78. 秋季北海道大会二回戦 (vs南札幌4)
*
3点リードで迎えた九回裏、2アウト満塁。
ホームランなら逆転サヨナラ負けを喫してしまう局面である。
タイムの掛かったマウンドには内野手が集まり、伝令役の恵沢さんが駆けて行った。
その輪の中にカナンが悠然と入っていく。
カバちゃんがカナンにボールを渡し、マウンドを下り、レフトに走って行く。
連合チームのスタンドからは、ささやかな拍手が起きた――お疲れ、カバちゃん。
そして恵沢さんはフクローとカナンに、何やら熱心に話し込んでいる感じだった。
「間柴。何の話をしてっか、興味あっか?」
食い入るようにマウンドを見つめていたカナの気配を察したのか、前を向いたまま佐内監督が呟いた。
「あっ、はい。興味あります」
「――鶴舞が言ってたんだけどな、南札くらいの進学校になるとさ、予習復習を完璧にこなすヤツ、多いんだと」
「そうなんですか」
中一までは札幌に居たフクローである、学業成績を考えれば、嘗てはそっち側の人間だった事は想像に難くない。
でも、それと今の状況と、何の関係があるんだろう。
「つまりさ連中、野球でも毎日の予習を欠かさねえ、てこった。うちと試合するにあたって、いちばん予習しときてえ事は、何だ?」
「あっ……」
これで話が繋がった。
「カナンの投げるボールを打つ事、ですよね?」
*
南札幌の立場になって考えてみれば、栗夕月奈相手に勝つためには、今や超高校級のピッチャーであるカナンを打ち崩す、それ以外に道はない。
「俺が向こうの監督だったら、えげつなく曲がる高速スライダーは捨てて、ストレートだけを狙わせるさ……きっと代打が出てくるだろうけどさ、そいつはこの二日間ずーーっと、穂波のストレートを打つ練習ばっかやって来た筈だぜ」
そうか……カナンのストレート、狙われてるのか。
「佐内センセは、南札のカナン対策がバッチリな事を見越して、マッチーとカバちゃん投げさせたんですか?」
「いやいやぁ、そりゃあ、たまたまだなぁ」
監督は前を見据えたまま、苦笑いした。
南札幌のベンチが動いた。
背の高いバッターが出て来て、右打ちで何度か素振りを始める――佐内監督が言った通り、代打だ。
「で、こっからが本題だ。今話してんのは、その確認事項なんだが……ストレートが狙われるって知ってて、穂波はどんな球投げりゃあ良いと思う?」
「えっ、あとアウトひとつですから……スライダーとカーブで山を外すのが良いんでないかな、と思いますけど……」
「ま、それも正解だな」
佐内監督はようやくカナの方を見て、微笑んだ。
マウンドから野手が散って、伝令の恵沢さんが戻って来た。
「フクローは全部分かってました」
「そうか……そんならあいつらに任せよう。恵沢、ご苦労さん、ありがとな」
佐内監督はそう言って、どっかとベンチに座り直した。
*
試合は大詰めも大詰め、そう思うと、カナは座っていられなくなった。
「カナン、頼むぞぉ……」
ベンチ内で立ち上がって、投球練習するカナンを、胸の前で手を組むお祈りのポーズで見つめている。
気付くと隣の奈月さんも、カナとお揃いのポーズをしていた。
カナンの豪速球はカバちゃんに比べるとトンデモなく速く見え、投球練習の時でさえ、一球投げる毎にスタンドからどよめきと拍手が湧き起こっていた――うん、調子は問題なさそうだ。
プレー再開。
初球、栗夕月奈バッテリーは、外いっぱいの速いボールから入った。
背番号14を着けた代打のバッターは、積極的にバットを出していく。
ブンッッ。
ストレートに思えたボールは、実は高速スライダーで、外に逃げていったボールに空振り、まずは1ストライク。
「よぉし、良い入りだぁ、カナン……」
カナの呟き通り、これで相手がストレート狙いなのも確認出来たし、何よりストライクもひとつ奪えた、最高の初球だった。
これで二球め以降は、ストレートでストライクを取る必要がなくなった。
