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二死目に呪う力

   〔3〕


 早々に“処分”されなかったことは、幸運だったというほかない。

 気狂いのていだ。どう見たところで、子供であっても――あるいはだからこそ――無学な村人たちからは“悪霊憑き”のごとくとしか扱われなかったろう。

 だが村で最も権威ある祖父たちの世代は、戦場経験豊富な元戦士だった。彼らは、戦場で頭部を酷く負傷した兵士がどういった事態になるかといったことを幾度と目撃した経験があり、テウネスの錯乱めいた容態に関しても落ち着いた見解を示すことができた。

 つまりは、たいていはあまり長持ちもせず死ぬが、もし生き延びられたなら傷としては塞がってゆくし、若い子供の身であれば回復する可能性もあるだろうと。そしてどの道それは歳月の経過を見てみなければ結論を下せないことであるし、何年か待ってどうしても駄目ならその時に考えればいいと。

 開拓を始めたばかりの頃と違ってその程度の余裕もないというわけではないのだから……と、決め手になったのはそんな言葉だったようだが。

 そうした考えに着地できたことは幸運だった。テウネスにとってだけでなく、むしろ取り巻く大人たちにとってこそ。

 誰も気づいてすらいなかっただろう。

 もし、意識も混濁したままの時期に何らかの“攻撃”行為を受けていたならば、テウネスの身は理性の制止なき“反撃”を、反射の仕組みのままに行ってしまっていたかもしれないということを。その危険の潜みを。

 この――呪わしくも目覚めてしまった力がゆえに。


 テウネスが意識を取り戻し、最初の二ヶ月ほどは会話も成り立たなかった。

 それでも家族は見捨てることをせず、介護を根気よく続けてくれた。そうして半年ほどかけて少しずつ、本当に少しずつ回復を図り、なんとか固形性のある食事をまともに口にできるようになった。その頃には片言ながら現地の言葉で会話を交わせるようにもなった。

 以後は回復も順調に進んでゆけた。といっても、寝台から起き上がれるようになるだけでも一年近くかかってしまったが。とにかく筋肉の減退がいかんともしがたく、加えて骨までもろいだろう状態では無理することもできない。亀の歩みのごとくでも一つずつ手順を重ねてゆくしかない。

 ただ立ち上がれるようになったことで、家族の負担は大きく減じられた。なんといっても便所に自分で行き来できる。身体を清めるために拭くことも。手の届きにくい背中を誰かが拭いてやることくらいは大した手間ではない。介護において最も負担であることは寝たきりの体幹を持ち上げることで、それは世話する側の人間の身体を痛めかねないほどのものだ。そこが解決した段階に至れたということは、下世話であってもやはり大きい。

 己の体重を自身で支えることは筋骨の鍛え直しにも最適である。リハビリめいた身体の復調訓練には目に見える形の進歩が期待できるようになった。そうして都合で二年が経つ頃、家屋敷の内における動き回りにはおおむね不自由もなくなった。

 ただし体力の底は浅い。百歩も歩けば息が切れるし、一度体力が底をついてしまうと座り込んだ姿勢から立ち直すこともできなくなってしまい、自力で寝台まで帰り着くことができない。そのため、家の外を行動することには慎重を期さねばならなかった。

 十歩だけ。外に出ては帰る。それを数日かけて試し、ようやく次が許されて今度は二十歩。そうした一見過保護にも思えるだろう扱いを経て、丸三年を過ごした春の終わりに。

 テウネスは十の歳を数え、そして自宅の近い周辺に限ってはどうにか好きに出歩けるようになっていた。

 その身体は見るだに細く弱く、村の一員としては何らの仕事を任せるにも足りてはいなかったが。本来、村の子供は十を過ぎたあたりから親の仕事の手伝いに本腰を入れる、あるいは将来を見据えた見習い修行に就くことを期待されるものだ。だがテウネスは寝たきり病人のような立場で何年と過ごしていたためそこに至る過程が抜けていたし、何より軽く突いただけで崩れ死んでしまいそうな病弱者に何をやらせようという気になる者もいない。手間隙かけて教えたところで将来的に無駄になるなら徒労でしかない。

