8. カナンとカナ、桜を見ながら
*
帰り道は、カナン、カナ、フクローのいつもの三人だった。
「いやあっ、今日はびっくりする事だらけさあっ」
さっきからずっとフクローが興奮ぎみにまくし立てていて、ふたりが口を挟む余地がない。
しかもカナはあれだけ喋った後で放心状態だったし、カナンはカナンで、ずっと何か考え込む風に押し黙ったままだった。
「カナンはさ、何か吹っ切れたべ。フォームはマイナーチェンジ程度だけど、それも良かったな」
「あ、ああ……」
カナンは相変わらず生返事のままだ。
カナンもカナも、元々クセの少ないピッチャーだったから、投球フォームに大きな違いはない。
受けていたフクローも気付かないのは無理もなかった。
となると、以前のカナンと何が違うのかなあ――考えられるのは下半身の使い方と、後は……
「今日はカナン、迷いがなかったように感じたな」
フクローの言葉に、カナはああ、と合点した。
そうか。カナンとカナの大きな違いは、精神的な強さだ。
「カナンは身体作りが上手えから、あのくらいの球は放れてもおかしくなかったのさ。いつもは細けえ事を気にしすぎて、身体が縮こまってたけど、今日はそれがなかったな」
心の底から嬉しそうに、フクローがカナンの背中をバシバシ叩いている。
「この調子で、行け。カナン、お前なら栗高始まって以来の大エースになれる」
「おう――けっぱるさ」
以前からフクローはカナンに、お前は凄えピッチャーになる、と事ある毎に言ってくれたのを思い出す。
フクローの学力と経済状況なら札幌の高校に楽々入れたのに、周囲の反対を押し切って栗高に入ったのも、カナンと野球をしたいためだった。
*
「カナがあれだけ理路整然と説明したのも、大したたまげたなぁ。カナの野球センスは俺、認めてたけど――なんかこう、カナは、もっと本能的なプレイヤーだと思ってたさ」
ああ。フクローの分析は、多分当たっている。
「いやいや、慣れない事したから、心臓バクバクだったさあ。あー、こわい(=疲れた)」
少なくともカナンの時は、みんなの前でこんなに喋った経験はなかった。
「試験まであと一ヵ月、か――どう考えても急仕上げだけど、間に合うかい?」
「間に合わせるしか、ないっしょ。落ちたらまた一年間、足踏みだし」
ずっと下を向いて歩いていたカナンが、心なしかさらに項垂れた。
「そだな、確かにその通りだ。カナの口振りだと、プランはもう立ってるんでないかい?」
「うん――まず初めの十日間は、身体を徹底的にいじめる。だから週末の大会も行かない。50メートルを6秒前半で走れるようにする。次の十日間で、バントと守備の練習を徹底的にやる。走塁練習とダイエットは通しでずっとやる。最後の数日で、仕上げの調整かなぁ……」
「ふうん」
感心したように、フクローが顎を軽く上げる。
「カナ。お前、大したもんだ。試験受かれよ」
そう言うとフクローは、カナの肩に腕を回して、ガシッと抱き寄せてきた。
「うわっ」
抵抗するとかそんなレベルじゃなく、ちいさなカナは軽々と引き寄せられてしまう。
ピトッとくっ付いた頭が、フクローの顎にも遠く届かない。
ああ、女になっちまったんだなあ……と思い知らされる瞬間だった。
「試験受かって、一緒に試合出ような」
フクローが肩から手を外し、カナの髪を撫でる。
髪質の軟らかいカナの髪は、わちゃわちゃになる。
「うんっ」
「したっけな」
「うん、したっけ」
*
フクローと別れてすぐに、今まで黙っていたカナンが口を開いた。
「桜……見に行くかい」
一昨日、ふたりが事故に遭ったせいで見損ねた、栗川公園の桜だ。
橋を渡って、公園に通じる国道を横切って行く。
「ここだなあ――カナたちふたりが、車に轢かれたのは」
「ああ……そだな」
カナンの方から誘ったというのに、ほとんど喋ってこない。
公園の桜並木はほぼ満開で、散っていく花びらが、夕焼けの空にそのまま溶けてしまいそうだった。
北海道の遅い春を、世界中が喜んでいるように見える。
「うわあ……」
カナはそう言ったきり、言葉が出て来なかった。
そうしてカナが桜にみとれていると、空いていたベンチに、カナンがどっかと腰掛けた。
「カナン、座れ」
男の声のままだが、カナンのヤツ、すっかりカナに戻っている。
――少なくともカナは、そう思った。
「おう」
カナの俺も、カナンに戻り、隣に腰掛けた。ふたりきりなら、これまで通りのカナンとカナのままで居られる。
カナンになっているカナを見上げると、俺の方を見ずに桜をずっと眺めていた。
「なあ……カナンにまだ、お礼を言ってなかったっしょ。ありがとな、カナン、事故の時助けてくれて。カナンが助けてくれなかったらボク、死んでたかも知れなかった」
「なんもだ。身体は入れ替わっちまったけど、俺もカナも無傷だったからな――今んとこは、それでいいんでないかい?」
「まあ――な……」
相変わらず桜を見つめたまま、俺の方を見ようとしない。
*
「なあ……ボクはピッチャーとしては、未来がなかったかい?」
いきなり、そんな事を訊いてきた。
「カナンの考えでは、ボクが進もうとしてた道は……間違ってたかい?」
こっちが返事に窮していると、なおも畳みかけてきた。
そうだったのか――ずっと塞ぎ込んでいたように見えたのは、気のせいなんかじゃなかったんだ。
俺がいきなりピッチャーを諦めて外野手宣言したから、今までカナが必死にやって来た事すべてを、否定された気持ちなんだろう……
「――はっきり言わさしてもらうと、男子の中でやってくには、カナのピッチャーは正直キツい……だがな。カナ、今までお前が必死こいてけっぱってた事は、全然間違っちゃいねえのさ」
俺はグイッと身体を捻り、下から覗き込むようにして、眼を合わせた。
どうやら何かを言おうとして、唇を震わせるように動かしてはいるが、言葉にならないみたいだ。
そのままの体勢で、真っ直ぐにこいつの眼を見つめ続ける。
「いいか、何度でも言う。カナ、お前はいつだって必死だった。そんな努力が間違ってたなんて、これっぽちも思っちゃいねえ――これから俺がやろうとしてるプランだって、今までお前が鍛え続けた身体があるからこそ、実現可能なのさ」
下から見上げる格好にいい加減疲れたので、ポーンと足を投げ出しながらベンチに座り直した。
つかカナの身体、ベンチに深く腰掛けると足が地面に届かない。
「カナ。お前がこれ程までにピッチャーに拘ってる理由は、見当がついてんだ――少年野球、栗の樹球場で野球やった時、カナさ、栗川監督と話してたべ? あん時、何言われたんだ?」
「ああ、あれは忘れもしないさぁ――」
そう言うとようやく俺の方を見て、ゆっくりと表情を変え、切なそうに微笑んだ。
サッと夜を告げる風が吹いて、桜の花びらが、また舞っていく。
「『君、ほんとに良い球投げるね。将来が楽しみだね』て、褒められたのさぁ……」




