22:魔王さまと恋人?
「面倒な仕事を引き受けちまったもんだ」
カフェテリアの一角を陣取り、ウルリッヒはひとりごちる。
視線の先にいるのは、まゆ子の父・将造。本日の尾行対象だ。
そして依頼人は、娘のまゆ子自身である。
アイスカフェラテを不景気な面構えですすり、彼は先日の出来事を思い返す。
いつもは街中で会ってもすぐさま逃げ出すまゆ子が、ウルリッヒの探偵事務所までやって来たのだ。
『ウシさんの一生』なる絵本を読んでいた彼は、意外過ぎる来訪者に目を丸くする。
そして、まゆ子の腰が引けまくり、おまけに足も震えっぱなしであることにも気づき、つい吹き出した。
もちろん、まゆ子はすぐさま顔をしかめる。
「何を笑っている」
「いや、まさか君が来るとは、と思って」
無精ひげを撫でて、曖昧にはぐらかす。
「で、何の用だ? 死にたいってわけじゃなさそうだな」
「冗談でも『死ぬ』などというな、下郎め! 貴様に依頼があるのだ!」
元魔王とは思えぬ、健全な非難である。
促されていないのにソファへどっかり座り、まゆ子は大仰に足を組む。
ソファの目の前に置かれたテーブルへ腰掛け、ウルリッヒは首をひねった。
「依頼って、君が?」
「そうだ。尾行を頼みたい」
「何だ。好きな男でもいるのか?」
「いるか。よしんばいたとして、尾行などするものか。……パパなのだ」
煙草を口に咥えようとして、ぽろりと落としてしまう。
ウルリッヒは、床に落ちたそれを拾い上げて一息吹きかけ、何事もなかったかのように咥え直した。
ずぼらな男の挙動を、まゆ子は冷めた目で見上げている。
「下品な輩め」
ウルリッヒがにやり、と笑う。
「元人殺しの大罪人にゃ、言われたくないね。それで、お義父さんが何しでかしやがったんだ?」
「だから、お義父さんとっ……ふん、もういい! ともかく、パパに……女の影があるような気がするのだ」
ややうつむき、まゆ子はぼそぼそ語る。
あやふやな言葉尻に、煙草に火を点けるウルリッヒが目を細めた。
「ずいぶん自信足らずだな」
「あいにく、物証はない。ただ、女子のものと思われる香水の残り香が、ここ最近漂っているのだ」
そりゃ真っ黒だな、という言葉は飲み込む。この打たれ弱い魔王の場合、号泣しかねない。
「というか、お義父さんは今独身だろ? 恋愛ぐらい好きにさせてやれよ」
途端、まゆ子の目が鋭くなった。
「パパの恋人はすなわち、我が係累候補ぞ」
「そう、だな」
つまりは嫉妬か、とウルリッヒは内心苦笑した。
幸か不幸か暇を持て余していたので、ウルリッヒは尾行を引き受けた。知人に張り付くのは初めてだが、あの娘にしてこの父あり。
ざっくばらんに言えば、鈍くさいのだ。帽子と眼鏡という変装でも、問題なく仕事は進められた。
しかし今のところ、女の影は皆無。
平日は家と会社の往復。
休日は男友達と釣りに赴くか、さもなくば今日のように、カフェテリアでのんびりコーヒーと読書を楽しむ。
実に平々凡々で、尾行しているこちらが退屈してしまう時間の使い方だ。
事実、ウルリッヒもあくびを噛み殺す。
しかし、口を半分ほど開けたところで、眠気が引っ込んだ。
代わりにニヤリ、と悪辣に笑う。
「たしかにいたな、女の影が」
カフェテリアの店員も客も、そして将造自身も気づいていない。
だが本性が冥府の住人であるウルリッヒには、しかと見えていた。
将造に憑く、黒い女の魂が。
ためつすがめつ影を眺め、彼は口を引き結んだ。
どうも女は、そこらを徘徊する浮遊霊の類らしい。
現世を彷徨って長いらしく、魂のあちこちが擦り切れ、ボロボロになっている。
こんなか細い魂の匂いを嗅ぎ分けるとは……さすがはかつての魔界の王、といったところか。
「仕方がねえ。これも依頼の一環だ」
ため息一つ、ウルリッヒは席を立つ。
小説片手にコーヒーをすする将造の背後を、気付かれないよう通り抜ける。
その通り過ぎざま、もろくなった幽霊の頭部をがっしり掴む。
右手でしっかりホールドしたまま、次元の狭間へ彼女を投げ込んだ。扱いとしては燃えるゴミに相当する。
甲高い悲鳴が、ウルリッヒの耳にだけ聞こえた。
あとは、冥府の同僚がどうにかしてくれるだろう。たぶん。
周囲の客は、急に腕を振ったウルリッヒに一瞬怪訝な顔を向けたものの、すぐ無関心へ戻る。
将造も本に熱中し、気付く様子はない。
ウルリッヒも平然とした顔を作り、さっさと店を出た。
思いもよらず本業をこなす羽目となったが、まあいいだろう。
「その分は、依頼料へ上乗せしてやるか」
舌なめずりをして、自活能力のない元魔王さまへの嫌がらせを、あれこれ計画した。




