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二死目に目覚めて

   〔2〕


「どうしろというのだ!」

 気がつけば叫びあげていた。

 ひきつれ、渇き果てた声は、まともに聞き分けられるようものではなかっただろうが。



 テウネス・アダラジェクスは、田舎領主男爵家アダラジェクス一門の三男として生まれた。

 つまりは成り上がり貴族である祖父の代から任じられた、王国辺境の山岳域において新地開拓を進める一家というわけだが。

 テウネスという名は呼び名であり、その真なる名はテーウムクイティオーネウスである。ただしこれは秘め名であって、直接の名付け親の他は、互いの生涯と魂を預けあう伴侶にしか明かされることはない。

 秘められた真なる名は、名を持つ人物の魂に対し支配力を持つとされ、その呪術的な効力が信じられている。一般には婚姻において相手に明かす、あるいは交し合うという形で最大の“契約”を為す用いられ方しかしない。だがもし魔法の秘儀を知るもの、魔術師や、異界の魔神や悪魔などを相手取る場合には、致命的な危険をもたらしもすれば強力な束縛効果を期待できもする。そのため取り扱いには細心の注意を要するもの、とされている。

 秘め名は三つの古語からなる。善き意味の言葉二つを前後に配し、悪しき意味の言葉一つを挟んで封じるという構成だ。そこから音節を圧縮したり抜き出したりしてくっつけ、一見しては意味の通らない音の連なりとする。元となった言葉とその意味は名付け親しか知らず、当人にも明かされない。これは親が子の行く末を案じる心の、人生の避けざる不運と悲劇を少しでも遠ざけようと願う、祈りの織り込めのようなものだ。

 日常に用いる呼び名は、その秘め名からさらに音を抜き出し、原形の推測ができぬ形でかつ口で呼ぶことも字で記すことも容易であることが考慮され、やはり親が決める。

 なお、家名はこれと異なり、たいていは一族の住む土地の特徴から言い表される。あるいは他の既知なる家名とまぎらわさぬよう、単に独特の音節として決められることもある。アダラジェクス家の名は祖父が叙爵された際に新たと授けられた名で、新興貴族として特に由緒は持たない。意味合いは山深く水の恵みある……と、そんなような古語からの変形だ。

 ともかくテウネスの名と身はそのようにして今ここにあり、その存在は、まあ、愛されてきたといってよいだろう。領主一家といえども山裾の辺鄙な田舎暮らしとなれば、飢えに腹を空かすということこそないが肉や魚を毎食とはいかず、麦ばかり芋ばかりといった時期もある。そのため栄養豊富に身を育むことはなかなか難しく、テウネスを始めとした子供らの身体(からだ)つきはおおむね痩身めいてしまっていたが。

 それでも父と母、祖父母に兄弟姉妹と暮らす日々の中、温もりが満ちていなかったという記憶もない。

 だが齢七つの年の春。

 テウネスの命運は激変を迎える。なんの悪意もなかったはずの、子供同士のふざけあいが少し行き過ぎただけの事故。それがすべてを破滅させる悲劇の引き金となることなど、はたして誰に分かっただろう。

 ひょっとすれば、後々までの結果を見てもなお、理解できた者などいないのかもしれなかった。


 その日、テウネスたち年少の子供らは遊んでいた。

 いつものように代わり映えもなく、駆けっこ遊びや、隠れあい、くるみ殻だの小石だのの投げあい、飛んだり跳ねたり踊ったり。一見意味のわからないようなことでも、子供の内は笑って楽しめるものだ。また女の子たちは十にも満たぬ年であっても草花を摘んだり編み輪を作ったり、そうしたことを年長から年少に教えて自然と受け継いでゆく。

 同じ村で育つ子供同士、生家の格の違いなどささいなことで、誰もみな幼馴染であるといえた。それでも特に仲のよい間柄というのは生まれるもので、テウネスにとってそれがロビルク、リムロッテ、クイムの三人だった。

