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2. カナンとカナのばくりっこ(取り替えっこ)


 俺たちふたりを轢いてしまったのは偶然にも、少年野球時代のコーチだった。

 コーチは真っ青な顔をして町内の日赤病院へ俺たちを運び、当直をしていたフクローの親父さんに診察してもらった。

 検査の結果、奇跡的にもケガはなかったが、念のため一日入院する事になった。


 それからは、ちょっとした騒ぎだった。


 まず泡食って駆けつけたのが、親父さんから連絡を受けたフクローだった。 

 フクローは病院のすぐ傍に住んでいるから、診察前にはもうやって来て、ずっと俺たちに付いていてくれた。


 その次にやって来たのが、俺の母親と、弟の開土かいと

 当然のように、カナの中身が入った俺に向かって心配そうに話し込み、おそらく仕事中の親父に連絡をしている。


 そして少し遅れて、間柴のお祖母さんにおばさん、そして姉の美香みかさんがやって来た。

 駅前通りで『間柴呉服店』という名の、普通の洋服屋を女手でやっているので、店を閉めるのに時間が掛かったんだろう。


 間柴のお祖母さんにおばさんは、元気そうな俺――つまりカナ――の姿を見ると、涙をぽろぽろ零し始め、美香さんがカナに抱きついてきた。

「香奈っ――! 香奈っ、大丈夫? もし香奈に何かあったら、あたし……」

 美香さんもそれ以上は言葉にならず、しばらくは嗚咽の漏れる声だけが聞こえる。


 ずいぶん大袈裟な反応だと思ったが――あ。だいぶ前に確か、間柴のお祖父さんが、交通事故で亡くなったんだよな……それでか。


 それにしても、抱きついてきた美香さんの感触が、どう考えても俺には未知の領域だった。

 栗高三年、弓道部の副主将をやっている間柴美香さんは、みんなが憧れる栗高のマドンナだ。

 才色兼備、文武両道。

 弓道部では今年の女子のエースで、全国も狙える腕前だそうだ。


 背だってチンチクリンのカナとは全然違って、スタイルも良い。

 カナだって、顔立ちは美香さんの妹だから、見ようによっては結構めんこい(=可愛い)んだけどな……


 間柴の人たちの気持ちを和らげようと、俺はにっこり笑ってみせる。

「なんもさぁ、大丈夫だよぉ……カナが悪いのさ、カナがいきなり国道に飛び出したから……」


 ところが美香さんが真顔でずいっ、っと顔を近づけてきた。

「あんた、大丈夫じゃないね? 男言葉がすっかり抜けちゃってるじゃないかい?!」


 ぎくぅ。

 中身がすっかり入れ替わっちゃってるわけだから、確かに大丈夫じゃない。

 女の勘の怖ろしさってヤツを思い知らされた。




 明くる日の朝。

「おはよう」

「――おはよ」

 カナンとカナ、互いに少し疲れた顔を、つき合わせる。


 ちいさな町だから、噂が駆け巡るのは早かった。

 その日のうちに、野球部の佐藤監督、担任で野球部部長の高橋先生、三年の主将広田(ひろた)さん、中学時代の先生に少年野球の人たち――とわんさか見舞いに押し寄せ、絶対安静なのに何やってんですか、と看護師さんに追い出される始末だった。

 お蔭でまったくの無傷なのに、だいぶ気疲れが出てしまった。


 朝の回診で晴れて安静も解け、こうしてふたり並んで、談話室の椅子に腰掛けている。


 先に口を開いたのは、俺――今はカナ――だった。

「カナ……ン、どう思う? 今の状態」

 自分の名前を他人のように呼ぶのは、ずいぶん違和感があった。



「どう、って――車に轢かれたショックで、ボクたちの身体、ばくりっこ(=取り替えっこ)なってるさぁ……」



 しばらくの沈黙が流れた。

 試しにカナの両手を、わしゃわしゃと動かしてみる。

 自分の身体じゃないクセに、自分の身体のように思い通りに動いてしまう。


「これ、さぁ――」

「ん」

「完全にばくりっこしてるべ……」

「そだなぁ……」

「も一回、一緒に車に轢かれたら、元に戻るんじゃないかい?」

「死んじゃうっしょ」


 昨日の事故は、当たり処から着地まで、完璧に運が良かったとしか考えられなかった。

 少なくとも間柴の人たちの、昨日の慌てようを見たら、同じ事を出来る筈がなかった。


『――はぁ…………』

 俺たちは同時に、深いため息をついた。




 先に立ち直ったのは、カナ――今は俺――の方だった。

「仕方ない、元に戻る方法は後で考えるさ。それより今日から、ボクがカナンとして、カナンがボクとして生きるために、家族とかの知ってる事、全部話そ」

「ああ……そだな……」

 カナのかなり上方から、俺の顔がヌッと睨んでくる。

 ――こんなに身長差って、あったんだ。


「まずは、そのはんかくさい返事、直せ? ボクじゃないって、すぐバレるさ?」

「そだな――ごめん」



 まずは、穂波家から。父母、弟の四人家族。

 父は道民だが、母は実は内地の人だ。

 北大農学部出のインテリだった父は、仕事で栗川の農業に携わっていた時、旅行中だった母と知り合い、結婚した。

 現在はふたり農業の会社に勤めて、詳しくは知らないが、栗川特有の赤玉ねぎなどを研究、栽培している。

 基本は共働きで、弟の面倒を俺がみていた。


「お前、カイトちゃんの面倒みてたんだ? ――偉いなあ」

「なんもだぁ――それよりカナ……ンお前、飯作れっか?」

「んな? まあ、なんとかなるっしょ」


 弟の開土は、中一。

 俺の影響で少年野球に入ったが、程なく辞めてしまった。

 今はサッカーの方が良いらしい。

 親戚付き合いは、父が札幌、母が内地で、交流は法事の時くらい。



「そんな感じさ」

「そしたら次は、ボクの方だな」



 間柴家は岩見沢が本家で、戦前に栗川に来て、駅前通りにちいさな呉服店を開いた。

 以降、戦争による閉店はあったが、行商などをして持ち直し、細々とだが現在に到るまで商売を続けている。

 計算すると創業80年以上になる老舗だが、実態は田舎の寂れた洋服屋で、自宅を兼ねている建物も、かなりガタが来ていた。


 店は祖母と、末っ子の嫁である母親のふたりで切り盛りしている。

 父親の仕事場はしばらく北広島だったが、道東に転勤になって単身赴任中だ。


 香奈は、三人兄妹の末っ子。

 上の兄は弘前大に在学中で栗川には居ず、祖母と母、長女の美香と次女の香奈の、実質四人暮らし。

 父の兄姉が多く、ちいさい頃は従兄姉がよく遊びに来たが、最近は成人して訪ねてくる事も少なくなった。


「ボクの方も、こんな感じ」

「――オッケ。あとは自分の部屋とか、荷物の置き場所とか、出来るだけ思い出して書いておくかい」

「そだな」


 俺たちは再度、脳のCT検査をしたが、異常はない、と言われた。

 どうやら身体の入れ替わりは、現代の医学では分からないモノらしい。

 そしてその日のうちに退院を言い渡された。


 退院した俺たちは、それぞれの家に帰っていく。

 カナは穂波加南として、俺の家だった処へ。

 そして俺は、間柴香奈として、駅前通りの間柴呉服店へと。



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