9:魔王さまとケーキ
珍しく級友と買い食いをして、まゆ子は自宅へ戻って来た。
ドアを開ければ、玉ねぎを炒める匂いが漂う。父が先に帰り、料理をしているらしい。甘く香ばしい匂いに、クレープを食べたばかりの胃が歓喜した。
育ち盛りだから仕方ないのだ、と自分に言い聞かせていると、話し声がすることにも気付いた。
父が電話を使っている、あるいは死霊と交信しているのかと思ったが、違ったらしい。
どうやら、男性の来客者がいるようだ。会社の同僚だろうか。
ドアに鍵とチェーンをかけつつ、二人の会話に耳をそばだてる。
「へえ、まゆ子がねぇ。あなたのお手伝いを?」
「はい。逃げ出した犬を、一緒に捕まえてくれまして。お陰で助かりました」
「いやいや、お仕事が無事に済んで何よりですよ。探偵なんて、大変でしょう?」
みるみる、まゆ子の顔から血の気がなくなる。
声も、「探偵」という職業も、身に覚えがあった。まさか、と唇だけが動く。
それに気付いたわけでもなかろうが、来客者がひょっこりと、台所から顔を出した。
「よお。お帰り、マユコさん」
「ひゅぎぇっ」
飛び上がって、声帯がひっくり返った声を出す。
にやにや笑いを浮かべているのは、渡し守ことウルリッヒであった。相変わらず眠そうで、それでいてどこか如才ない笑みを浮かべている。
まゆ子が脂汗を流していると、父・将造も現われる。歩くたび、出っ張ったお腹がタユンタユンと揺れていた。
「お帰り、まゆ子。ちょうどお前の話をしてたんだ。探偵さんのお仕事を手伝ったんだって?」
偉いなあ、と父は呑気に笑う。
──気の抜けた笑いを浮かべるな! こやつは我の敵であるぞ!──
などと叫びたかったが、
「あぅ……」
今のまゆ子には、これだけ言うので精一杯だった。
眼鏡をずらして焦るまゆ子へ、ウルリッヒは食えない顔を作る。
「この前の礼に、ケーキを買って来たんでね。お義父さんも、一緒に食べませんか?」
「お義父さんと言うな!」
父本人よりも素早く激昂する。
ムキになった魔界の王に吹き出し、ウルリッヒはゲラゲラと笑った。
「はっはっは。まゆ子は可愛いな」
将造は相変わらず呑気だったが、オーブンに呼ばれて慌てて台所へ戻る。
下唇を噛んで屈辱に耐えるまゆ子の肩を、いつかのようにウルリッヒが叩いた。
今日は軽い、羽のような接触だった。
「心配しなくてもいい。転生しちまった魂を、無理に殺しやしない」
「何、だと」
「もちろん、死んだらすぐに回収するけどな。だから出来るだけ、早めに死んでくれよ」
あっさりと、薄気味悪いことを言ってくれる。
にらみつければ、チェシャ猫の笑いが彼女を見下ろしていた。
色々と腹立たしい、煮ても焼いても食えない男だが。
買って来たケーキは美味しかった。
まゆ子は甘味を拒めない、意志薄弱な己を恨んだ。