表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/184

1. 練習試合の後に


 北海道の春は、遅い。


 道央に位置する過疎の町、栗川町では、五月のゴールデンウィークも終わりに差し掛かっているが、一週間前にようやく桜が咲き始めた処だ。もう数日で満開になるだろう。


 道立栗川高校野球部は、練習試合――今春開幕戦、つまり俺たち一年にとっては高校デビュー戦――を終え、陽が傾いた舗道を三人、帰途に就いている最中だった。


 俺は、穂波ほなみ加南かなん。ポジションはピッチャーで、今日は二年エースの北野さんの後を受け、リリーフした。

 そして鶴舞つるまい福朗ふくろう。日赤病院の先生の息子で、中二の時に札幌から引っ越してきた。ポジションはキャッチャー。

 ツルでフクロウなので、ツッコミどころ満載のネーミングだが、文武両道のイケメンなのでからかうヤツはほぼ皆無。そんな事すると、一年女子ほぼ全員のフクローファンが、おそらく黙っちゃいないだろう。

 野球部でも久々の期待の新人で、打順は3番、試合もフルでマスクを被った。


 そして俺とフクローの真ん中でちょこまか歩いている小っこいのが、間柴ましば香奈かな

 俺とは小学時代以来の腐れ縁で、ポジションはピッチャー。

 女子なのに野球ひと筋の変わったヤツで、俺が野球を始めるきっかけも、こいつにほとんど無理やりやらされたからだった。


 ちなみにカナも今日の試合は出場した。

 と言うより栗高野球部は、一年の五人が入って部員数がようやく10名なので、全員に出番があった。

 最終回の2アウトから投げ、三人めでようやくアウトに出来た。


 カナが少し、頬を赤らめて息を弾ませている。試合の興奮がまだ治まらない、といった感じだ。

「先輩たち、嬉しそうだったなー」


 何しろ過疎の田舎町では、生徒数そのものが少ない。

 一学年で30~50人、全校生徒が男女合わせて130人。


 道立栗川高校は、弓道部が全道大会常連の強豪校だが、その弓道部を含め、どの部も軒並み部員数は多くて10名ちょっと、野球部にしても他部の応援を頼んで、やっとこさ試合が出来る有様だった。

 この時期に練習試合が出来るなんて、ここ数年なかったらしい。


「しかも勝ったもんな」

 昨年までは歯の立たなかった岩見沢の高校に7対4、多少のミスはあったが内容も悪くなかった。

「でも最後、キンチョーした……ボクのせいで負けるんじゃないかと、冷や冷やしたさぁ」

 カナがリスのように頬を膨らませる――というより学校一小さなカナは、仔リスそのものだった。


 身長は非公表と言い張っているが、147cmだと同学年の女子が教えてくれた。

 俺とちょうど、40cm差だ。

 そのくせバストは75cmだとか、自分の貧乳ネタで豪快に笑っているから、良く分からない性格をしている。


「まあ、よく投げたよ、カナは」

 フクローが爽やかな笑顔で、キャッチャーらしくフォローする。

 カナは右のオーバースローで、すごく投球フォームが綺麗だし、なかなか良いカーブを持っている。

 しかし――ストレートが100km/hちょいだと、高校野球レベルでは打ち頃の走られまくりであると、残酷にも今日の試合では証明されてしまった。


 カナとは、少年野球の頃から一緒に投げてきたライバルだったが、中学入学あたりから、俺が出番を奪うようになってしまった。

 おまけに俺はどんどん背が伸び出し、中三で180cmを突破。

 中学時代には、俺がエース。カナは公式戦には、中二の秋に一度登板したきりだった。


「したっけ(=じゃあな)、また明日」

 フクローが自宅近くで、手を振って歯を見せる。

「フクロー、今日は公園まで遠回りして、桜見るけど、一緒に行くかい? ――カナン、お前は行くよなっ」

 カナがそう言って、俺を肘で小突いてくる。


「あっ、そだなぁ……俺は別に、いいけど……」

 良いも何も、俺の自宅は町営公園とは目と鼻の先だ。

 先月末やっと雪もなくなり開園したばかりで、桜の名所になっている。

 むしろ駅前通りに住んでいるカナの方が、かなりの遠回りというか、道草を食う事になるんだが。


「桜、かぁ……いやあ、今日はゆっくり休むさ」

 空を仰いで少し考えていたフクローだったが、軽く首を振って爽やかに笑った。


 カナが明らかに残念そうな顔をする。

「そっかぁ――したっけ、また明日」

「おう、お前らもゆっくり休めよ」




 駅前通りを突っ切って、ちいさな川に架かった橋を渡る。

 町境を南北に流れる夕張川に注ぎ込む小川で、ガキの頃、カナと一緒に泥だらけになって、ドジョウを獲った――あの頃から俺は、カナに引っ張り回されてたんだな……川を渡る度に、そんな事を思い出す。


