74. カナ、初センター決定(もちろん野球の方)
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試合の翌日、朝起きると、やはりと言うべきか身体の節々に痛みはあった。
しかし嫌な痛みではなく、激しい運動をした後の、心地良い疲れのようなモノだった。
「おはよ」
今朝はカナがいちばん遅く起きてしまって、居間では既に朝食の用意が整っていた。
最後の皿を食卓に持って来た美香お姉ちゃんは、カナの顔を見るなり寄って来て、ぺたぺた触っては身体のあちこちを点検していく。
「香奈、どこも痛くないかい? 昨日のくるりんぱ、お姉ちゃんほんとびっくりしたんだから。野球にハッチャキこくのはいいけど、あまり無茶したらダメだかんね」
言っている事、やっている事は大真面目だけど、お姉ちゃん、顔で台無しになっている。
朝っぱらからカナを触り放題なので、どうしようもないくらいニヤけっ放しだ。
お姉ちゃんまで『くるりんぱ』と言っているのは、試合後のインタビューで佐内監督が、そう連呼していた影響だ。
道内のスポーツニュースでも、カナのくるりんぱが何度か放映されていた。
ちょっとだけ観ると、あたかもカナのファインプレーが栗夕月奈に勝利をもたらしたかのような報道だ――どう考えても勝ったのは、カナンの快投及びスリーランのお蔭なんだけどな……
カナ、昨日は4打数ノーヒットだったし。
テレビでは進行を務める男女のアナウンサーがにこやかに会話していた。
『間柴香奈ちゃん、可愛らしいですねー』
『間柴選手、なんと身長、145cmしかないんですよ』
いやいやっ、身長は145.5cmだからっ。
報道は正確にやってくださいなっ。
テレビの力は怖ろしいモノで、学校でもカナはちょっとした、時の人だった。
「おはよ」
「おはよ、カナ。くるりんぱ凄かったねえ」
あはは、サオリンまで言っている。
「今日は練習、休みかい?」
「うーん、ほんとはそーなんだけど、明後日試合だから。ちっとは身体動かすつもりだし、ボールも触ろうかな」
とは言っても、いざ野球を始めると、つい根を詰めてしまうので、疲れが溜まらない程度にセーブしなくっちゃなあ……そんな感じで考えていたが、まさか佐藤監督からあんな提案をされるとは、この時点では思ってもいなかった。
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「カナが? センターやるんですか?」
センターというのは、もちろん野球の方。
AK何とかなどの、真ん中に立って歌ったり踊ったりする方のセンターではない。
「ああ。佐内監督から相談があってな……明後日の二回戦、カナお前、センターでスタメンに出てくれ」
少し詳しく説明してもらう必要がありそうだ。
「えっと、スズがケガした、てわけじゃないんですよね?」
「ああ、俺はピンピンしてるさぁ」
いつの間にか硯が隣に来ていて、一緒に話を聴くことになる。
「ああ、悪ぃな。硯は守備固めで入ってもらう事になるだろうな」
「守備固め、ですか……センセ、それじゃレフトは誰が守るんですか?」
「穂波だ」
『カナンですかっ?!』
期せずしてカナとスズ、ふたりの驚く声がハモった。
カナンがレフトを守る――という事は、二回戦の先発投手はカナンじゃない、という意味以外の何モノでもない。
カナとスズは顔を見合わせる。
「それって、佐内センセの考えですか?」
佐藤監督も緊張したのか、鬼瓦もびっくりの怖い顔になって肯いた。
「明後日の先発は、町谷に投げてもらう。出来たら町谷と鈴野でゲームを作ってもらいたい、て話だ」
監督の説明が続く。
二回戦から決勝までは連戦が続き、五日で四試合という強行軍だ。
エースであるカナンの負担を少しでも減らしてやりたい、という理由がひとつ。
そして控えのピッチャー、マッチーとカバちゃんも、カナンの凄さに引っ張られたのか、空知支部予選を闘った先月よりも、ピッチャーとしてレベルが上がっている。
「確かに、マッチーもカバちゃんも、打つにはゆるくないピッチャーだと思います」
元々ふたりとも良い変化球を持っていたが、この夏で身体を鍛えた成果も現れ、球速が伸びて緩急を使えるようになった。
高校男子の成長曲線、てヤツである――カナは思わず、自分の右腕を見つめた。
「だからこそ、控えのふたりにも経験を積ませてやりてえのさ、それがもうひとつの理由。そしてその機会は、次の試合を置いて他には、ねえんだ」
カナとスズを見つめる佐藤監督の顔が、ますます怖くなった。
この人、緊張すると怒っている時よりも怖い顔になる。
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二回戦の相手は、南札幌高。
道産子なら誰もが知っている、北海道一を誇る道立の進学校である。
