16:魔王さまと変身
「変身術は理解出来ましたね? それでは皆さん、好きな動物に変身して下さい」
手を打ち鳴らし、教師が高らかに言った。生徒たちもうきうきした様子で、元気よく返事する。
いつも通りイルーネとコンビを組んでいるまゆ子は、文字通りノートを片手に持っているだけだ。
──ふっ。変身術は、我の最も得手とする術式。今更動物に変ずるなど、片腹痛いわ……やはり、猫が良いだろうか──
しかし優等生の仮面も捨てがたいため、胸中に長毛種のメインクーンを思い描く。犬も好きだが、悪の黒幕としては猫も捨てがたい。
膝に乗せてふんぞり返っていると、悪役感がより増すのだ。魔王として、イメージ維持は死活問題。
「マユコちゃん、何に変身します?」
ノートを食い入るように見つめながら、イルーネはふ、と視線を彼女へ向ける。
「猫だ」
「マユコちゃんは猫っぽいですよね。わたしは、兎さんになります」
褒められているのか、と首をかしげたものの、イルーネがにこにこしているので曖昧に応じる。
ぎこちなく笑うまゆ子の背後で、どっと笑いが起こった。
まさか自分が笑われたのか、と疑心暗鬼気味に振り返り、まゆ子はあんぐりと口を開いた。
腰に手を当てた、もう一人の自分が微笑を浮かべているのだ。
「どう、そっくりでしょう?」
にやにやした声音から、クロディーヌと察する。こんなことをするのは、彼女ぐらいしかいないだろうが。
半ば呆れ顔のまゆ子へ、クロディーヌはつん、と顎を突き出す。
「乏しいお胸も、ちゃんと再現しているのよ? 芸が細かいでしょう?」
せせら笑いに、まゆ子も片眉を持ち上げる。
「止めろよ、クロディーヌ」
「クロディーヌ、課題をこなしなさい」
彼女のペアになってしまったルロイと、実技講習担当の教師が、それぞれ困惑顔でクロディーヌへ近づく。
それを、三歩ほど前へ出たまゆ子が、鋭く手を突き出して制止する。
「これほどまでに安価な挑発を、買わずにいられようか」
──何故ならば、我は暴力を司る存在──
今はむしろ貧弱さを司っているのだが、それはそれ。
クロディーヌへにやり、と笑いかけた途端、まゆ子の輪郭が歪んだ。
ぼやけた彼女の体は、みるみる膨張する。そして真紅に輝いた。
ギャース、と現われたのは、立派な翼と尾を持つ赤竜だった。
魔界では、道端でも頻繁に見かける部類の竜だ。珍しさのレベルで言えば、カナブンと同程度。
だが、かの世界の王を務めただけのことはあり、竜に変じた姿はとても生々しい。ついでに巨大であるため、威嚇には十分。
全身から発せられる獰猛さに、魔界の動物を知らない生徒たちは悲鳴を上げた。
クロディーヌも腰を抜かし、戦慄いている。その彼女へ、調子づいたまゆ子は大きく吠える。
重低音が、教室の窓ガラスを震わせた。
「ひぇ……ひぇぇぇっ」
慄く足で床を這い、クロディーヌは必死に距離を取った。
イルーネは二人を遠巻きに眺めつつ、困り果てた表情だ。
「それは猫じゃ、ないですよね?」
喉を大仰に鳴らし、まゆ子は振り返った。動きに合わせ、棘の生えた太ましい尾もぶん、と旋回する。
『案ずるな。それはそれはモコ可愛い、猫にも変身──』
「ぶえっ」
声まで変わってしまったまゆ子の言葉に、ざらついた悲鳴が重なる。同時に、硬い何かを粉砕する音も。
音と悲鳴の方向へ顔を向け、まゆ子とイルーネは肩をびくつかせる。
いや、生徒たちのほとんどの視線が、そこへ釘付けとなっていた。
彼らは、げっ、と揃ってうめいた。
尻尾に吹き飛ばされ、教師が黒板にめり込んでいたのだ。
治癒術によって一命を取り留めた教師は、まゆ子とクロディーヌへ一ヶ月の便所掃除を命じるのであった。