26:魔王さまとシャボン玉
料理と魔導はお手の物であるまゆ子だが、根本的に瞬発力が悪く、不器用である。
「ふぐーっ!」
そのため今も、ストロー片手に唸っていた。
ストローの先端には、水で薄めた洗剤が浸されている。シャボン玉液である。
「マユコちゃん、力んじゃ駄目です。優しく、『ふーっ』です」
ぷかぷかとシャボン玉をふかしていたイルーネも、ストロー片手に苦笑気味だ。
教室から窓の外へ、ただただ洗剤を吹き散らす。
これ以上ない無益な行為に、まゆ子もややしょげていた。
「理屈は分かっているのだ。だが、口元がまままならぬ」
「本当に不器用なんですね」
どんな術式でもたちどころに我が物としている、授業中の彼女とのギャップに、イルーネは少しばかり楽しそうだ。
くすりと微笑んだイルーネに気付き、まゆ子は眉間にしわを刻む。
「私を愚弄しているな、イルーネよ?」
「ち、違いますよ。やだ、術式組まないで! そうじゃなくてですね、苦手なこともあるんだな、と思っただけです」
両の掌に魔素を集約する姿に、イルーネは大慌てで首を振った。
「そんなことない。苦手なことだらけだ」
自分で言って、俄然落ち込む。
──社会へ巣立つことが、今から心配で、ならぬ──
なにせ前世では、腕力で全て解決していたのだ。社会人として独り立ちできるのか、と魔王は世知辛い悩みに囚われる。
そして再度挑戦したシャボン玉も、ただの雫となって窓の外へ吹き出された。
「ぐぬぬ、お、のれ……」
歯ぎしりしながら、眩暈に襲われた。前のめりになったまゆ子を、イルーネが支える。
「大丈夫ですか? フーフー吹き過ぎて、貧血になっちゃったんですよ」
「すまぬ……」
お姉さんぶった口調でたしなめる友人に、まゆ子は力なく謝罪した。
イルーネに連れられて椅子まで戻ると、同時に教室の扉が開かれた。
入って来たのは、クロディーヌであった。
彼女はげんなりする二人と、二人が持つシャボン玉液を交互に見比べ、鼻で笑った。
「シャボン玉遊びしていたの? あなたたちって、本当に子どもね」
せせら笑う彼女へ、イルーネが震えながら食らいつく。
「お、大きな声、だ、出さないでっ。マユコちゃん、今、貧血なんですっ」
「あら、シャボン玉やり過ぎたの?」
変なところで、クロディーヌは聡い。天性のいじめっ子故、だろうか。
上半身を反り返し、なお彼女は笑った。
「ばっかみたい。どうせフーフー吹くなら、私のためのファンファーレでも吹いてなさいよね!」
「黙れ、ざます口調が」
くらくらする視界に顔をしかめ、まゆ子は低く返す。
クロディーヌは、少し心外そうだった。
「私、ざますなんて言ってないけど」
「イメージだ。貴様はざます系人種なのだ」
椅子にもたれる気だるげな姿勢で噛みつき、まゆ子は思案。
──魔王とは、第二・第三の形態を持って初めて、魔王と名乗れるのだ……今こそ、我が真価を見せるべきだろう──
シャボン玉が出来ないまま、というのも癪であるし、クロディーヌに笑われっぱなしというのも気に食わない。
えいや、と身を引き起こし、左手を中空へかざす。
呆気にとられる二人の視線を無視して、素早く術式を組み立てる。
そしてその式の中へ、右手で引っ掴んだ容器の中身をぶちまける。
シャボン玉液を浴びた術式が、途端にはじけた。
魔素を帯びて四散した洗剤が、巨大なシャボン玉となって教室を包み込む。
金箔のように薄く薄く広がったシャボン玉の内側で、イルーネは歓声を上げる。
「凄い、大きいです! それにキラキラして、とてもきれいです!」
「なによ。こんなの、インチキじゃない」
とはいえまゆ子の、魔導に関する創意工夫ぶりに、クロディーヌも顔を引きつらせていた。
まゆ子は彼女へにやりと笑い返し、そのまま仰向けにのけぞった。
「マユコちゃん!」
引きずられそうになりながら、なんとかイルーネは、倒れるまゆ子を抱きしめる。
貧血でクラクラしている中、こんな大掛かりな術式を組んだのだ。
失神して、当然である。
意識を失ったまゆ子を、クロディーヌは呆れた顔で見下ろしていたが。
「あの、クロディーヌさん……」
「……分かったわよ」
イルーネに潤んだ目でお願いをされ、金髪をかき上げてため息。渋々、踵を返す。
「保健室の先生を呼べばいいんでしょ? ったく、面倒なんだから」
ぶちぶち零しつつ扉へ向かったクロディーヌだったが、シャボン玉に跳ね返された。
ぼよよん、と半開きの扉をくぐろうとした体が、後方へ大きくはじかれる。
「何よこれ! 何なのよ、このシャボン玉!」
尻もちをつくも素早く身を起こし、再度果敢に体当たりを試みる。
しかしシャボン玉は、再び無慈悲に彼女をはじくのであった。
思いのほか強靭なシャボン玉の姿に、イルーネは感心していた。
「さすがマユコちゃんのシャボン玉……頑丈ですね」
「頑丈ってレベルじゃないでしょ! どうするのよ、これ!」
これ、とクロディーヌはまゆ子と、そしてシャボン玉を指さす。
「こいつ、意識戻るわけ? あと、酸素大丈夫なの?」
尋ねられても、非優等生であるイルーネに答えられるわけない。強張った表情で、首をかしげることしか出来なかった。
結局二人は、まゆ子が意識を取り戻すまでの三十分間、馬鹿みたいに丈夫なシャボン玉の虜となっていた。