毎年150人を越える卒業生が、東大や京大、北大といった一流の国公立大学に進学を果たしている。
平均以上の成績をコンスタントに取っていれば北大くらいは入れるとか、いったいどういう世界だ。
で、この超進学校、野球も強い。
全道大会の常連校で、平成時代に南北海道代表で甲子園に行っている。
今大会の南札幌は、良くも悪くもオーソドックスなチームの印象だが弱いわけがなく、けして舐めてかかって良い相手ではない。
「賭け――ですよね……」
スズの呟きに佐藤監督の顔が信じられないほど怖くなり、ゆっくり無言で肯いた。
栗夕月奈は今や、カナン中心のチームである。
大崩れしないカナンが投げているからこそ、チームのみんなは安心して自分のプレーを思い切りやれている。
「で、なぁ。町谷と鈴野で勝つためにどうすれば良いか、佐内さん考えたんだろな。野球で勝つには、点を取る事、点を取られない事。佐内さんは、点をたくさん取る方を選択したんだ」
その結果、超攻撃的なオーダーを組む事になり、回り回ってカナがセンターを守る事になったわけだ。
今大会、空知支部予選の準決勝あたりから、ショートのタッキーにセンターのスズは、かなりの打撃不振に陥っていた。
栗夕月奈のセンターラインを守る要のふたりには、チームの内外野をまとめるという重責が担われていた。
タッキーにもスズにも、相当な負担が掛かっていた事は言うまでもない。
二回戦の構想では、セカンドに森が入り、2番を打つ。
ショートは滝川のままだが、打順を8番に下げて負担を減らす。
チーム一のスラッガー、カナンは外せないので、レフトに入ってもらう。
そして俊足のカナをスタメンに使うため、スズの居たセンターを守る。
そういうオーダーだ。
ふうーーぅ。
佐藤監督、カナ、スズ、3人とも長いため息を吐いた。
これはかなり危険な賭けである事は、誰もが本能的に分かっていた。
まず、頼みの打線だが、打撃というのはかなりの不確定要素を孕んでいる。
可能な限りの強力打線を組んでも、相手ピッチャーが神がかった投球をしてしまえば、手も足も出なくなる――野球とは、そういうスポーツなんだ。
さらに危険なのが、ディフェンスの弱体化である。
投手力の面では、カナンを休ませる事が前提のオーダーなので、これは仕方がない。
内野はおそらく大丈夫だろう。
セカンドの守備は菫さんの方が巧いが、モーリーだって守れなくはない。
問題は、要であるスズが抜ける外野守備だ。
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そもそも栗夕月奈は選手が14人しか居ないので、レギュラーが抜けた時のバックアップとして、個人個人が複数のポジションを守れるように準備はしてある。
カナだってセンターの練習はしてなかったわけではないし、練習試合で実際に守った事もある。
しかし先発ってのは、もちろん初めての経験だ。
素人目にはセンターもレフトも、同じ外野だから大差ないように感じるかも知れないが、まったく別のポジションである。
フライひとつ取っても打球の弾道が全然違うし、守備範囲から何から、すべて勝手が違う。
センターのいちばん奥からカナの肩で返球が果たして可能か、という懸念も生じる――毎回くるりんぱするくらいの覚悟で臨まないとならないかも知れない。
さらに問題なのが、外野は素人のカナンがレフトを守る、という事である。
中学まで香奈はピッチャーひと筋だったので、外野守備の練習などしていなかった。
カナンになり、選手層の薄さも絡んで、ようやく申し訳程度に守備練を始めたに過ぎない。
つまりカナンの守備力では、せいぜい自分の周囲に飛んで来た打球を処理するくらい、それ以上の期待は出来ない。
その分、慣れないセンターを守りながら、カナはカナンを何かにつけカバーする羽目になるだろう――実質ルイさんとふたりで外野を守る、という事だ。
「こりゃあ、ゆるくないね……」
そう言いながらスズの顔を覗き込むと、スズはカナを厳しい目で見つめ、首を振った。
「俺としちゃあ、複雑な気分さ? 佐内センセはセンターのスタメン、本職の俺よりもカナを選んだんだから」
「……スズは、良いセンターさぁ」
「よせよ」
だがスズの表情は、一瞬で和らいだ。
「まあ、そんな事言ってても仕方ねえな。カナ、グラウンド出ろ。俺がセンターの心構えとかいろいろ、教えてやるから」
「うわあ、スズありがと。大好き」
「もっとよせよ」
ベチーン。
照れ隠しなのか、スズが手のひらで思い切りカナの背中を叩いた――いててっ。
佐藤監督の顔もいつの間にか、鬼瓦から普通の人間に戻っていた。
「今日はな、これから穂波に外野のノックするんだ。付け焼き刃だけど、なんもしねえよりは、マシだろ……どうだ? カナもノック受けるか?」
「はいっ、お願いしますっ」
カナは元気良く返事すると、硯と連れ立ってセンターの守備位置まで駆けて行った。




