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不幸

作者: 金森 璋

 ぼくはそのとき、何に縋るものもなく気分を持て余していた。

 待ちぼうけをくらって、ナンパをしても肩透かしをされ、結局のところ何もすることがなくなってしまっていた。

 ああ、つまらないなぁ。

 そんなことを思いながら都会の街を歩いていると、一匹の黒い猫が目に入った。

 あっ、と思ったときにはもう遅かった。ぼくの視界を右から左に横断しようとしていた猫は、あっけなく交差点に進入してきたトラクターにひき肉にされてしまった。

 ぐずぐずの死体になった猫は、二度と動くことはなくただそこにあるばかりだ。

 不幸の象徴とされる黒い猫が不幸になる。

 なんだか嫌な空気がぼくの心に圧し掛かる。それを振り払いたくてしかたない。

 とにかく、どこかに座って珈琲でも飲もう。そう決め込んでガード下をくぐろうと歩き始めた。

 ここからカフェまでは少し時間がかかる。いくつものウィンドウがガード下を飾る。ガード下、という言葉とはかけ離れている様相だが、ここが単に線路の下に位置するというだけで、基本的には他の商店街や百貨店の一角と変わらないのだ。

 そんなきらびやかな一角を通り――すぎようと、したときだった。

「お兄さん、お困りじゃないですか」

 ぎょっとした。ぼくが地面ばかりを視界に入れて歩いていたからかもしれないが、視界の外側からぼくを呼ぶしわがれた声に心底、驚いた。

 声のした方を見ると、何や黒いような紫色のような、紺色のような、見る角度によって色が変わってしまう印象のローブに身を包んだ老人が、ぼくを手招きして呼んでいた。

「お兄さん、ほら、こっちおいでなさいな」

 しわがれた声。男性なのか女性なのかもわからない。ローブは目深に被られており、顔が半分程度しか見えていない。それを見ても、やはり男性か女性かの判断はつかなかった。

「何か、用ですか」

「お兄さんの心に嫌なものを見つけてしまってね」

「嫌なものって」

「ここにくるまでに、悲しいものを見てしまったようだねぇ」

「え、えっと」

 確かに、その通りではあった。

 敢えて心から切り離していたけれども、ぼくはあの猫の死を悼んでいた。過去に飼っていたことのある猫に重ね合わせてしまって、心がずきずきと痛んでいるのを無視していた。

 飼っていた猫は、ふく、という名前だった。やはり真っ黒な猫で、不幸の象徴だなんていうジンクスを吹っ飛ばしたくて「ふく」なんて名前をつけた。

 やはり、彼も交通事故で死んだ。

 何度も車にひかれてぼろ雑巾のようになったふくは、すっかり冷たくなっていて、生前の面影というものをほとんど残していなかった。

 それに、あの黒猫の姿を重ねていたのだ。

「お兄さん。後悔してらっしゃるようで」

「ほんの少し前にしたばかりです。それがどうしたんですか」

「悲しい出来事を悲しいままにしておいて、それで良いんですかい?」

「それは……」

 そんなことはない。悲しいままで終わりたくない、と心の底で考えてはいた。

 だが、あの凄惨な現場をみて、どうしたら良いか解らなくなったのだ。

 ぼくにできることなど何もない。ぼくには、あの猫を生き返らせたりする超能力などないのだから。

「そんなお兄さんにこれを授けましょう」

 ローブを纏った老人は、どこからともなく細かいビーズをつなげて作った、凝った細工の輪っかを出してきた。

「あの、これって」

「何、ちょいとした占いですよ。お兄さんの先『視て』みただけです。お兄さんに幸ありますよう。ふっふっふ」

 ぼくは押し付けられるようにして渡された輪っかを手にして、困惑する。

 ああ、何かお代を払わなければならないだろう。ぼくは鞄から財布を出して、老人のほうへ向き直った。

「お代はいくら……です……か……」

 そこにはもう誰もおらず、影さえも残っていなかった。

 今まで見ていたのは夢だったのだろうか。あの占い師らしき老人は何だったのだろうか。

 しかし、夢でなかったことを主張するかのように、ぼくの右手にはビーズ細工の輪っかが乗っている。よく見ると、サイズを少し調整できるように加工されており、小さな鈴もついていた。

 吊り下げてみると、ちりん、と鈴が綺麗な音を立てた。どうやら、猫か犬につける首輪なのだろうと見当をつける。

「これで何をしろっていうんだ」

 ぼくはすっかり珈琲を飲む気もなくしていた。もう帰ろう。来た道を戻り、駅に向かう。

 ガード下を潜り抜けるときに、さきほど凄惨なことが起こった交差点が目に入った。

 もう動くものはないだろう。そう思いながら、嫌だな、と思いながら目を向けると――一生懸命に、死体を交差点の真ん中、分離帯のあたりに運ぶ黒い猫が目に入った。

 運良く轢かれないでいるものの、交通量の少なくない道路を行ったり来たりする姿に危機を感じずにはいられない。

 ぼくは首輪をポケットに突っ込んで駆け出し、一匹の生きている猫と、残骸になった猫のもとへ向かった。

「お前、危ないだろう」

 とりあえず、生きている猫を分離帯の、仮の歩道部分へと避難させる。危ない、という言葉がわかったのか、しゅんとした表情を浮かべた気がした。

 ぼくはそこに生きている猫を残して、車に気を付けながら残骸になった猫のかけらを拾いあつめた。

「ほら、これでいいかい」

 ぼくのシャツに猫の血が染みてしまった。洗濯をしたら落ちるだろうか、という心配が一瞬よぎったが、次の光景を見てその意識はどこかへいった。


 猫が、泣いたのだ。


 にゃあ、と声を出しながら、涙を流し残骸になった猫の首元にすり寄る。残骸になった猫よりも、少しだけ若い黒猫は、何度も失われた命を呼ぶように鳴き、泣く。

 こんなことが、あるのだ。

 まるで、過去の自分を見ているかのようだった。

 ふくの死体を抱いて泣く、自分のようだった。

 ああ、こんなものを見せられたら、悲しみを分かち合う他ないだろう。

「お前、うちに来るか?」

 ふ、と猫が顔を上げた。

「この子の墓も作ってやるよ。ふくの隣なら寂しくないだろ」

 おいで、というと、猫はゆっくりと瞬きをしてからぼくの腕の中に歩いてきた。

 ぼくはポケットから、占い師からもらったビーズ細工の首輪を黒猫につけてやり、言う。

「今日からお前は、うちの子だ」

 さあ、新しい家族を連れて帰ろう。

 ぼくは待ちぼうけをくらったことなど、すっかり忘れてしまっていた。

 時計を見ることでなんとなく思い出したが――これも、神様がこの子と引き合わせるたえの悪戯のうちなのかもしれない。

 そう考えると、あの占い師は天使か何かだったのだろうか。

「すっげー、変な天使」

 どこかで、占い師の笑い声が聞こえた気がした。

 こんにちは、こんばんは。初めまして、あるいはまたお会いしましたね。

 どうも、金森璋です。

 三題噺をトレーニングしたくてなんかお題を出してくれるものはないものかと探していたら、ありました。

 三題噺スイッチ改訂版(http://mayoi.tokyo/programs/switch2.html)です。

 こちらで出されました「黒猫」「占い師」「ビーズ」のみっつを使って話を作りました。

 いかがでしたでしょうか。お気に召したら幸いです。

 金森でした。

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