のアンダースローだが、身体を大きく捻って投げるトルネードサブマリンの使い手でもあり、カナとは認定試験、そして練習試合で何度も対戦した――真綾と沙綾、元気してるかな。
「石田くん、コントロールそんなに良くないよ。甘いボールは絶対来るから、それを狙お」
「はいっ」
ああ、菫さん、もう大丈夫だ。
カナは満面の笑みで応えると、その元気を保ちつつ、左打席に入った。
*
結論から言うと、いちばん甘いボールは初球に来た。
今日の一打席めは、石田さんに球数を投げさせるつもりだったので、バットが出そうになる処を我慢する。
結局は見送って、ボールがシュート回転しながら浮き上がっていくのを確認した。
1ストライク。
ボール、ボール、ストライクと来て、ファールをふたつ続けた。
七球めにようやくスローカーブが来た――これだ、これ。
この緩いボールを待っていたんだ。
カナは内心、舌舐めずりをしながら、コンパクトにバットを振り抜こうとする。
ところがカーブが、予想以上に大きく曲がってきた。
――うわっ、やっちゃったぁ。
カナの竹バットは微妙に芯を外され、インパクトの瞬間、ビリビリと激しい振動が響いてきた。
シビシビシビッ、バットを持つ両手が半端なく痺れる。
当たり損ねのショートゴロは、俊足のカナにとっては内野安打のチャンスなので全力疾走したが、惜しくもアウトになってしまった。
本塁ベースまでバットを取りに戻ると、次打者の菫さんが待ち構えていた。
「香奈ちゃん、珍しく打ち損じちったしょ」
「カーブが予想の2割増しで曲がって……少し落として来ました」
差し出された竹バットを、会釈しながら受け取る。
「ストレートは?」
「昨日の方が走ってたかな」
「そだね、ありがと」
手短かに遣り取りを終えると、菫さんはヘルメットを被り直し、打席に向かった。
菫さんの振りは、なかなか鋭かった。
少し内寄りの甘いストレートをセンター方向に運ぶが、ショートの好守に阻まれ、2アウト。
「菫さん、ナイスバッチ。惜しい、惜しい」
苦笑いの菫さんを笑顔で出迎える、カナ。
フクローも球数は稼いだが打ち捕られ、初回はともに、球場の雰囲気と同じく、静かな立ち上がりとなった。
しかし均衡は思ったより早く、しかも唐突に破られた。
二回裏、先頭打者ルイさんのバットから快音が響き渡る。
カキーン。
「やたっ」
「おおっ、行けーっ!」
カナを打ち捕った時とほぼ同じスローカーブを強振すると、打球はライナーとなって、一直線にライトスタンドまで届いて行った。
ルイさん、先制のソロホームラン。
「うわあ……いったいどうやったらあのボール、あそこまで飛ばせるんだよ……」
「ルイって野球だけは凄いからねえ、野球だけは」
呆れたように呟くフクローに、菫さんが苦笑いしながら応える――確かに女子のカナにとっては、異次元の打球だ。
このチーム、栗夕月奈は、強い。
ホームインするルイさんを見ながら、確信するカナであった。
覚え書き、準々決勝のスタメンです。
1(左)間柴 2(二)宮古 3(捕)鶴舞
4(右)長谷川 5(三)中司 6(一)北野
7(投)穂波 8(遊)滝川 9(中)硯