 やんちゃ小僧のロビルク。開拓以前の傭兵団・武装商団時代から直参たる従士の家の子で、祖父母の世代から家族ぐるみの付き合いがある。

 物静かな少女リムロッテ。開拓の中期、一世代前(親の世代)から村に合流した薬師の家の子だ。貴重な医療知識を持つ専門職として頼られる家である一方、無学な村人たちには理解の及ばぬ技を操り薬草や木の根、怪しげな色彩のキノコなどを様々に調合する姿が世の理に反した呪術師のようにも見られ、家屋の建つ場所が集落の外れに配されるなど一定の距離を置かれてしまっている家でもある。(それが実利的な臭気や排水の都合も含めて合意の上であることを理解する者はさらに少ない)

 おしゃまな女の子クイム。これはまあテウネスの妹である。二つ年下の五歳ながら時にテウネスたち兄世代の者たちを言い負かすほど口と頭の回りが達者な子で、テウネスより上の兄姉たちは年の差が少し離れていることもあってテウネスが主に面倒を見てきたためか、どこへ行くにもテウネスの周りにまとわりついてくるようになった。自然、元は三人でよく遊んでいたこの集まりにも混ざっているようになり、今では四人で組んでいることが当たり前になっていた。

 この三人だけであるなら性格の衝突などからまとまることも難しかったろうが、そこの調整・調停役のようにして中心に位置している性格どころが、つまりはテウネスだった。テウネスはなぜか幼い子供というにはしごく落ち着いた性格をしており、それでいて子供らしい陽気さもあわせ持っていたため、やんちゃなロビルクとの遊びまわりにも付き合えれば、物静かなリムロッテに配慮してその日ごとの遊び内容を調整することも忘れなかった。そうしたことの積み重ねにより、おおむねどちらからも好かれる立ち位置を築くに至っていたと、そう評せるだろう。

 そんな四人を含めた、村の子供らの内のまだ働き手にも見習いにもならない――つまりはおおむね十歳以下の――小グループが十数名ほど集まって遊んでいた。

 場所は、川原だ。午後から場を移し、村外れに通る沢の流れの縁にて。春を迎え雪解け水の豊かに流れ込むこの時期、春生りの野菜や山菜などの泥を落とす洗いや、冬の間に溜まった洗い物の片付けなど、村の女衆が取り組むべき水仕事は多い。

 日は暖かくなりつつあるといえども流れる水はまだ凍りつくように冷たく、手指をあかぎれさせながらの重労働だ。とはいえ、子供らを放置して勝手に遊ばせておくというわけにもいかないので、女たちの行く先にいちいち連れ立たせるような形になる。川原という場は子供を遊ばせるには危険な環境ではあるものの、実際に目を届かせていられる範囲を問えば致し方なかった。

 ただし大人といえる歳の女は仕事優先にならざるをえず、子供らの監督は断続的なものになる。そのためこうした場合、なるべく年長の子が目を配り、年少の子らの危険を抑えるという自然な役割の分担が生じるものだった。だが……

 完璧とはいかない。何事も。それは仕方ないことで、だから時おり不注意からの事故が生じることもまた、仕方がなかったのだろう。

 それまでの遊びの勢い高じるまま、ロビルクが大人の肩ほどの高さの岩立ちによじ登り、両手で抱え上げられる程度の大きさの石をテウネスへ向けて投げようとした。これ自体はたしかに危ない行為であるがこの年頃ならよくやるやんちゃに過ぎないことでもある。実際、受け手のテウネスも投げられることを承知して身をかわす備えもできており、視線も交わして前もって両者の意思疎通とタイミングを図った上での、遊びとして成り立っている行為ではあったのだが。

 その時は不幸なことに、投げ手のロビルクにとって死角になる横脇の方向から、リムロッテとクイムが駆け寄ってきた。二人とも手に何とか形になっている程度の草花を編んだ輪冠を持っており、おそらく沢場の縁に生える春草で編んだのだろう、出来上がったそれをテウネスへ見せようと珍しくはしゃいで、勢いよく抱きつくように駆け寄ってきていた。