「なあ、カナン」

 例によって、カナの唇がとんがっている。

 カナがこんな顔をする時は、決まって俺のピッチングに注文を付けるんだ。


「カナン、また悪いクセ出てた。ビビってカウント悪くして、ボール置きに行って、打たれて……」

 分かってる。また弱気の虫が顔を出した、て言いたいんだろ?

「そだなぁ、今日は高校入って初登板だから、緊張しちゃったな」

「理由になんないっしょ」

 カナの唇がますます尖って、まるでアヒルだ。


「立ち上がり、ふわふわしてたから、ボールに指が上手く掛かんなかったべ」

「で?」

「ストレートに自信なかったからコントロール重視で、クサいコースを突こうと思って――」

「何だよもう、はんかくせぇー(=バッカじゃないの)」

 カナがスタタッと駆けて俺の前で仁王立ちになった。


 精いっぱいに怖い顔をして、カナがぎろりと俺を睨む。

「カナンさ。こんだけデカいナリして、そーいうのいい加減、やめろ? 自信持って投げれば、もっと速い球、放れるっしょ」

「同じピッチャーなら、そんなゆるくないって、カナも分かってると……」

「走り込みが足んないんだ? だから手投げになって、フォームも安定しないし、それに――」

 つくづく思うんだけど、どうしてこいつは俺にだけ、こんなに厳しいんだろう。


「俺走ってるベ? 最低でもダッシュを30本に1500を2本……」

「ボクがカナンだったら、その倍は走ってるさっ!」

 ああ結局、また出た。

 もし自分が男だったら、高身長だったらの、無いモノねだりと無茶振り。


「――分かったよ……」

 口では絶対勝てない俺は、カナから目を逸らした。




 「いーや、分かってねえっ! もう、いいっ!!」

 カナはまたもや精いっぱいの怖い顔で俺を睨むと、くるりと回って公園に向かって駆け出した。


 ここから町営公園に行くには、車の多い国道を横切る必要がある。

 折しも、走り出したカナの先に、車が結構なスピードでやって来る処だった。


「カナッ! 危ねえっ!!!」

 肩のバッグを放り出し、ジャンプ一番、カナに飛びつく俺。

 車の激しいブレーキ音。

 カナを抱きかかえ、そのまま反対車線に飛んで行く俺――


 尻の辺りにそれなりの衝撃が走り、俺はカナを抱きかかえたまま、ポーン、と面白いくらい高く、上空に跳ね飛ばされた。


 無我夢中だった。

 俺はどっちが天でどっちが地かも分からないまま、カナを抱えて全身を小さく丸め、着地に備える。


 運良く着地したのは、舗道脇の草むらになっている、軟らかい地面だった。

 背中に感じた衝撃は思ったよりも少なく、しかし勢いがついた俺たちはふたりで、何回転もごろごろと転がっていった。


 ――――いっ、てててて……

 声を出そうとして出なかったのは、俺の唇に何かが塞がっていたからであり、手足を動かそうとしても動かなかったのは、大きな何かが、俺の身体の上にのし掛かっていたから。


 俺の唇に乗っかっていたのは、他人の唇だった――という、事は……

 あっちゃあ……偶然とは言え、カナのファーストキス、奪っちまったかあ。

 これじゃこの先、何言われるか分かったモンじゃねえなぁ。


 そう思いながらモゾモゾと手足を動かしてみると――何だか気配が、変だ。

 そして俺の上には、山のような大男が居て、その顔は……俺だった。

「カナ? カナ? 大丈夫かい?」

 声を出してみると、どう考えても女の声だ。


「カナン、ごめんなあ……背中と尻は痛むけど全然動ける……えっ?」

 カナも俺たちふたりの異変に、気付いたようだった。

「なしてボクが、ここにいるのさっ?!」

 そう言う声は間違いなく、男の俺のそれであった。



 そう。

 俺、穂波加南と、彼女、間柴香奈。

 ふたりの身体が、丸ごと入れ替わってしまっていた。



 お蔭で俺は、自分自身とファーストキスをするという、普通では考えられない経験をしてしまったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 食パン様の推薦でとりあえず第一話分読んでみました。面白かったです。これからも頑張ってください。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