 領主家の子息で経済的には無理する必要もないという点がこの扱いに拍車をかけた。

 よって、そこからさらに三年ほど。体力の鍛え直しを兼ねて、傍目には単なる散歩としか映らぬだろう歩き巡りを懸命にも汗を流しながら努める日々を重ね……


 十三の歳の初夏、テウネスはようやくそれなりの自由ある行動範囲を築くに至り、穏やかな日常を過ごしていられる余裕を手にしていた。

 その自由が、背に負うべき荷も持たぬがゆえの、空虚な宙吊りの様であったとしても。



 今日もテウネスは釣りをしていた。

 朝のまだ柔らかさを残す日差しを浴びながら、あの日の運命を違えさせた現場となった小川の、さらに上流たる川べりにて。

 いまのテウネスにとって、朝食を済ませたあとにこなすべき責務などが何もない。そのため、暇つぶしと“能力”の検証を兼ねて、こうして人気のない場所に出向いていることが多い。

 また、川でする釣りならば誰の迷惑にもならずそれでいて成果も期待できるため、山林に分け入って森ウサギや小鹿を狙おうとするよりは実のある話ともいえた。

 それに、午前の内ならば、他にすべき仕事のある……つまりはリムロッテやクイムたちがしつこく付きまとうことも難しい。あれ以来彼女らはひどく心配性をこじらせるようになってしまい(それで介護の世話になりっぱなしであったのだからテウネスが何をいえた筋合いでもないのだが)、下手に見せるわけにはいかない能力の、だが安全な制御のためにも訓練と研鑽を積むべきところにとっては、やっかいな板挟みぶりともいえていた。

 そうした事情のまつわりもあって、朝も早めの内の好きに一人で動ける時間は、テウネスにとってなかなかに貴重な和やかタイムでもあった。日が天頂に昇る前であれば体力面から見ても過ごしやすい。

 渓流の緩急が程よくよどむ小曲がりに、半ば乗り出すようにも鎮座する大きな岩の上にてあぐらをかいて。テウネスは()()()と釣り竿を繰り出す。水面に軽く音を立て沈む針先と反動で揺れる浮きの具合を見やりながら、手繰りを微調整しつつものんびりと“アタリ”を待つ。

 これら釣り竿、糸も針も、すべて自作だ。おおむね能力を駆使して作った。たとえば釣り糸であれば、川べりにいくらでも転がっている花崗岩の類いから珪石質、すなわち石英成分を抽出し、それをさらに細長く線引きする形で再抽出することで繊維状に加工する。そうして作り出したいわばガラス繊維を、糸や紐としての構造的頑強性を与えるために縒り合わせを施して束ねあげれば、簡易的ながらもグラスファイバーの出来上がりである。釣り糸には魚から感知されない透明さと細くて強靭であることの兼ね備えが重要なため重宝している。釣り針も同じだ。川底から回収した鉄鉱石などをもとに加工した。鉱物というものは山脈の地層から剥がれ落ち、悠久の時をかけて水の流れに転がされながら削られてゆく。結果として残りやすいものがより硬く重い鉱石であり、よって川底や川べりという環境は人の文明の手が一度も入ったことがない原始性を残しているならばだが、鉱物資源の宝庫といえるのだ。テウネスはこのことを大いに利用していた。

 とはいえもちろん、手作業では容易に為せることではない。テウネスが目覚め、どうにか六年がけで制御を手中に修められつつある異能の力、その賜物だった。

 それはいかなる力か。あの生死の境を幾度と行き来した三日間、その向こう側から引きずってきてしまった力だった。そしてテウネスの身が死に没しきることを許さなかった力でもある。