 そのリムロッテたちからはロビルクが見えていない。同じく、もう石を投げ放ちつつあるロビルクからもリムロッテたちが見えていない。両者が見えているのは唯一、間に立つテウネスだけ……

 ならば何とかするための行動を起こせるのもテウネスだけということだった。危ないと声かけつつとっさにリムロッテたちの身をかばうテウネス。投げられ落ちてきた石はなんとか危険な角度は避けテウネスの背を打つ。しかし、沢べりのガレ場という場所がよくなかったのだろう、かばうための身のひねりと勢いからテウネスは足を滑らせ、そのまますてんと軸を返すように転がった。そして頭を打った。

 地面が土ではなく石の場所に。側頭部後方の一番もろい箇所を。

 あまり知られていないことだが頭蓋骨には割れ目の筋が複数走っている。縫合線とも呼ばれ、幼少時に頭蓋と脳が大きく育ってゆくために必要な遊び(余裕)であり、大人になる頃には骨が癒着して埋めているため問題もなくなる(それでも元が割れ目であることからの構造的脆弱性が比較すれば残るが)。だが子供の内には文字通りの弱点であり、だから幼児が転んで頭を打つことは特に危険と警鐘されるわけだ。この頭蓋の成長がちょうど発達し終えるのが七歳ほどであり、子供の頭脳の処理能力は大人と大差なくなる。不足しているのは経験だけだ。

 そして、だからこその危険な時期でもある。好奇心、思いつき、その発想力、行動力、それらが大人のたやすく制しうる範囲を飛び越えかねないのだ。しかも、頭蓋の成長がちょうど終わる頃ということは、それを収める器たる骨はこれから頑丈さを固める段階ということであって……つまりは、やってしまう行動の威力と、結果を受ける身の強さがアンバランスな一時期であるということだった。

 そのまさに最も危険が集約する交点を、踏み抜いてしまった。子供のやんちゃは大人の手をこぼれるものであり、どうしたところで数年に一度は見受ける事故でもある。だが今回は、それが悪い方へ転がってしまった。

 側頭部後方を石くれに強打したテウネスは、ひとたまりもなく失神した。そして泡を吹き、わずかに痙攣(けいれん)を繰り返し、目を覚まさなかった。

 状況が理解できずその場でそれぞれ立ち尽くすリムロッテとクイム、岩上に立ったままのロビルク。やがて周囲の子供らが場を察して騒然とし、それをさらに聞きつけて大人が様子を見に来て、目にした事態に慌てて駆け寄り騒ぎだす。

 テウネスは目を覚まさない。


 その後テウネスはまず三日三晩、生死をさまよい、次いで高熱にうなされて十日を寝込んだ。

 最初の三日間では一度ならず呼吸と心拍が止まり、その度に見守る大人たちの心臓も凍えさせた。村の薬師、リムロッテの両親は出来るだけの手を尽くしはしたが、しかし強心作用のある薬草の根など年端も行かぬ子供の身体にそうそう使えるものではない。ただでさえ頭部を強打しており内部の出血も疑われる容態だ。体内の血圧に薬理をもって干渉することは非常な繊細さを要し、田舎の薬師が処方してみせようというには至難だった。

 しかし、なぜか不思議と……もう駄目かと諦めが沈みそうになる度に、止まった心拍と呼吸が数十を数えるほどで再び動きだすのだ。死んで、生き返り、また死んで、生き返り。都合で八か九かというほど繰り返し、テウネスの身体は危うい冷たさに陥っていった。それこそ死人のごとき冷たさに。

 そして最終的には持ち直すことに成功した。が、まるでそれまでの反動であるかのごとく今度は高熱を発してしまい、これはこれで危険を極めた。

 ただでさえ寝込み続け、すなわち食事の摂取もなく、水分すら吸飲み(病人介護用の急須のようなもの)でわずか口に含めさすだけがやっと。そんな状態で汗だくになって高熱を発し続ければどうなるか。

