2:魔王さまといじめっ子
嘘偽りなく申し上げるとするならば、魔王は勇者が苦手であった。
魔王を倒す運命を持った男なのだ、苦手で当然である。
どれだけ奴を抹殺する策を練ったところで、全てが裏目に出ていたのだ。
おまけに、その策のせいで勇者は経験と鍛錬を重ね、なおさら強くなるという悪循環まで発生していた。
だから魔王ことまゆ子は、今世が楽しくてたまらなかった。
この時代に、勇者などという猛者はいない。
つまり、彼改め彼女の敵はいない、ということになる。
「なるはず、であったのだがな……本当に人間の生は、ままならぬものだ……」
浅い息で喘ぎながら、まゆ子は疲れた笑みを浮かべる。
その彼女目がけ、怒声が飛ぶ。
「こらぁ、マユコ・ナツメ! 止まるな! 周回遅れだぞ!」
「大声で言われずとも、我も知っている!」
赤ジャージを着た体育教師めがけ、ちんたらと運動場を走るまゆ子が怒鳴り返した。
が、それで一気に体力を使ったのか、亀の歩みが一層遅くなった。呼吸もなお荒れる。
運動が苦手な体に転生してしまった魔王の敵は、存外大勢いた。
まず、運動そのものが駄目だ。持久走でもご覧の通り、彼女は周回遅れのビリッケツなのだ。
そして運動すなわち体育が駄目なら、体育教師との相性も良くない。
出来ない奴として、ある意味目はかけられているのかもしれないが、根本的に気が合わないのだ。彼らに、動けない者の苦しみなんて、生まれ変わるまで分かるはずもない。
最後に、そんな鈍くさい優等生を邪険に扱うクラスメイトも、また敵であった。
彼らいじめっ子の筆頭は、くるんと巻かれた金髪をなびかせて、軽やかにまゆ子へ走り寄る。
「相変わらず、足遅いわね。要るの、足? いっそ、ナマケモノに生まれ変わったら? そしたら餌あげるわよ」
──転生したばかりだというのに、ナマケモノなぞになってたまるか。貴様が代わりに転生しろ。介錯ならば、してやらんでもない──
まゆ子はそう言い返したかったが、いかんせん腹が痛くてたまらないため、にらむことしか出来なかった。
呼吸も荒々しい彼女を嘲笑し、いじめっ子ことクロディーヌは、さっさと走り去った。これで彼女より、二周も遅れたことになる。
まゆ子は、かつての魔王の肉体が恋しかった。
ガチガチ・ムチムチ・ムッキムキのあの体ならば、不眠不休でも七日間は戦えた。
雑兵相手ならば、普段着でも余裕であった。むしろ、半裸でも平気だった。
というか、一年のほとんどを素肌にマントで過ごしていた。ちょっとした黒歴史である。
それが今や、どうだろう。
身に着けているジャージすら、重くてかなわないのだ。
まゆ子はかつてよりもずっと深く、人と、人の世を呪った。
呪ったところで、今の彼女にどうこうする力はない。
だからせいぜい指先を小さく動かして、術式を構築する。
そしてこっそりと魔導の力を用い、クロディーヌの金色の眉毛を黒々とした、カモメみたいにつながった形へ変質させてやった。
まず体育教師がそれに気づき、大きく吹き出した。
続いて、クロディーヌの近くを走るクラスメイトも気づき、彼女を指さして笑っている。体をくの字に折って、笑い転げる者もいた。
ぽかん、と当の本人だけが、呆気に取られている。
立ち止まって大笑いする生徒を尻目に、まゆ子はのろのろと、マイペースに進んだ。心なしか、表情は晴れやかである。
魔王の身が朽ちた今は、憂さ晴らしが精一杯であるが、これはこれで小気味よかった。