 あの時垣間見たものが果たしてどんな言葉ならば説明できるのか、いまもってテウネスにも分からないことだった。だから誰にも、頼れる祖父にも親身なリムロッテたちにも一切話したことがない。あれは論理を超越した不条理だった。この世の裏面、摂理を破り、現し世の命ある者が踏み入ってはならない一線の向こう側に。見果てぬ広大なるままにただよう……

 ――其は因果の一なる海

 ――奇跡と不条理(ソーサル・ロウ)の源泉

 ――死と生の還るべきところ

 ――終わりにして始まり

 ――未分化にして終焉

 ――混沌が泡ぶく虚無

 ――そこではあらゆる意味が遡行する

 ――折りたたまれた高次元の向こう側だ

 痛いほどに。断続するイメージばかりが鋭く。閃いては苛むのだ。頭蓋深く、脳髄の致命的などこかに刺さり込んでいて忘れられない。

 人の命を一滴のしぶきのごとくとたとえるならば、あれは大海だった。銀河だった。そして深淵だった。

 呑み込まれて、普通ならば溶けて消えるだけだ。それが死であると直観した。だがテウネスは死にきることができなかった。はじめの一度だけは少なくとも偶然で、しかしそれこそが問題だった。死の向こう側へ溶けかけておきながら、溶けきらぬまま半端に戻ってきてしまった。するとどうなるか。

 断片が結合していった。引きずり戻してしまった、死によって溶け本来は損なわれているはずのものら。かつての意識情報であり、それを織り成す記憶様式の一片であり。あくまでも断片であって各要素一つ一つはまとまりのないカケラに過ぎない。だが情報とは果てしなく拡散し薄まり続けることはあっても、あるいは混ざりあって見分けが難しくなるとしても、この宇宙の終始の内にあって究極的には消失しない。特にフラクタル的な構造性を備える量子情報の類いであれば、一定より十分な“量”を集められさえすればいかなる断片の寄せ集めからも逆算再現が可能といえた。

 人の意識情報、脳量子情報体とはその条件に当てはまるものであったのだ……とは、あれを見て、錯乱から時をかけて回復し、その後何年もかけて考察する中でようやく理解に至れたことであったが。あくまで擬似的なものであるはずだが、いまのテウネスを構成するそれらは、前世とでも呼ぶべきものの残滓だった。

 ただし、純粋ではない。その混濁たるをもたらす“まざりもの”こそが……

 死の向こう側からテウネスが身の内に持ち帰ってしまったもの。識らざるべきものを識りえ、触れざるべきものに触れえてしまう、それ。

 それは一種の干渉能力だった。実存たる世界の理、その隙間を突いて、事物を構成する素粒子の事象可能性変数領域――これをテウネスは暫定的に“パラメーター”と呼称しているのだが、そこを見抜き、そして書き換えることができてしまうのだ。物理を情報的な側面からすり替える能力ともいえるかもしれない。

 目の前の現実の在り方を、個人の恣意によって都合よく改ざんする。欺瞞を施して書き換える。ただし結果として“完成”させる形が事象として成り立つための整合性なくば、物理が正しく常態であろうとする反発によって瓦解してしまう。よっていかに好き勝手なるままいじくれるとしても辻褄あわせだけは欠かすことができず、ゆえにテウネスはこの異能の力のことを《編纂》と呼び定めていた。最終形をまとめ上げられることが何より肝要だからだ。

 そんな無体なまでの超常能力を、あの死の床に没する最中にも発露しつつあった。意識がまともに働いていない状態、つまりは理性なくより低位な本能の、むき出しの反射だけがその生命活動をなんとか維持しようとあがいている最中だ。表層の人格が偏屈に求めるおためごかしなど通用しない。ただただ死を退け、そして生命の繋がる先に手を伸ばさんと全力を尽くした。

 使えるものならば何でも使ったろう。目覚めたばかりの危険な力すらも。

 そうして、死にかけては無理やり復活し、力尽きてはまた死んで、死んだ向こう側から新たに巻き込みうる何くれすらも利用して再びよみがえり。そんなことを繰り返したのだ。何度も。何度も。

