27:魔王さまと電波
人間の肉体を得たとはいえ、ウルリッヒの魂は今も渡し守のままだ。
いわば現在は、人間界での、少し長い有給休暇の途中なのである。
普段は本業から離れて人間の生を楽しんでいるものの、不測の事態があれば渡し守へと戻ることもある。
新月の今晩も、彼は本業へと立ち戻る羽目になっていた。
そのきっかけは、夢で見たお告げ──というか業務命令である。
酒をかっくらってまどろんでいたウルリッヒの脳へ、冥府での上司が直接語りかけてきたのだ。
──ウルリッヒよ……──
「何、この電波」
まどろみから一時浮上し、ウルリッヒは呟く。
声はやや、不機嫌さを帯びた。
──失礼な。電波じゃないよ、君の上司様だよ──
「あ、すんません」
──分かればいい……そこで本題だが。魔界の有力者が一体、人間界へ忍び込んだ。狙いはマユコ・ナツメだ……どうやら、魔王の生まれ変わりである、と勘付かれたらしい──
「そりゃ……大変っすね」
夢うつつに同情すれば、上司の声が憤慨する。
──大変っすね、じゃないよ。お前が行けよ。一番近いんだから──
「はぁっ?」
素っ頓狂な声を上げて、ウルリッヒはぱっちり双眸を開く。
事務所の仮眠用ベッドの上空から、再び上司の声が響き渡る。
──その有力者は、マユコを魔王へ据え置くつもりだ。そうなる前に手を打て。手段は問わないから──
「いや、そりゃいいですけど……その、手当は? これって休日出勤になりますよね?」
寝癖だらけの頭をかき、ウルリッヒは顔をしかめる。
──人間界の危機だよ! 今はお前も人間だろ! 無料奉仕で頑張りなさいよ!──
「いやいやいや。そういうのって、そもそも神界がどうにかする問題っすよね。んな大事を、俺一人に任されても──」
──ウル公のケチ! いいからとっとと世界を救え! 死ぬ気でやればどうにかなるでしょ!──
が、声は屁理屈な理論を振りかざし、それきり交信を途絶した。
本業のとんだブラックぶりに肩を落としつつ、ウルリッヒは着替えをし、外へ出た。
「下っ端は辛いよ、ほんと」
ウルリッヒの事務所があるビルから、まゆ子のアパートまで、徒歩十五分程の距離がある。走れば、まあ、五分程度で着くだろう。
魔導光が照らす道を、ウルリッヒは音もなく駆け抜けて行く。
何かと問題は孕んでいるものの、今の人間界は住みやすい。槍を片手にウホウホ言っていた時代を知る身からすれば、目を見張るほどに発展している。
確かに、再び戦乱の時代へ落とすのは忍びない。
「そうなると、魔族とマユコが接触するのを、なんとしても防がなきゃならないか……しかし、既に接触していたらどうする?」
落ち着いた呼吸の下で、ウルリッヒは自問自答をする。
接触済みであれば、魔族を消したところで手遅れかもしれない。
そうなれば殺すべきか? あの、少女の皮を被ったオッサンを?
……できれば、それは避けたい。
可能性を提示するも、即座に感情が否定したことに気付き、ウルリッヒは口元を歪める。
「情が移ったか。これだから、人間は厄介なんだ」
己の心情に落胆しつつ、納得もした。
あの女子高生モドキは、見ていて面白いのだ。本人は生真面目に、魔王としての矜持を保っているつもりなのだろうが、傍から見ればただの「変な子」である。
だから殺すのは、何だか勿体ない気もした。
思考がまとまらぬ内に、まゆ子の家へ到着した。
遠巻きにアパートの入り口を観察し、ウルリッヒは小さく舌打ちをする。
いた。魔族の証である角を生やした美丈夫が、入り口に。
面倒なことに、パジャマ姿のまゆ子もいる。二人は真剣な顔で、何かを話し込んでいた。
このまま魔界へ連れ帰られてはまずい。
決心できていないまま、冥府の加護が込められた櫂を出現させ、ウルリッヒは隙を伺う。
しかし、彼が二人の背後へ飛び出すことはなかった。
代わりに魔族の男が、まゆ子によって吹き飛ばされた。
術式をぶつけたらしく、まゆ子の周囲には光がちらついている。
「そのようなふ抜けた体格で、魔王の側近が務まるか! 笑止!」
いわゆる優男体型である魔族を、まゆ子はあらん限りの雑言で罵った。
地面を転がった魔族は、最初顔を真っ赤にして激怒したものの、魔王との舌戦に勝てるわけもなく、最終的には号泣した。
泣きながら立ち上がり、ダバダバとまゆ子の元から逃げ出す。
そのまま、彼は夜闇に消え失せた。
「ふん。三下風情が煩わせおって……我のお肌が荒れちゃったら、どうするつもりだ」
深夜に起こされたまゆ子も、憎々しげにそう吐き捨て、さっさとアパートへ引っ込む。
結局、ただ魔族が侵入し、そして逃げ帰っただけであった。
つまるところは取り越し苦労であったのだが、ウルリッヒは安堵していた。
「あいつが馬鹿……いや、マッチョ信者で何よりだ」
逃げた魔族の処理は同僚に任せようと判断し、彼は大きくあくびをするのであった。




