23:魔王さまとご褒美
屈辱であった。
ウルリッヒに依頼をしたのは、確かにまゆ子自身だ。
おかげで父に取り憑いていたらしい幽霊も払えたので、結果としては万々歳だ。
だが、まさか謝礼の代わりに、エプロン姿で手料理を作る羽目になるとは思わなかった。
しかも、真っ白でフリフリとした、非実用的なエプロンだ。彼はどこで、どんな面を下げて、こんなものを買ったのであろうか。いや、別に知りたくはないのだが。
このような格好をするぐらいなら、貯金を全て明け渡す方がずっとましである、とも考える。
──魔王を虚仮にした報い、必ずや晴らす!──
スパニッシュオムレツを作りながら、心中で呪詛を吐く。
──おのれウルリッヒ、おのれウルリッヒ、おのれウルリッヒ……──
それでも綺麗な円形のオムレツを作っているのだから、習慣とは恐ろしい。
「魔王さまの割に料理上手だよな、君」
探偵事務所の小さな台所で格闘するまゆ子を、ウルリッヒは興味深そうに眺めていた。
ちろり、と横目でねめつける。
「我は民の導、このような卵料理など造作もないことよ」
冷蔵庫にもたれ、ウルリッヒは嫌みに笑う。
「それなら、もっと面倒臭い料理を頼んでやりゃ良かったな」
──嫌な奴、ウルリッヒ。嫌な奴、ウルリッヒ……嫌な奴、嫌な奴、やなやつ!──
呪詛のバリエーションが増えた。
付け合せのじゃがいもサラダを混ぜる手つきも、いささか乱暴となる。
鬼気迫る表情で木べらを動かす彼女を見下ろし、ウルリッヒの笑みが変わった。
年齢相応に好色な、実に人間味あふれる笑みだ。
「ところでさ」
「何だ。格別の慈悲で以って聞いてやろう、手短に言え」
「君、危機感ないの?」
言っている意味が分からず、まゆ子は手を止めた。そして、振り返る。
俗に塗れた笑顔のウルリッヒと、ばっちり目が合った。
「だからさ。俺みたいな独り身の男の家──っつーか事務所だけど。とにかく上がり込んで、怖くないの?」
「はっ」
今度はまゆ子が、鼻で笑う番だった。同時に、右人差し指が円を描く。
素早く術式が組み上げられるや否や、それはウルリッヒ目がけて飛びかかった。
「おお」
小さく歓声を上げた彼の腕が、頭上高く引っ張り上げられる。そのまま、中空に縫い付けられた。
捕らえられた宇宙人のようなウルリッヒを、まゆ子が悪意たっぷりにせせら笑う。
「見たか。これぞパパ直伝の、捕縛術だ」
「君のお父さん、本当にただの会社員?」
催涙術に続いて魔導の餌食となったウルリッヒは、呆れた表情を浮かべている。
「愚問なり。パパは由緒正しき社畜ぞ。ふふ……どうしてくれようか」
腰に手を当て、まゆ子は精一杯の悪役面で笑んだ。
そして、大きくのけぞり、哄笑する。
「ハハハ、愚か者め! 我を羽交いにしたつもりだろうが、捕らえられたるは貴様の方ぞ! ざまあみろ、このクソボート野郎め! フワハハハハ!」
両腕を拘束されたまま、ウルリッヒもつられたように笑う。
「そうかもな、アハハハハ──ふんっ」
気合一発。
彼の両手首に絡みついていた術式が、破裂音を伴って打ち破られた。
高笑いの姿勢のまま、まゆ子は固まった。
痛がる様子も見せず、ウルリッヒは悠然と仁王立ち。
「これでもまだ、冥府の役人だもんでね。人間の術式ぐらいなら、どうとでもなる」
続いて櫂を出現させ、猛獣の笑みを浮かべた。
「それで、どうして欲しいんだ?」
「あうっ……」
青ざめ、まゆ子は脂汗を流している。
狭い台所の隅まで追い込み、ウルリッヒはチクチクといじめた。右手はチィチィパッパと、長大な櫂をリズミカルに振っている。
「痛くして欲しいか、それとも、痛気持ちよく欲しいか?」
「い、いいい、痛くする方を所望する!」
顔を土気色に染めたまゆ子が、声を絞り出すように絶叫した。
結局まゆ子は、デコピンをお見舞いされるのであった。




