15:魔王さまと病院
昨日からの熱が下がらず、まゆ子は学校を休む羽目となった。
将造は心配そうにしていたものの、娘の貧相な体力は熟知している。近くの病院まで彼女を送り、帰りはタクシーを利用するように言い含めて、臨時のお小遣いを渡した。
「パパはこのまま仕事に行くけど、大人しく寝ているんだよ? 何かあれば、必ず職場に連絡するように……電話番号は分かってるね?」
幼児へ言い聞かせるような口調に、額に冷却シートを貼ったまゆ子はくさる。
「くどいぞ、パパよ。私が何度、熱を出して昏倒したと思っている」
「誇ることじゃないんだよ、まゆ子。ちょっとは丈夫になろうね? パパ心配で、痩せちゃうよ」
「パパは少し痩せるべきだ。何だその、けしからん腹は」
臨月を迎えた妊婦のごとき腹をつつけば、将造はくすぐったそうに笑い、病院の待合室を後にした。
かかりつけのこの病院は、親子二代で経営されている。いわゆる町医者だ。
規模の割に腕は良く、まゆ子も全幅の信頼を置いていた。
しかし診察室へ入り、本日の担当医が息子医師であると知ると、まゆ子は少し慌てた。
表情は取り澄ましたものだが、内心で赤面する。
息子医師は年恰好が近いのだ、ウルリッヒと。
あの、情緒も何もないファーストキス騒動を思い出し、まゆ子はリノリウムの上でのた打ち回りたい、と切に思った。
思えば今日まで、動揺しっぱなしなのである。
昨夜観たコメディ映画のキスシーンですら、挙動不審になってしまっていた。俳優がまた茶色い目をしていたから、余計に奴を思い出したのだ。
キスの瞬間、間近で見つめた瞳の色に、とてもよく似ていた。
──こここ、このようなことで、照れてどうするのだ! 我は魔王なり! 男色の趣味など、万が一にもありはせぬぅぅ!──
しかし実際は、女の子の姿でいるため、ややこしい。こんな体、可能ならば捨ててしまいたかった。
一方の息子医師は、馴染みの少女の動揺に勘付いていたものの、熱のためだと判断した。
Tシャツの上から聴診し、喉の腫れを確認し、いつも通りに職務をこなす。
そして一つ、うなずいた。
「たぶん、疲れが原因だろうね。体力ないんだから、無理は禁物だよ」
体力ではなく精神力の問題だったのだが、彼にぶちまける義理もない。ずれていた眼鏡を押し上げ、まゆ子は大人しく診断結果を拝聴する。
「念のため、三日分のお薬は出しておくから、後で薬局に行ってね」
「うむ」
「ああ、それから。これ」
いつも通りの尊大な受け答えに苦笑しつつ、息子医師は机の引き出しを漁る。
そしてまゆ子へ差し出したのは、可愛らしいガラス瓶に収まったキャンディだった。
「これは何ぞ」
「キャンディだよ」
「その程度、見れば分かる。我を愚弄しているのか?」
「ははは、冗談だって。看護師さんからお土産で貰ったんだけど、甘いものが苦手なんだ」
だからあげる、と半ばむりやり握らされる。
好意に慣れていないまゆ子は、眉を寄せて困惑する。
「私が貰っても良いものか?」
「よく来てくれる君への、サービスだと思って。女の子の患者さんって少ないしね。甘いもの食べて、ゆっくり休んでよ」
茶目っ気たっぷりに、息子医師はウィンクをした。
そこまで言われて断る義務もないので、まゆ子も素直に受け取る。
──なかなかに、女の身も得ではないか──
などと、つい考えてしまった脳内の魔王はまた、海に向かって叫びたい衝動に駆られた。