30:魔王さまと教科書
勉学にはすこぶる熱心なまゆ子だが、たまに失敗もする。
本日は歴史の教科書を、カバンに入れ忘れていた。
苦虫を口いっぱいに詰め込んだ顔で、彼女は隣のルロイを見る。
「すまん、ルロイよ……」
魔王の気質故、頭を下げるのが苦手なのだ。
一方のルロイは、爽やかな笑顔を返す。
「教科書忘れたの? いいよ、はい」
彼はまゆ子へ、一途に好意を寄せている。
そのため彼女の一挙一動を常に見つめており、此度も事態を飲み込むのが早かった。
阿吽の呼吸で机を寄せてくれたルロイへ感謝しつつ、まゆ子は能天気に考える。
──存外使える男よ。こやつを部下にすれば、我が宿願も……いやいや、今は授業だ。パパが学費を払ってくれているのだ、集中、集中──
彼の好意にはさっぱり気付かず、二人の机の真ん中に置かれた教科書へ、キッと視線を落とす。
そして思わず、小さく吹き出した。
ちらりと教師に見据えられ、慌てて咳払いでごまかしたものの、隣のルロイはばっちり気付いていた。彼女が、何に笑ったのかを。
まゆ子はルロイの教科書に載っている、勇者の肖像画に吹いていた。
元は、キリリと凛々しく精悍に描かれているのだが、この年頃の少年にかかれば勇者もおもちゃ。
顔一面に、ラクガキが施されている。眉毛は繋がれ、睫毛は増量され、口元には泥棒のような濃いヒゲが蓄えられている。おまけに髪型は、アフロへと変貌していた。
顔の真横には吹き出しが添えられており、「朝から、ふえるワカメしか食ってねぇ」と勇者はぼやいていた。
勇者へごまんと恨みのあるまゆ子にとって、このラクガキはなかなか痛快だった。
むしろ生前、勇者をふえるワカメ責めにしてやれば良かった、などと考えてしまい、また笑いが込み上げる。
小刻みに肩を震わせるまゆ子の姿を、ルロイは嬉しげに見つめていた。
そして授業の進行に合わせ、ページをめくる。次のページにも、ルロイの自信作があるのだ。
だが、その自信作を目にした途端、まゆ子の震えが止まった。
おや、とルロイが内心小首をかしげていると、鬼の形相が振り返った。
「え、マユコ……」
何かを問う暇すら与えてもらえず、彼はグーパンチでぶたれた。
痛さはほとんどなかったものの、精神的に来るものがあった。
「こら、何をやっているんですか!」
優等生の突然の暴挙に、初老の教師も、教科書を片手に慌てる。
「だまれ!」
妙に年季の入った恫喝で、まゆ子は教師すら黙らせた。
フーフーと、全身を大きく上下させて呼吸する彼女は、つり上がった目でルロイの教科書を一瞥した。
勇者の肖像画に続いて、魔王の肖像画も掲載されていたのだ。
もちろんこちらも、ラクガキの被害に遭っている。
ガッチリムキムキの外見が災いし、額には「肉」と描かれ、鼻毛も伸ばされている。
おまけに、「ワシの朝は、にんにく卵黄とプロテインで始まるのじゃ」という吹き出しもあった。
「我はプロテインなど飲まぬ!」
天然で筋肉を作り上げた身として、これ以上ない侮蔑であった。




