21 シェフィールドの新生活
王宮を辞したグローリアとジュリアは、ゲチスバーモンド伯爵邸に向かう。シェフィールドの街は、アドルフ王の略奪の被害から立ち直りかけている。
しかし、食糧はまだ十分庶民にまでは行き届いていなそうだと、グローリアは歩く人影もまばらなシェフィールドを見て悲しくなる。内乱が起こる前は、精霊達が集う華やかな都だったのだ。
「まぁ、庭が荒れ果ててしまってますわ!」
ゲチスバーモンド伯爵邸は、アドルフ王に追従していた貴族に下げ渡されていたが、シェフィールド解放前に逃げ出していた。荒れた庭を見て、この調子では屋敷の中も酷い有り様だろうとグローリアは溜め息をつく。
「奥様、お帰りなさい」
執事のセバスチャンは、屋敷を片付けるのを一時止めて、伯爵夫人とジュリア様を出迎える。
「まぁ、セバスチャン! これは酷いわねぇ。急いで部屋を整えて下さいね。アルバートときたら、こんな酷い屋敷でよくも暮らしていたものだわ」
内乱の後始末で、屋敷の掃除や調度品のことなど考えていなかったのだろうと、グローリアは殿方には任せておけないと考える。
「クローク先生、ジュリアを部屋に連れていって休ませて下さい。ルーシー、メアリー、夜には王宮へ行きますから、荷物をほどいてドレスの皺を伸ばしておきなさい」
てきぱきと指示を出すグローリアには誰も逆らえない。
「お祖母様はお疲れにならないのかしら?」
ジュリアの部屋には、緑蔭城から持ってきた清潔な寝具がベッドにセットしてあった。簡単な食事を家庭教師のクローク先生と食べると、ベッドに押し込まれる。
「伯爵夫人はしっかりされてます。今ごろは、お風呂に入って休息をおとりですよ。さぁさ、夕方には起こして差し上げますから、ゆっくりとお休み下さい」
クローク先生は、王孫になったジュリア様には、これから山ほど縁談が舞い込むのがわかっていた。今宵、王宮での食事会には身内しか呼ばれないとは思うが、もしかしたらエドモンド公が協力を得たいと考えている貴族が招待されているかもしれないのだ。
衣装櫃からドレスを出して、アイロンをかけているルーシーとメアリーは、これからどうなるのかしらと、こそこそ話していたが、クローク先生が来たので口をつぐむ。
「今夜の食事会のドレスは、どれかしら?」
ルーシーは、春らしい薄い水色のドレスを見せる。家庭教師にドレスのチェックをされるのは少し不満だが、イオニア王国での慣習は知らないのだ。
「それなら、エドモンド公との食事会に相応しいですわ。ルーシーはドレスのセンスが良いし、ジュリア様に似合う物がわかってますわね。これからは、忙しくなりますよ」
クローク先生は、ドレスはセンスの良いルーシーに任せて大丈夫だと安堵する。伯爵令嬢としての立ち振舞いを、ジュリア様に急いで教えなくてはいけないのだ。家庭教師の腕の見せどころだと、武者震いする。
夕刻までに、屋敷の召し使い達は、シェフィールドから逃げる時に金目の物を持って逃げた貴族に悪態をつきながらも、どうにか玄関ホール、応接室、サロン、食堂などを整え終わった。
「庭は後回しにするしか無いだろう」
春になった途端に戦闘が開始され、水晶宮の精霊使いがアドルフ王の命に従うのを拒否して立て籠った時から、ここを拝領した貴族は庭の手入れをさせるどころでは無かったのだろう。代々、執事としてゲチスバーモンド伯爵家に仕えているセバスチャンは、雑草が生えた庭を見て情けなくなる。
「本当は素敵な庭なのでしょうね」
お昼寝をしたジュリアは、庭を眺めに出て、大きな溜め息をついているセバスチャンの横に立った。
「これは、ジュリア様に余計なことをお聞かせしました。王宮での食事会に行かれるのでしょう? そろそろ、お着替えをなさらないといけませんよ」
ジュリアは豪華な王宮や、荒れているとはいえ大きな屋敷に圧倒され、気が詰まる気持ちになって庭に出たのだ。
「緑蔭城が懐かしいわ。シェフィールドは屋敷がいっぱいなんですもの」
今頃は、バラが緑蔭城を包み込んでいるだろう。一冬過ごしただけなのに、自分の故郷になっていると笑う。
『バラなら私たちが咲かせてあげるよ!』
土の中からノームが顔を出し、ジュリアに話しかける。
『まぁ! ノーム、お願いします! 荒れ果てた庭を見ていると、寂しくなっちゃうわ』
執事は腰を抜かしそうになった。みるみる間に、バラの蔦は伸びていき、蕾をつけたかと思うと、一斉に開き始める。
『これで、寂しくない?』
自慢げなノームに、ジュリアは笑いながらお礼を言う。
『ええ、とても綺麗な庭になったわ!』
一陣の風が吹き、バラの香りが庭に立ち込める。
『良い香りでしょ!』と、マリエールがクルクルと庭を飛び回る。
ジュリアは、ノームの機嫌を損ねないように、マリエールを抱き寄せて、そっと褒めてやる。
『ありがとう。マリエールが居てくれるから、とても心丈夫だわ』
ノームは、ジュリアを喜ばせたいと張りきって、シェフィールド中の庭や公園のバラを咲かせる。春といえど、一夜でバラの街になったシェフールドの市民達は、まるで巫女姫様が生きておられた頃のようだと囁きあう。