第三夜 ヒトごろし
佐原は決して鷹見に近寄らなかった。彼は自分のフィジカルはかなり強いほうだと自覚している。しかし鷹見に近づくのは自殺行為だと考えていた。鷹見の人柄を知っていたからである。
鷹見健也は正真正銘の怪物だった。彼は努力家だった。異様なほど努力した。生半可な努力ではない、大の大人が一時間やれば音を上げるような練習を毎日十六時間続け、それを苦とも思わない人間である。佐原は中学時代レギュラーを獲得しようと努力したと自負している。しかし生傷の絶えない鷹見を見るたびにもっとできるんじゃないのかと罪悪感が湧いてくるほどだった。それほどまでに鷹見の剣道への没頭具合は狂気的だった。
中一時点で剣道の全国大会に出場し二年目で優勝。三年目ではすでに剣道部の顧問よりも強かったと佐原は聞いたこともある。高校生となった今でも大きく注目されている。そんな人間に日本刀を持たせるなど鬼に金棒であった。
故に佐原は鷹見に近づかない。幸い鷹見はまだ刀を扱いきれていなかった。このまま刃物付きボールで殺せればラッキー、上手くいかなくても時間を稼いで逃げ切れる。そう考えていた。実際その考えは的外れなものでは無い。しかし鷹見健也はその想像をいとも容易く凌駕してくる。
「鬱陶しいわこの野郎!」
そう叫ぶと鷹見は何のためらいもなく刃を掴み剣を佐原の足元に向けて投擲した。それは佐原に命中はせず地面に当たり跳ねとんだ、しかし意識を一瞬逸らすのには十分だった。鷹見はその一瞬で佐原との距離を詰める。そして佐原の腹に足を叩き込んだ。
「クソっ!」
佐原は苦し紛れにカッターナイフを投げつけた。狙いは甘くかすりもせず通り過ぎる。鷹見は刀を拾い振り上げ、下す。その単純な行動、しかし何千何万と繰り返してきたそれは容易く人間を真っ二つにする。
(殺せる)
鷹見はそう確信した。
(殺せる、殺せるぞ……楽しみだ!)
その歓喜は油断だった。故にそこを突かれることになる。
「まだだ!」
佐原から放たれたカッター、それの軌道が明らかに変わり鷹見のうなじに突き刺さった。鷹見はうげえ、だかうぎゃあだとかそんな声を上げる。
(投げたものならボールじゃなくてもいいのか、やられたよ)
(やった、間違いねえ致命傷だ。こいつは絶対に治す。その隙に殺せる!)
佐原はあらかじめ持っていた折り畳みナイフを取り出し鷹見に襲い掛かる。この状況で、この危機的状況で鷹見は笑った。それは満願成就に至った人間の笑みだった。鷹見は首の傷を気に掛けることもなく刀を振り落とした。肩から腰にかけて真っ直ぐに服が裂け血が噴き出る。佐原は肉が千切れ骨が割れ内臓が零れるのを感じた。
(あ、これ死んだな。残念)
佐原は見た目の損傷に対してあまりに軽い痛みに笑いそうになりながら遠のいていく意識の中思った。だが、
「まだだ、まだ足りない。まだ!」
治っている。完璧にではない、実際血は止まっていないし内臓も傷ついている。だがすぐには死なないだろう。佐原ははじめ自身の置かれた状況をうまく理解できなかったがすぐに理解させられる。
まず鷹見は逃げられないように足首を切り落とした。当然佐原はバランスを崩し倒れる。その時佐原は鷹見の顔を見た。見てしまった。
笑顔だった。否、顔を不自然に歪めていると表現したほうが正しいほど暴力的だった。
(コイツ、コイツ俺の傷を治しやがった!)
歯と歯の根が合わない。自分がかつてないほど怯えていることを佐原は実感していた。
(優しさなんかじゃない、俺を傷つけたいんだ。だから治した!死なせないために!)
鷹見は首のカッターを引き抜き捨てると首の傷をゆっくり修復していった。そして佐原ににじり寄る。佐原は何とか逃げようとはいずり始める。恐ろしかった、この夢の中で勝利して願いを叶えるだとかそんなことは頭になく、ただ後ろにいる脅威から逃げ出したかった。それを鷹見が逃がすわけがない。
まず右腕を胴体から切り離した。声にならない叫び声が佐原からこぼれた。
次に背中を切りつけた。佐原が許しを乞うたが鷹見は無視した。
最後、鷹見としては最後にするつもりはなかったが佐原の体が限界だった。頭を頭蓋ごと叩き切った。脳みそがはみ出ると幻のように佐原は消えた。
(……やりすぎた、流石に死ぬか。でも楽しかった)
鷹見はその場に座り込んだ。胸が擽られるようなゾクゾクとした気分だった。ゆっくり息を吸い込んみ感情を落ち着かせる。
楽しかった。
嬉しかった。
そう思うことが屈辱だった。
なぜならそれは。
家族を殺したあの男と一緒だからである。
佐原が何したっていうんだ