14:魔王さまと微熱
知恵熱が出たようであった。
白昼堂々、往来でキスをされて。
ファーストキスを見世物にされた、ショックで。
中身はいい年をした、魔王という名のおっさんであるにもかかわらず。
熱で足元もおぼつかない彼女は、あろうことか諸悪の根源におんぶされていた。
諸々の気恥ずかしさのため、ウルリッヒの肩に顔を埋めたまゆ子は、静かにむせび泣いていた。
──わが生涯、最大級の恥辱なり!──
「舌まで入れやがって……」
「女子高生とキスする機会なんてないし、せっかくだから、と思っちゃって」
相変わらずウルリッヒに、反省した様子はうかがえない。
相手の中身がおっさんであると知り、軽く見ているのだろう。
彼の肩から離れて涙を拭い、まゆ子はウルリッヒの後頭部をにらむ。
「貴様に一つ言っておく。我が肉体が前世のままであったならば、貴様は即刻塵芥と化していただろう」
紅茶色の目が、ちらりとこちらをうかがって来る。
「えーっと、それは、男にキスをされたことに対して?」
「……否だ。キスそのものに対してだ」
何故こんなことに答えなければいけないのか、とまゆ子は火照る頭で嘆いた。
しかしウルリッヒの表情の方が、酷かった。
彼は無理矢理後方を振り向き、眠そうな目を大仰に見開いて、ついでに大口を開けている。
「君、キスの経験すらなかったの? 魔王でしょ? 結構ブイブイ言わせてる存在じゃないの? だってお姫様さらって、色々やっちゃうサイドの生き物だろ?」
不機嫌極まりない、とまゆ子は鼻筋にしわを作った。
「戯れるな、小役人め。我は魔界の頂点、すなわち民の象徴である。そして魔王とは、孤高の存在だ。愛など要らぬ! ついでに申せば、貴族の小娘をかどわかすのであれば、代わりにヴィオレッタを選ぼうよ」
「ヴィオレッタ?」
「我が高校の食堂を司る、初老の女料理長である」
上半身を反り返し、まゆ子はヴィオレッタの腕を褒める。
多忙で弁当を用意できなかった日も、ヴィオレッタの料理があれば何も心配はない──云々と。
その大仰な物言いに、ウルリッヒは喉を鳴らしながら首を振った。
「違うだろ、マユコ。それじゃあ、家政婦を選ぶ基準になっちまってる。お姫様を攫うのには、もっと色っぽい意味が……って、君に言っても無駄だよな。だって童貞ってか、処女だもんな?」
「くどいぞ、二度も尋ねるな。我は清き身のままぞ」
「なあ……人生、楽しい?」
心底不思議でならない、と見開かれたその表情が語っている。
「楽しくなければ、転生を望まぬ」
「だよな。俺を突き落して逃げるぐらいだもんな」
藪の中の蛇をつついてしまい、まゆ子の額にじわり、と汗がにじむ、
それを気にした様子もなく、ウルリッヒは再び前を向き、感嘆した。
「二代に渡って処女なんて、凄まじいな。修道女もびっくりの処女ぶりだな」
「処女、処女と連呼するな。貴様に恥じらいはないのか」
──これだから、役人という人種は嫌なのだ! 権威を盾に、横暴の限りを尽くす輩よ!──
横暴の権化である魔王は、心底彼の不躾さを恨む。
ついでに、その骨ばった首を締めたい衝動に駆られた。報復が恐ろしいため、やらないが。
彼女の暗殺衝動に気付いているのかいないのか、ウルリッヒは朗らかに言った。
「いや、馬鹿にしたわけじゃないんだ。ただ、妖精どころじゃねぇな、と思って」
「妖精、とは?」
身を乗り出して顔をのぞきこめば、彼はチェシャ猫の笑みを浮かべる。
「二十歳まで清いままだったら、妖精になれるって言うだろ? 君の場合、竜も夢じゃないな」
「我は魔王ぞ。今更竜ごときで喜んだりせぬ」
むっつり、とまゆ子は唇を尖らせた。
なお魔王は、享年四十歳(人間換算)である。