カーブでタイミングを崩しつつゾーン内に投げても良いし、高めの速い球で空振りを誘っても良い。
そして折を見て、高速スライダーで空振りを奪えば、ゲームセットだ。
カナの頭の中では、フクローがどうカナンをリードするか、そのイメージがあれこれと巡っていた。
サインに肯くカナン。
一発で決まる辺り、バッテリーの意思疎通は完璧のようだ。
セットポジションから、二球め。
唸るようなストレート、しかしそれは失投とも言える、ほぼド真ん中のコースだった。
「うわっ、危なっ」
カナが一瞬、目をつぶる。
カキーン。
少しボールが浮き上がったのか、打球は真後ろのバックネットに突き刺さるファール。
「カナン、大丈夫かよぉ……」
カナは少し半泣きになった。
スコアボードの球速には150km/hと表示され、球場がにわかにどよめく。
*
そして三球め、カナンはまたも一発でサインに肯く。
クイックとは程遠い、ゆったりとしたフォームから、右腕が大きく撓り、振り下ろされた。
「うわぁあああああ、マジかぁーーい」
相手が虎視眈々と狙っているストレート、しかも、またもド真ん中。
この土壇場で、トンデモないコントロールミスだ。
当然のようにバットを繰り出していく、相手バッター。
見ていられなくなったカナは、思わず両手で顔を塞ぎ、それでも指の間から怖々と眼を開いた。
バシーン。
次の瞬間カナが見たのは、バッターが振ったバットの上をボールがすり抜け、フクローの構えたミットに収まった場面だった。
「――うそ……っしょ……」
マウンドを見上げると、カナンが涼しい笑顔で、右の握り拳をほんの少しだけ上げていた。
球速は155km/h。
間違いなく、今までのカナンの最速ストレートだ。
3アウト、ゲームセット。
栗夕月奈、8対5で準々決勝進出。
「――相手が狙い球を絞ってたら、その上を行くボールでねじ伏せる。間柴、これがもうひとつの正解だ」
我を忘れて立ち尽くしていたカナに、佐内監督が話し掛ける。
「さ、ボーッとしてないで行って来い。試合後の整列、あるだろ?」
*
栗夕月奈の勝利でベスト8の7校までが決まり、残すは本日の第三試合のみとなった。
勝った方が明日、準々決勝での対戦相手になる。
そんなわけで栗夕月奈のメンバーはすぐには帰らず、偵察を兼ねて球場に残り、試合観戦をする。
だがカナは試合後のインタビューが長引いた上に、その後のシャワー室で菫さんにとっ捕まっていた。
「もういいですよぉ菫さん、試合観に行きましょーよぉ」
「だぁめ、きちんと髪乾かさないとわやになるっしょ――香奈ちゃんの髪、やっこく(=柔らかく)てサラサラなんだから、お手入れには気を付けようよ」
――女子の着替えって、ほんと時間掛かるよなあ……
だがこうして、菫さんにブラシを掛けてもらいながらドライヤーの風を受けていると、気持ち良さのあまり、思わずうとうとしてしまいそうだった。
「香奈ちゃん、試合後のインタビューだけどさ」
「はい」
「三回裏のスーパーキャッチ、ずいぶん褒めちぎられてたっしょ」
そーなんですよぉ。
勝利を呼び込んだビッグプレー、とまで言われてしまいました。
野球ってそんな簡単なモノじゃあ、ないのに。
「ま、あのプレーは分かり易い結果が出てたからねー。香奈ちゃんが捕ってなければ南札に3点入ってたわけだから」
それはそうなんだけど、あそこで5対5の同点になっていたなら、六回辺りでカナンが登板して、まったく別の展開に……とも思ったが、こんな処でたらればの話をしても仕方がなかった。
「あの時の女子アナさんが言ってたんですけど、今夜の道内ニュースでカナの特集を組むそうなんですよ……ちょっと恥ずかしいなぁ」
カナの言葉に、菫さんの顔がぱあっと輝いた。
「えっ、そーなのっ?! そしたらニュース録画してもらうよう、家に頼んどこうっと」
カナの髪が済んだら、今度はカナが菫さんの髪を乾かす番だった。
女子の着替えは、まだまだ終わらない……




