76. 秋季北海道大会二回戦 (vs南札幌2)
*
大量リードを奪った直後の、一回裏。
マッチーの初先発、カナの初センター、カナンの初外野……と、栗夕月奈にとって不確定及び不安要素満載の、守備の始まりである。
投球練習の短い間に、外野でボール回しをする。
普段は守備位置からピッチャーをチロチロ見ながら、その日の調子などを確認したりするのだが、さすがに今日は自分の事だけで手いっぱいだ。
カナンが投げてきたボールがグラブにズドンと響き、その肩の強さに、改めて驚かされる。
――何てったって、道内随一の豪球投手だもんな……モノが違うっしょ。
以前は自分のモノだった身体だけど。
カナからボールを受け捕ったカナンが、ブン、と右腕を振り上げると、ノーステップでライトのルイさん目がけてボールを投げた。
ほぼストライクの遠投に、スタンドからどよめきが起きる。
受け捕ったルイさんがニヤリと笑うと、お返しとばかりにビューンと、これまたノーステップでカナンにボールを投げる。
この人もまた、全身バネのような、常識外れの身体能力の持ち主である。
見かけに依らず、肩だって強い。
それからは興に乗ってしまったのか、カナ素通りで、ライトとレフトの遠投合戦が、結局プレー開始まで続いてしまった。
何度も何度も、カナの頭上をボールが通り過ぎて行く。
「あんっ、もうっ、カナにもボール回せよぉっ」
カナとしてはブンむくれるしかない。
「わりい、わりい。肩の調子、ちょっと見ときたかったんだぁ」
そう言うカナンの顔は、ちっとも悪いと思ってない時の顔をしていた。
*
――気を取り直して、プレー開始。
先発の町谷は緊張していたのか、先頭打者に対し、はっきり分かるボール球をふたつ続けた。
二球めなんかワンバウンドだ……大丈夫か、こりゃ。
「マッチーっ! 腰だ、腰ーっ!!」
すかさずカナンから大きな声が掛かって、カナは少々驚いた。
香奈の頃は、そういう的確なアドバイスが出来るようなヤツではなかった。
――もっとも加南の場合、技術よりメンタルに問題があった、てのもあるなぁ。
マウンドのマッチーは後ろを振り返る素振りだけ見せ、帽子の庇に手を掛けて軽く俯いた。
確かに気が逸っていたのか、投球フォームが心なしか前のめりになっていた。
三球め、マッチーは腰を入れて体重を後ろに残し、左腕をしっかり振り下ろす。
力のあるストレートがバシーン、とゾーン内に決まった。
マッチーの投球内容は、けして悪くなかった。
だがここは全道大会、南札幌の打線は強力だった。
先頭打者は結局四球、送りバントでランナーを進め、3番打者の鋭いスイングがボールを捉える。
カキーン。
低い弾道のライナーがマッチーの足元を抜け、センターのカナに向かってくる。
――おうっ、早速かいっ。
前進守備のカナはダッシュし、低い態勢でキャッチすると無駄のない動きでバックホームした。
二塁ランナーは三塁を回った処でストップする。
1アウト一三塁で4番打者、高いフライがレフトへ飛んで行った。
定位置近くの、カナにとっては難しくないフライだが、レフトのカナンは案の定きょろきょろしている。
――頼むぞーカナン、捕れよおっ。
カナは祈るような気持ちでバックアップに走った。
カナンにしては慎重な体勢でキャッチ、これで2アウト。
それと同時に三塁ランナーが、ホームに向かってタッチアップする。
「ショートっ!」
カナが中継に来ているタッキーに送球するよう、指示を出す。
捕球の体勢が今ひとつ悪く、これではホームに送球しても間に合わないだろう。
それより、一塁ランナーを進塁させないよう、牽制する方が大事だ。
2アウトでもランナー一塁と二塁では、失点の危険度が全然違う。
*
だがカナンはノーステップのまま、ほとんど腕だけの力でホームに投げた。
ビューーーン。
トンデモないレーザービームがホームに向かっていく――だがわずかだが高めに逸れた。
キャッチしたフクローがミットを回し、慌てて滑り込んできたランナーにタッチしたが、判定は惜しくもセーフ。
4対1、早くも1点を返される。
幸いにも一塁ランナーは進塁せず、結果オーライだが2アウト一塁のまま。
「あーーっ、惜しいなあっ」
腕をぐるぐる回しながら悔しがるカナンに、カナがつかつかと詰め寄った。
