4:魔王さまと駄犬
学校帰りの出来事だった。
クロディーヌとの喧嘩を教師に咎められ、罰として黒板に延々と「もう術式で鼻毛を伸ばしません」と書かされた帰りであった。
疲れ切った右腕をさする彼女の前に、黒い塊が転がり出た。
のけぞって足を止め、まゆ子は塊をまじまじと眺め、そして歓声を上げた。
「黒妖犬ではないか」
それは先日、近隣の住宅から逃げ出したという魔獣であった。名前の通り、外見だけなら犬にそっくりだ。ただし随分と大きく、牙も鋭いが。
販売目的で飼っていただけあり、体躯は立派、毛艶も素晴らしい。
まゆ子はしゃがみ込み、爛々と赤い黒妖犬の瞳を見つめる。そして喉を鳴らし、魔獣の言葉で呼びかけた。
『こんにちは』
長らく魔獣の言葉など使っていなかったため、咄嗟に出たのは英会話初級レベルの挨拶であった。まあ、意思疎通ぐらいなら何とかなるだろう。
ちらり、と自宅の狭さも脳裏をよぎったが、それを振り払う。
その気になれば、学校でも飼えるだろう。もしくは父親に、「これはでかい犬だ」と言い聞かせればいい。
同界のよしみとして、このまま見捨てるのは惜しかった。
しかし。
黒妖犬は尻尾を振るわけでもなく、ただ唸った。
それは魔獣の言語に精通した、まゆ子こと魔王にすら分からない、ただただ本能による唸りだった。
黒妖犬は、魔獣の中でも最も利口な部類に入る。
何故だ、とまゆ子は自問した。
「そうか……人間界で飼われていたが故、言葉を知らぬのか」
次いで推測し、愕然とする。
売買が目当てで密輸入されたのだ。愛情を持って育てられたとは思えない。
きっと、他に同族もいない閉鎖環境で、孤独に育てられたのだろう。
ねばついた涎を流して咆哮する黒妖犬に、まゆ子は悲鳴を上げる。
「これでは本当に、ただの馬鹿デカい犬ではないか!」
しかも、かなり大きくて乱暴な犬である。ペットとしては、いいとこなしだ。
見目の割にお馬鹿らしい、アフガンハウンドやシベリアンハスキーを飼った方が、よほど建設的だ。
言葉は分からずとも侮蔑は分かったのか、黒妖犬は身を低くしてまゆ子を睨む。
赤い両目に、殺意が宿っていた。
「あ……」
まずいかも、とまゆ子が察した時には遅かった。だって彼女は運動音痴。逃げたところで、追いつかれるのがオチだ。
そして黒妖犬は、引きつる彼女目がけて跳びかかった。




