34 サリンジャーの決意
長旅で疲れたので、夕食まで少し部屋で休むと、ゲチスバーモンド伯爵夫妻は、客間へと引き上げた。夫人は本当に疲れていたので、少しベッドで休むことにしたが、伯爵はサリンジャーとジュリアの今後について話し合う。
「ジュリアは精霊使いの修行の途中です。あと、もう少し、こちらで修行を続けるわけには……」
13年も会えなかった祖父母と孫娘が別に暮らす理由にはならないと、サリンジャーは一番口に出しやすい言葉を選んだ自分を恥じた。
「サリンジャー師、何か考えがあるのなら、はっきりと言って下さい」
何か孫娘が祖国に帰るのに、支障があるなら知りたいと、伯爵は頼んだ。
「ジュリアは、精霊使いに愛される巫女姫に相応しい能力を持っています。しかし、その能力を制御するには、強い精神力が必要なのですが、捨て子だと知って育ったせいか、自己の確立ができていません。卑屈な態度や、自信の無さは、自分が価値のない捨て子だと思って、育ったからだと思います。
そして命令されたら、自分で考えないで従うのが癖になっている態度を改善させようと、私はエミリア姫とフィッツジェラルド卿の話を聞かせたのです」
ゲチスバーモンド伯爵は、自分の孫娘がそんなに卑屈な態度だったのかと驚いた。
「ジュリアは精霊使いの能力が高いと言われたな。なのに、そんなに卑屈なのか? 精霊に愛されているのに、それを誇りには思わないのか?
巫女姫になれる能力があるのに、人の命令に考えもせずに従ったら、駄目だろう……それで、話を聞いて、少しは改善されたのだな?」
先程のサロンでも、不器量だとか卑屈な言葉を発していたと、伯爵は眉をあげて、話の先を促す。
「成長する課程で身につけた態度を、直ぐには改善できませんが、アンブローシア伯爵夫人の協力もあり、少しずつ自信と自主性を持つようになっています。
しかし、エミリア姫がアドルフ王の側室にされた話は、まだ幼いジュリアに話すべきでは無かったと、後悔しています。彼女は……アドルフ王を親の仇だと、恨んでいるのです」
伯爵は、アドルフ王の名前を聞くだけでも、不愉快だと眉をしかめる。
「ジュリアが、アドルフ王を恨むのは、当然だろう。何が問題なのか、私には理解できない」
親子ほど年の離れたエミリア姫を、無理やり側室にしたり、逃げ出した二人に追っ手を掛け、殺してしまったのだと、伯爵自身も思い出すと、胸に怒りの炎が燃える。
「ジュリアは、巫女姫になれる程の精霊使いなのですよ。恨みを胸に抱いたままの彼女に、私は闇の精霊の技など教えたくありません。彼女が憎しみに満ちた精霊使いになったら、無能なアドルフ王なんか、可愛らしく思える災難を、イオニア王国にもたらす危険があるのです」
ゲチスバーモンド伯爵は精霊使いの能力はたいして持ってないが、サリンジャーの言った事を理解した。
「まさか、ジュリアが闇の精霊使いになると、言っているのか? 私の孫娘が、闇の精霊ノアールを自分の敵に送り込み、惨殺を繰り返すとでも……」
きつく問い質されたサリンジャーは、逆に質問し返す。
「イオニア王国の惨状を見たら、ジュリアはより深くアドルフ王を憎むようになるでしょう。そして、貴方の周りの人達は、ジュリアの優れた精霊使いの能力を目の前にして、利用しようとは考えないでしょうか?
それに、ジュリアのもう一人の祖父、エドモンド公は囚われの身です。アドルフ王は、ジュリアを手に入れようと、エドモンド公を餌に罠に掛けるかもしれません。もし、ジュリアが罠に掛かったり、エドモンド公の身に何かあったら、闇の精霊ノアールをアドルフ王に差し向けるかもしれません」
闇の精霊ノアールの技には、眩しい光を遮ったり、睡眠を誘導したり、神経を静めたり、疲れを癒したりする良い技も沢山あるのだが、禁止されている技もある。
「まさか、そんな技をジュリアが使えるようになるとでも……いや、使える能力を持ったとしても、それを使ってはいけないと教えれば……」
闇の精霊使いと怖れられる伝説を思い出し、伯爵は身震いした。
「ジュリアがあれほどの能力を持ってなければ、安心なのですが。それに、自己の確立もできてませんから、闇の精霊に取り込まれてしまう危険性もあります」
サリンジャーが心よりジュリアのことを心配して、言いにくいことを話してくれたのに、伯爵は感謝した。
「そなたの危惧はわかるが、ジュリアをグローリアは手放さない。それに、私の動向を調べようと、アドルフ王の密偵が張り付いている。こうしてジュリアと会ったのは、すぐに報告されるだろう」
亡命したサリンジャーも、窮屈な思いをしながら、王宮の離れに住んでいるのは、密偵の存在を恐れているからだ。
「それは……確かに、ベーカーヒル伯爵に、これ以上の迷惑をお掛けできませんね。ジュリアは、こちらのシルビアお嬢様と一緒に勉強してますから、密偵が襲撃でもしたら、危険にさらすことになります」
サリンジャーは、大きく深呼吸して重大な決心をする。
「イオニア王国に帰国される際に、私もお連れ下さい」
ゲチスバーモンド伯爵としては、南部同盟に精霊使いは大歓迎だが、亡命したサリンジャーは重罪人としてアドルフ王は扱うだろうと心配する。
「志はありがたいが、捕まったら死罪にされるかもしれないぞ」
サリンジャーは、それも覚悟している。
「元々、アドルフ王の遣り方に、反対した時点で、私は睨まれていました。タニスンが精霊使い長に任命され、アドルフ王の言うがままに国民を虐げる手伝いを強要されるのが嫌で、水晶宮を飛び出したのです。
今更ですが、反アドルフ王の一員に加えて下さい。祖国の水晶宮に監禁されて、使役されている精霊使いを開放したいのです」
亡命先のルキアス王国でミカエル国王の庇護を受け、ルーファス王子やセドリックに精霊使いの指導をしながらも、内乱に苦しむ祖国を忘れた日は一日も無かった。
「そうだ! 水晶宮に閉じ込められている精霊使いを開放しなければ、アドルフ王を倒すことはできない」
祖父の顔から、南部同盟の盟主の顔になったゲチスバーモンド伯爵に、サリンジャーはひとつだけ願い事をする。
「ジュリアを内乱に利用しないで下さい」
南部同盟の盟主としては、ジュリアの使い道は何通りも考えたが、サリンジャーの言葉に、努力しようと答えた。サリンジャーは、そうとしか答えられないイオニア王国の状況を察して、ジュリアを護ろうと決意を固める。