 結果、テウネスは汚染されていった……。おそらく本来であれば、実体ある生命があちら側と接触することはできない。現に質量を備えた“生物”では、四次元時空の基底から飛び出すことはできないからだ。質量を捨て去った情報意識体だけがそれを為しうる。だが人の意識活動とは実体たる脳神経組織の機能であって、そこを失っては情報体としても速やかに消散するだけであるし、仮に向こう側と接触して情報を得ることができたとしてそれを持ち帰る先がないということになる。記憶を保存するための海馬体や、その記憶情報をもとに理解を構築して判断を下すための側頭・頭頂・前頭の各連合野といった器官がなければ、何の実効も果たせはしないのだから。

 死にながらも生きながらえるという矛盾の超然によってのみ、億兆分の一なる奇跡として――あるいは理不尽として――それは為されうるのだ。

 しかも一度では足りない。たかが一度仮死状態を味わった程度では、定常の論理など飛び越えたあちら側の何を“理解”せしめられるほどに持ち帰れるものか。半端な侵食は、ただ正気を損なわせて狂人と堕さしめるだけだろう。何度も。何度も繰り返し、漬け込んでは引き剥がし、そうして粉みじんに砕きながらも混ぜて捏ねて形成をやり直すような筆舌に尽くし難い徹底を経てはじめて、具体的な能力や意識が発露にまで至りうるのだ。

 さてこの己は、己のつもりだ。それ以外にいいようもない。が……どこまで、もともとの己らしさが残っているか、それは分からない。あまりに様々な異物が混ざり込みすぎて、もう、分からなくなってしまったのだ。人は自らの意識の形を確かめることはできない。どんなに手を伸ばしても心には触れられない、それと同じように。

 テウネスはテウネスなのか。記憶の霞を手探ったところで答えはなく。ならばあとは、釣り糸でも垂らしながら過ごすくらいしかないではないか。この目の前の小川と同じだ。そのようにあり、そのように流れ、やれることをやれるように重ねた先に、いつか形を失い溶けて消える時もくるだろう。

 最悪は。悟ったつもりの腹にもなお襲い来る。この《編纂》能力の作用する強度の次第によっては……ひょっとしたら、もう人間としてまともに死にゆくことすらできないかもしれないという可能性だった。

 あるいはその恐怖こそが、唯一残った人間らしさだったのかもしれないが。


「……テウネス。ねえ、テウネス!」

 何時間を思索の海に没していたものか、その呼びかけられる声に意識を戻された。

 女の子の、高くもきれいな声。よく聞き慣れた……つまりはいつものリムロッテの呼びかけだった。

 太陽がいつの間にやら中天に近しいところまで昇っており、午前のこなすべき仕事を済ませたリムロッテかクイムが昼食の誘いも兼ねてテウネスを探しにくるというのが、まあおおむねの、日常の風景ではあった。

 農村や開拓村の暮らしというものはまず朝が早い。なにせ夜が暗いからと燃料を贅沢に使い込むわけにはいかないため、空が白み始める頃には動き出して、一日の済ますべき仕事は昼までに優先して片付けるものだ。そして午後には余裕をもって他の雑多な物事にあたる。そうしなければ夕刻以降、手元足元が暗影に閉ざされる前に夕食も身の清めも、それこそ便所すらもすべて済ませて、寝台に横になるところまで終えられていることが難しくなってしまうからだ。むろん季節による日の長さの違いなどもあって必ずしもこの通りというわけではないのだが、厳しい自然の脅威にも晒されながら浪費を少しでも抑えて暮らしを成り立たせようとすれば、朝が早く夜も早いという生活周期に落ち着いてくることは必然だった。