 衰弱だ。発熱の“消費”をまかなうだけのエナジー源が他にないのだから、自身の身肉を削って消耗してゆくしかない。これも意外に知られていないことだが、人間の代謝系というものはかなりしぶとく幾重もの仕組みを備え、たとえば脂肪分解によって代謝を支える際には同時にある程度の水分を体内生成できたりもする。そのため、安全な環境で横になっていられるならば、補給の問題に関しては時に驚くほどの長持ちぶりを示すこともある。

 とはいえ、使い込む一方では、やはり減るものが減り続けるしかない。つまりはテウネスの身体は見る間にも痩せ衰え、あばらには骨が浮き、元よりさして太さもなかった手足に至ってはまるで鳥の足のごとく、骨に皮が張り付いただけのように。

 たとえ快方に向うことができてこの先を生き延びられたとしても、もうこの子は己の足で立つこともかなわぬかも知れぬと、そう大人たちに覚悟を決めさせるほどの。ありさまを経て。

 実に半月近くもの苦闘の末、テウネスはようやく目を覚ました。

 もはや看病にも疲れ果てていた家族と大人たちは、それでもとっさに喜色をもって寄り集まった。吸飲みで薄い茶をテウネスの口に含めさせてやり、優しく介抱してやろうとした。

 そして困惑した。熱が落ち着きつつあるとはいえいまだ高熱が治まったわけでなく、それにうなされているのかとも思った。だがどう聞き分けようとしてもそのテウネスがうなりあげる言葉だか叫びだか、意味が分からなかったのだ。

 ひきつれ、渇き果てた声ながらも、目覚めたテウネスが叫びあげたつもりだったもの。

「どうしろというのだ!」

 と、まともに聞き分けられるような声ではないと承知の上であっても。

 しかし問題はそんなことではなかったのだ。声音のかすれ具合がどうこうではなく、寝台を取り囲む者たちにとってはそもそもが意味の通りようもない言葉だったのだ。

 なぜなら、その言葉の音韻は、この地の人々が用いる言語のそれではなかったのだから。



 そんな事態だと知る由もなく。ただテウネス当人は叫び続けていた。

 底も尽き果てた体力を、命の器を、なお投げ打つようにも声を絞り出して。

 叫び続けるしかなかったのだ。気が狂わぬためには。いや、いっそもう狂っているためにこそ。

 目覚めてしまった。終わっていられなかった。一度きりであるからこそかけがえなく大切なものだと、心の奥にそっと秘めて祈っていたもの。それらがすべて台無しになってしまったのだから。

 これはなんだと叫ぶしかないではないか。引きつるままの悲鳴をせめて。命が始まってしまったことを祝福できないとき、それは、もう、生きているからこその地獄ではないのかと。

 言葉が混濁する。かつての言葉と、いまの言葉。慣れ親しんだ当たり前を口から発したつもりのそれが、ぐちゃぐちゃにも混ざり合う。意味が分からない。誰にも分からない。

 それでも叫ぶのだ。この肉の檻に閉じ込められた奥底の、かすか一つ種火たるを、吹き消したくないなら叫ぶしかない。勢い死なせず訴えるしかない。

 誰にか。神にか。この世の不条理にか。それともあるいは、己にこそか。

「ここはどこだ!」

 やり直し。

 人生のリセットボタン。

 そんなものが一度でも押されてしまえば、最後、この場のどちらに地面があるのかさえも分からなくなってしまうだろう!

「おれは誰だ!」

 だから叫ぶしかないのだ。

 喉が裂け、血の味が(にじ)もうと。怒声か嗚咽(おえつ)かも分からぬままに。

「それが……分からないのなら。いったい他に何がいえる」


 この世に生まれ出でてしまったことを嘆きあげる。

 第二の産声を。

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