35:魔王さまと匂い
腕を組み、まゆ子はいらだたしげに息を吐いた。
「貴様……我に恥をかけと申しているのか?」
肩をすくめるウルリッヒは、余裕綽々としている。
「まあ、そんなところ」
「慮外者め!」
ウルリッヒからダンスに誘われ、頑なに拒否し、最終的に噛みついたところで、背後に気配がした。
振り返ると、いつぞやの金色のドレスを着たクロディーヌが立っている。
あれだけケチを付けられたのに購入したとは、あっぱれな精神力である。
彼女の、ふんぞり返る、ではなく背を丸めている姿に、まゆ子は驚愕した。
「背骨が反り返っておらぬぞ、何があった」
「あなたって、どうしてそう失礼なのよ。……ねえ」
一瞬顔をしかめたが、しかしクロディーヌはすぐさま湿っぽい声で問いかける。
視線は、迷子のように辺りをさまよっている。
「ルロイのこと、見なかった? 会場に入った途端、どこかへ行っちゃったの……」
「いいや」
意地悪をしても仕方がないので、素直に見かけていない、と答える。
ダンスから戻って来たイルーネたちにも確認するが、こちらも空振りであった。
申し訳なさそうに、イルーネは細い指をこねくり回す。
「わたしたちも、見てません……クロディーヌさん、はぐれちゃったんですか?」
「はぐれたって言うより、逃げられたの」
クロディーヌがうつむき、自嘲気味に言う。
いつもの居丈高な姿とは、まるで違っていた。
「だって本当は彼、あんたみたいな子のことが好きだから」
視線を向けられ、ジュース片手にまゆ子は固まった。
たっぷり三十秒、まゆ子は静止した。
周囲も黙りこくって、彼女が状況を飲み込むのを待つ。
「なっ……」
まゆ子の唇が、かすかに揺れた。
「なんと悪趣味な!」
そして叫んだ。
「確かに、悪趣味だ」
「悪趣味よね」
ウルリッヒとクロディーヌも、半拍すら置かずに同意する。それはそれで、ムッとした。
顔を曇らせる彼女に代わって、イルーネが力説した。
「そんなことないです! マユコちゃんは可愛いですよ! 照れ屋さんで頑張り屋さんで、どんな時も一生懸命で! でも、ウルリッヒさんにはちょっと意地っ張りで! そこがまた、可愛いんです!」
友人に庇ってもらった挙句、可愛いと連呼させてしまう申し訳なさよ。
余計に、いたたまれなくなった。
──泣きたいかも、我──
実際に涙目で、まゆ子はぼんやり考える。
しかし弛緩した頭が、会場の外から漂う匂いを素早く知覚した。
それは、魔導の香り。
召喚術を構築した時に発する匂いだ。匂いと同時に、まゆ子は何か悪意めいたものも嗅ぎ取った気がした。
ハッと、彼女は顔を強張らせる。
同時に入り口から、複数の悲鳴が聞こえてくる。
悲鳴は波のように、徐々に高く、大勢の声となった。
と、その悲鳴の間を縫って、一人の怒声が会場に響き渡った。
「パーティーなんか、めちゃくちゃになっちまえばいいんだー!」
怒声の主は、ルロイであった。




