37:魔王さまと祭の後
「あー、怖かったです」
膝を抱え、お行儀悪く地べたに座り、イルーネは疲れた顔で微笑む。
彼女のパートナーも隣に腰掛け、しみじみと頷いていた。
まゆ子も彼らの近くで横臥し、ぐったりしている。
魔導の連続構築よりも、クロディーヌにしこたま殴られた傷が辛かった。
首だけ動かせば、クロディーヌは担架に乗せられ、医務室へ運ばれようとしていた。意識は戻ったものの、本人に憑依されていた間の記憶はないらしい。嵐が過ぎ去ったような会場の光景を目の当たりにし、顔をひくつかせている。
また、殴打によって出来た両こぶしの傷にも、彼女は仰天していた。
「私が人を殴ったですって? 嘘よ! スプーンより重いものを持ったことがない私が、殴れるわけないでしょう!」
教師から事情を説明されても、彼女はぶんぶん首を振っていた。
──そんなわけあるか。貴様のパンチは、勇者級に重かったぞ──
被害者であるまゆ子は脳内で、そうぼやいた。
事の張本人であるルロイは、担任と校長、教頭および副校長に囲まれ、ガミガミとお叱りを受けていた。一ヶ月程の停学は間違いないだろう、と、お説教の内容から伺うことが出来た。
教師をかつて、変身術で半殺しにしたまゆ子ですら、便所掃除で済んだのだ。まあ、退学とまではいかないだろう。
──それにしても、副校長と教頭の違いは何なのだ?──
疲れた頭でどうでもいいことを考えていると、視界にイルーネの顔が映った。超至近距離で、彼女は気遣わしげに顔を曇らせている。
「マユコちゃん、大丈夫ですか?」
「仔細ない、案ずるな」
友人の手前、空威張りをする。本当は寝返りを打つだけでも、腕やお腹がずきずきと痛んだが。
腕を回して健康をアピールしたいところだが、ひねることすら重労働であったため、どうにか笑みだけでも取り繕う。
「私ならなんともない。クロディーヌの一打など、児戯にも等しい」
「だけど、ドレスも髪もグチャグチャですよ」
自分がなったわけでもないのに、イルーネは打ちひしがれている。これだから、彼女はまゆ子の友人でいられるのだ。
しかしイルーネの言葉に促されてドレスを見下ろし、続いて髪を触り、たまらずまゆ子も小さな悲鳴をこぼす。続いて痛みを忘れ、跳ね起きた。
ドレスはレースが引きちぎられ、あるいは穴が開いていた。そして床を転がったため、砂埃にもまみれている。
また、後頭部でお団子を作っていた髪を引っ張り出され、まるで南国の樹木がごとき様相となっていた。
「……ひどい」
かそけき声で、思わず本音をこぼす。と、どっかりと、誰かが真横に腰を下ろした。
潤む視界で見上げれば、蝶ネクタイを緩めるウルリッヒと目が合った。
いつもの人が悪い笑みで、見返される。
「確かにひでえ有様だな。ドレスも頭も、グチャグチャじゃないか」
「うるさいっ」
「顔もぐっちゃぐちゃだな。あーあー、鼻水まで垂らして」
「うるさいと言っているだろう!」
再び流れ出した涙と鼻汁をぬぐい、ぎゃんぎゃんわめいた。
「似合ってたのにな、もったいねえ」
名残惜しさのこもった声音で、ウルリッヒがぽつり、と呟いた。
たちまち、まゆ子は固まる。見開いた目で彼を見つめるも、思いの外、その顔は生真面目であった。
真っ赤なまま硬化した後、へどもどと彼女は返した。
「……こ、ここへ来るまで……何も言わなかった、ではないかっ」
「そりゃ、言わなくても分かるかなーと思ったんだよ」
「分かるか、愚か者! もっと早くに言え!」
腹立ちと気恥ずかしさ混じりにぺしん、と彼を叩くと、軽快な笑いが返って来た。
と同時に、やや乱暴に頭を撫でられる。
「可愛かったぜ、マユコ」
ど直球にほめられ、再び視界が潤む。すん、と軽く鼻をすすってまゆ子はそっぽを向いた。
「過去形で言うな、心外であるぞ」
「素直に喜べよ」
明後日の方向をにらむまゆ子と、にやつくウルリッヒを眺め、イルーネはくすりと微笑んだ。
散々に終わった召霊夜であったが、まゆ子の気持ちは案外清々しかった。
誰のおかげでそうなのかは、魔王の沽券にかけて認めないが。
意地っ張りで乙女心丸出しな魔王さまのお話は、ひとまずここで終了です。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!