「ああ、リムロッテか。いま降りるよ」

 そう声をかけ返しテウネスは、座していた岩からゆっくりとした動作で身をよじ降ろすと(なにせ筋力が足らないので、滑らかに身の軽やかさを示すがとごとくとはいかない)、岩のたもとの川ぶちに漬け置いていた魚籠びくを引き上げるのだった。

 中には本日の釣果が五匹ほど。そこそこの大物で重さもあり、よっこらしょといわんばかりに何とか持ち上げるテウネスの様に対し、横からリムロッテが見かねたように手を伸ばして取り上げていく。

「わ、立派な岩魚いわな……。相変わらず、釣りは上手なのね」

「目だけは、いいからね。まああまり立派すぎても釣り上げられないのだけれど」

 リムロッテの感心するような声に、軽い自虐も含めて返すテウネスだった。目がいいというのは文字通りの意味で、視覚認識の一幕奥に“パラメーター”が透けて見えてしまうのだ。よって、《編纂》の能力の一端として物体の運動軌道を予測する程度のことはたやすいといえた。あくまで予測であって予知ではないのだが、直近数秒後程度までであれば精度は予知のそれに限りなく近いと評せるだろう。魚の居所を探り出して眼前に疑似餌がうまく通りかかるように誘導するくらいのことは難しくもなかった。釣り上げに関しては筋力の問題だ。

 テウネスの《編纂》能力は、その気になれば自身の肉体をも操作の対象とできないわけではない。というよりむしろ、体外の他系なる事象に干渉するよりも自己の体内に干渉する方が“支配率”の到達能率の都合からはるかに効率的といえるのであるが、だからといって己の肉体を都合よく改造するつもりなどテウネスにはなかった。そんな真似に一度でも手をつけてしまえば、「この己がどこまでテウネスであるか」という定義が揺らいでしまう。それも際限なく。ただでさえいまでも己が己であることの確信が至らず理性的な思考を保つことがなんとか精一杯といった状態であるのに、うかつに足元を崩すような危険は踏めなかった。

 それに……。人間の独自性・個体識別とは、生まれ持った肉体に依存したものだ。不都合があるからと後から好き勝手いじくり倒して、超常の異能まで用いたあげく、どこへたどり着けるというのか? それがテウネスには分からない。考えても、考えても分からなかった。

 そうした自らのあてどなさ、ひ弱さや非力さも含め、言動の端々に自嘲のにじむような笑みを抑えきれないテウネスと。そんな様を見やったリムロッテが「もう……」と不満げに軽く嘆息をつきつつもたしなめてくる。これもまたここ数年の間にすっかり日常のものとなった光景ではあったが。

 テウネスは肩をすくめるようにもして、魚籠に改めて視線を配ると話を続ける。

「ま、それはともかく。今日も釣果に恵まれたし、リムロッテの好きなだけ持って帰ってよ」

「……うちは二匹で十分よ。それよりテウネスこそ、もっとちゃんと食べて。お願いだから。男の子ならまだ背も伸びる年頃でしょう?」

「そうだね。善処はしてるんだけど、胃の小ささだけはどうにもならなくてね……」

 腹の中ほどを片手で押さえるようにしながら応じるテウネスだった。たとえば薄い麦粥を小皿一杯すくって口に運ぶ程度で、もう彼としてはお腹一杯な気分になってしまいそれ以上の匙が進まないのだ。しかし食欲にもとるその理由もまた分かってはいる。生きる意欲が根本的に欠けているせいだ。体質が弱々しいこともあるが、そこをなお下から支えるはずの地盤がひび割れていては、どうしようもない。

 だからか、背も伸びないままだった。同年代の村の子供らと比べれば一回り以上も明らかに小さい。男子どころか、女子と比べてさえ、つまりはリムロッテとこうして並び立っていて目を合わせようとすれば見上げなければならないほどには。二つ下の妹のクイムと並んだ場合すら、目線の高さはようやく追いつけるかといった具合だった。縦の長さに関してはある意味それまでであるが、横の幅に関してはいっそう深刻だった。見比べれば体重の押し負けなど一目瞭然で、おそらく一瞥しての印象となると“骨が折れそう”の一言に尽きるだろう。