「カナンお前、カナが指示出したの聞こえなかったかっ? 一塁もタッチアップしかかってたんだぞ」
今さら気付いたように、驚いた表情でカナンが振り返る。
「あ……すまん、集中し過ぎてて、聞こえてなかったわ」
「しっかりしろよっ、まったくはんかくさい」
カナは身体をくるっと反転させ、抗議のヒップアタックをカナンに向かって繰り出した。
ボンッ。
何とこの身長差だと、カナの尻がカナンの膝の少し上辺りに命中する。
しかも全体重を掛けて襲った筈なのに、カナンの強靱な足腰に、いとも簡単にはね返されてしまった。
「わりいわりい、気をつけるよ……でもさっきのさ、あとボールふたつ分低かったら、アウトだったっしょ」
「ああ、そうだよ。良いレーザービームだったさ」
ちっとも悪びれる様子のないカナンに背を向けて、カナはセンターの守備位置へ帰っていく。
ああ、そうだよ。
カナにはとても出来っこないような、凄いレーザービームだった。
カナン。お前がちょっと努力しさえすれば、カナなんか足元にも及ばない、スーパーな外野手になれるだろうさ。
*
二回表、早くもカナの二打席めである。
前打席では隙を衝いた形での初球セーフティバントだったので、同じ轍は踏むまいと、相手内野が明らかに警戒していた。
そんな処へわざわざバントを転がすようなフロンティア精神は、あいにく持ち合わせていない。
いつも通りお尻をプリッと捻って、ヒッティングの構えを見せる。
南札バッテリーは、カナを研究しているような配球だった。
徹底した外角攻め、しかもストライクかボールか迷うようなギリギリの処を、巧みに突いてくる。
見極めが大変な上に、カナの短い腕ではミートするにも一苦労だ。
古清水さんの投球術に四苦八苦しながらもフルカウントまで辿り着いた七球め。
変化球なのは、球速と雰囲気で分かった。
外角いっぱいの、おそらくゾーン内に落ちて行くボール。
それをイメージしてバットを振る。
ところがボールは、さらに外に逃げていきながら、地面すれすれまでストーンと落ちた。
――あちゃーっ、シンカーだぁ。
予想外の落差に対応出来るはずもなく、カナ空振り三振。
「うっそだぁ……」
思わず呟いてしまった。
あのシンカー、見送ればボールで四球。
是が非でも打ち捕っておきたい先頭打者に対して、セオリー的には投げるボールではない。
あくまでゾーン内で勝負するのが安全策である。
しかし、警戒すべき打者の勝負球には、その日のいちばん良いボールを投げる、これもまたセオリーである――この場面、南札バッテリーは、それを実行したに過ぎない。
セオリーは、ひとつだけとは限らない。
その事を改めて学んだカナであった。
*
この日の栗夕月奈打線は、特にクリーンアップが好調だった。
モーリーが打ち捕られて2アウトから、フクローがセンター前ヒット。
ルイさんの鋭い打球が一二塁間を抜け、フクローは好走塁で三塁へ。
そして5番チュージさんがライト前へ打球を運び、三連打で1点追加。
再び5対1の4点差とした。
「サンキュ……サンキュです……」
チェンジになり、ベンチに戻って来たクリーンアップの面々を、マッチーがぺこぺこと会釈しながら出迎える。
そんなマッチーの胸を、フクローがドン、と手の甲で叩いた。
「もっと、堂々としとけ? 今この瞬間、この試合はお前がエースなんだぞ」
エースはちょっと言い過ぎだが、ツッコむヤツは居ない。
中学時代は、加南とずっとバッテリーを組んでいたフクローである。
これも、気弱なピッチャーの操縦術ってヤツだろう。
「あ、ああ。俺、行けるとこまで行くさ」
マッチーがグラブをフクローから受け取りながら、歯を見せて笑った。
全道に進出するだけあって、南札打線は下位になっても振りが鋭かった。
私立に比べて道立は設備も劣るし、特に南札幌ともなると勉強だって大変だろう、練習時間も短くなる。
時間と人数の掛かる守備練習よりもバッティングに重きを置くケースが多く、勢い打撃のチームとなる傾向があった。
マッチーも夏の頃に比べると、球速も上がり、緩急もつけられるようになった。
しかし時々来る甘いボールを、南札のバッターは見逃してくれない。
二回裏もヒット2本で1点を失う。
円山球場のスコアボードにようやく『0』が刻まれたのは、三回表の時だった。




