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8. カナンとカナ、桜を見ながら


 帰り道は、カナン、カナ、フクローのいつもの三人だった。

「いやあっ、今日はびっくりする事だらけさあっ」

 さっきからずっとフクローが興奮ぎみにまくし立てていて、ふたりが口を挟む余地がない。


 しかもカナはあれだけ喋った後で放心状態だったし、カナンはカナンで、ずっと何か考え込む風に押し黙ったままだった。


「カナンはさ、何か吹っ切れたべ。フォームはマイナーチェンジ程度だけど、それも良かったな」

「あ、ああ……」

 カナンは相変わらず生返事のままだ。


 カナンもカナも、元々クセの少ないピッチャーだったから、投球フォームに大きな違いはない。

 受けていたフクローも気付かないのは無理もなかった。

 となると、以前のカナンと何が違うのかなあ――考えられるのは下半身の使い方と、後は……


「今日はカナン、迷いがなかったように感じたな」

 フクローの言葉に、カナはああ、と合点した。

 そうか。カナンとカナの大きな違いは、精神的な強さだ。


「カナンは身体作りが上手えから、あのくらいの球は放れてもおかしくなかったのさ。いつもは細けえ事を気にしすぎて、身体が縮こまってたけど、今日はそれがなかったな」

 心の底から嬉しそうに、フクローがカナンの背中をバシバシ叩いている。

「この調子で、行け。カナン、お前なら栗高始まって以来の大エースになれる」

「おう――けっぱるさ」


 以前からフクローはカナンに、お前は凄えピッチャーになる、と事ある毎に言ってくれたのを思い出す。

 フクローの学力と経済状況なら札幌の高校に楽々入れたのに、周囲の反対を押し切って栗高に入ったのも、カナンと野球をしたいためだった。


「カナがあれだけ理路整然と説明したのも、大したたまげたなぁ。カナの野球センスは俺、認めてたけど――なんかこう、カナは、もっと本能的なプレイヤーだと思ってたさ」

 ああ。フクローの分析は、多分当たっている。


「いやいや、慣れない事したから、心臓バクバクだったさあ。あー、こわい(=疲れた)」

 少なくともカナンの時は、みんなの前でこんなに喋った経験はなかった。


「試験まであと一ヵ月、か――どう考えても急仕上げだけど、間に合うかい?」

「間に合わせるしか、ないっしょ。落ちたらまた一年間、足踏みだし」

 ずっと下を向いて歩いていたカナンが、心なしかさらに項垂うなだれた。


「そだな、確かにその通りだ。カナの口振りだと、プランはもう立ってるんでないかい?」

「うん――まず初めの十日間は、身体を徹底的にいじめる。だから週末の大会も行かない。50メートルを6秒前半で走れるようにする。次の十日間で、バントと守備の練習を徹底的にやる。走塁練習とダイエットは通しでずっとやる。最後の数日で、仕上げの調整かなぁ……」

「ふうん」

 感心したように、フクローが顎を軽く上げる。


「カナ。お前、大したもんだ。試験受かれよ」

 そう言うとフクローは、カナの肩に腕を回して、ガシッと抱き寄せてきた。

「うわっ」

 抵抗するとかそんなレベルじゃなく、ちいさなカナは軽々と引き寄せられてしまう。

 ピトッとくっ付いた頭が、フクローの顎にも遠く届かない。

 ああ、女になっちまったんだなあ……と思い知らされる瞬間だった。


「試験受かって、一緒に試合出ような」

 フクローが肩から手を外し、カナの髪を撫でる。

 髪質の軟らかいカナの髪は、わちゃわちゃになる。

「うんっ」

「したっけな」

「うん、したっけ」




 フクローと別れてすぐに、今まで黙っていたカナンが口を開いた。

「桜……見に行くかい」

 一昨日、ふたりが事故に遭ったせいで見損ねた、栗川公園の桜だ。


 橋を渡って、公園に通じる国道を横切って行く。

「ここだなあ――カナたちふたりが、車に轢かれたのは」

「ああ……そだな」

 カナンの方から誘ったというのに、ほとんど喋ってこない。


 公園の桜並木はほぼ満開で、散っていく花びらが、夕焼けの空にそのまま溶けてしまいそうだった。

 北海道の遅い春を、世界中が喜んでいるように見える。

「うわあ……」

 カナはそう言ったきり、言葉が出て来なかった。


 そうしてカナが桜にみとれていると、空いていたベンチに、カナンがどっかと腰掛けた。

「カナン、座れ」

 男の声のままだが、カナンのヤツ、すっかりカナに戻っている。

 ――少なくともカナは、そう思った。

「おう」

 カナの俺も、カナンに戻り、隣に腰掛けた。ふたりきりなら、これまで通りのカナンとカナのままで居られる。


 カナンになっているカナを見上げると、俺の方を見ずに桜をずっと眺めていた。

「なあ……カナンにまだ、お礼を言ってなかったっしょ。ありがとな、カナン、事故の時助けてくれて。カナンが助けてくれなかったらボク、死んでたかも知れなかった」

「なんもだ。身体は入れ替わっちまったけど、俺もカナも無傷だったからな――今んとこは、それでいいんでないかい?」


「まあ――な……」

 相変わらず桜を見つめたまま、俺の方を見ようとしない。


「なあ……ボクはピッチャーとしては、未来がなかったかい?」

 いきなり、そんな事を訊いてきた。

「カナンの考えでは、ボクが進もうとしてた道は……間違ってたかい?」

 こっちが返事に窮していると、なおも畳みかけてきた。


 そうだったのか――ずっと塞ぎ込んでいたように見えたのは、気のせいなんかじゃなかったんだ。

 俺がいきなりピッチャーを諦めて外野手宣言したから、今までカナが必死にやって来た事すべてを、否定された気持ちなんだろう……


「――はっきり言わさしてもらうと、男子の中でやってくには、カナのピッチャーは正直キツい……だがな。カナ、今までお前が必死こいてけっぱってた事は、全然間違っちゃいねえのさ」

 俺はグイッと身体を捻り、下から覗き込むようにして、眼を合わせた。

 どうやら何かを言おうとして、唇を震わせるように動かしてはいるが、言葉にならないみたいだ。


 そのままの体勢で、真っ直ぐにこいつの眼を見つめ続ける。

「いいか、何度でも言う。カナ、お前はいつだって必死だった。そんな努力が間違ってたなんて、これっぽちも思っちゃいねえ――これから俺がやろうとしてるプランだって、今までお前が鍛え続けた身体があるからこそ、実現可能なのさ」


 下から見上げる格好にいい加減疲れたので、ポーンと足を投げ出しながらベンチに座り直した。

 つかカナの身体、ベンチに深く腰掛けると足が地面に届かない。


「カナ。お前がこれ程までにピッチャーに拘ってる理由は、見当がついてんだ――少年野球、栗の樹球場で野球やった時、カナさ、栗川監督と話してたべ? あん時、何言われたんだ?」

「ああ、あれは忘れもしないさぁ――」


 そう言うとようやく俺の方を見て、ゆっくりと表情を変え、切なそうに微笑んだ。

 サッと夜を告げる風が吹いて、桜の花びらが、また舞っていく。


「『君、ほんとに良い球投げるね。将来が楽しみだね』て、褒められたのさぁ……」


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