 こんなところが、彼女らの心配と過保護ぶりをせき立てて止まないのかもしれない。悪気があるわけでもなければ当てつけたいわけでもない。けれど、力が入らないのだ。ただ起き上がっているだけでも渾身なのだ。他にどうしようがある……

 それでも、分かっている。自分が悪いと。テウネスのこの無様、そして異能とその秘匿が、周囲の人々の人生を歪めてしまっていると。

 いっそあの日あの時にあっさりと死んでいられたならば、それが誰にとっても一番楽であったのかもしれないと。だがそうした都合のいい決着などかないはしなかった。いまこうしてある、現実からは逃げようもない。

 逃げられない現実、それを思うとき、最たる象徴がまたあった。ロビルクだ。彼とはあの日以来、まともに会話も交わせていない。生き様を歪めてしまったといったところでリムロッテたちに関してはまだしもテウネスの世話に手間を取られているという程度だ。性向に陰鬱さが加わっていたとしても。だがロビルクに関しては……性格も、生涯の行き先も、完全に打ち据えてしまった。

 テウネスは彼のことを恨んでいない。責任があるとも思っていない。子供同士の事故だ。誰にだってあることで、不注意を反省したならばあとに引きずってどうするようなことではない。

 それを伝えもした。しかし、時期を逃しすぎていた。テウネスが錯乱から落ち着くだけで二ヶ月、家族と薬師以外に最低限の面会が可能となるまで半年。そうまで間が空いてしまえば、“犯人”の処遇に関してなど決定済みどころか執行済みだ。被害を受けた当人といえども今さら何の言葉を差し挟める余地もなく、下手すればただ事態を引っかき回すだけになる。

 あの日から三年経ってどうにか家の外を出歩けるようになって以降、テウネスが彼を見かけ、あるいはすれ違う程度のことが数度あった。だがかけられる言葉がなかった。彼の様子からは元の陽気なやんちゃぶりが影も残さず失せており、重苦しく思いつめたような眉間のしわ寄りばかりが見受けられた。手を挙げあいさつがてら声をかけてみようとしたところで返されてくる視線には罪悪感があふれており、何をどう接しようとしても苦しめるしかないとなれば、まともに対面のしようもなかった。その頃はまだテウネス自身が立っているだけでも辛く、根気の込めようもなかったという要因も含むのだが……

 結局、そうしたすべてを含めて関係は悪いほうへとしか転がらなかった。六年経ち、体力も少しは養え、また互いに年長に育ち、いまならば冷静に対話する場も不可能ではないかもしれない。だがそもそもの交流が取り持てるところにない。ロビルクは彼の父親の職責を継ぐべく、つまりは将来の従士候補、アダラジェクス領戦士団員、そして村の自警戦力となるべく、ひたすらに武芸の修練に励んでいる。その一生懸命ぶりはまるで自らの身を鞭打たんがごとく、自罰的なもので、しかしその様子を見ているだろう大人たちは何も言わない。あるいは言っていることもあるのかもしれないがテウネスにまでは聞こえてこない。

 手の出しようがない。都合よくいかない。望みがかないなどしない。

 それが現実。テウネスの現実だ。手慰みの釣り、能力の検証。そんなものにどれほどの意味があるだろうか。

「……帰ろうか」

 そう声をかけて、テウネスは(きびす)をめぐらす。リムロッテはうなずきだけを一つ応じると、そのまま荷物を持ってくれて静かにあとを続いてくる。


 逃げられないのに、逃げることしかできない。

 自分は騙せない。忘れられなどしない。けれど目をそらしているしかない。

 それがあるいは人間なのかもしれない。超常の力が使えても、本当に大切なものに手が届きはしないのだから。

 分からない。分からないままの日々。空につく息だけが虚しく。

 きっと、罪の深さがそこには横たわっている。

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