12:魔王さまと訪問者
朝早くの来客を知らせるブザーに、まゆ子は眉をひそめた。
しかし父・将造はトイレにこもり、軟便と格闘中である。彼女が出るより他ない。
「時間を考えられぬのか、愚物め」
まだ見ぬ来客者へ悪態を付き、ぶっきらぼうに扉を開ける。
そして、レザージャケット姿のウルリッヒとご対面した。
「ひええええぇぇぇ」
魔王らしからぬ、むしろ老婆のような悲鳴を上げ、まゆ子はへたりこむ。
「君、色々ひどいな」
腰が抜けた姿を見下ろし、ウルリッヒはひっそりと顔をしかめている。
「どうしたまゆ子! 強盗か!」
勢いよくトイレットペーパーを巻き取る音、水を流す音が聞こえれば、将造がトイレから飛び出してきた。手は洗っていないようだ。
ラバーカップで武装した将造だったが、ウルリッヒを見とめるとすぐに相好を崩した。
「なんだウルちゃんじゃないか」
「どうも、お義父さん」
ウルリッヒも、にっこり笑い返す。
「パ……父をお義父さんと呼ぶな!」
スカートを広げてへたり込むまゆ子が、声だけで威嚇する。
「朝から来るな、事前に連絡を入れろ。そして父に用があるなら、とっとと帰れ。本日彼の者は、大学時代の後輩と釣りだ」
続けて矢継ぎ早にたたみかけ、「帰れ」のジェスチャーを示す。
だがウルリッヒは、立てた人差し指を左右に振り振り、「違うね」と答える。
「君に用があってね」
「は?」
目が、点になる。
ぽからん、と真っ白になった彼女へ構わず、ウルリッヒは将造に尋ねた。
「お義父さん、まゆ子ちゃんをお借りしても?」
「ああ、いいよ」
そして父も、ラバーカップ片手に快諾した。まゆ子は愕然とするしかなかった。
「何故我が、貴様に付き合わねばならぬのだ」
渋々アパートの外へ出るも、まゆ子は嫌悪感を隠さない。
「ちょいと仕事を、手伝ってもらいたいだけだ」
無精ひげの生えた顎を撫で、ウルリッヒはあっけらかんと言った。
「ああ、仕事と言ってもこっちの……探偵業の方だから、安心してくれ」
「安心するか」
気丈にも、まゆ子は吐き捨てるように言った。前世は魔王なのだ、役人風情になめられるわけにはいかないのだ。
「まあまあ。悪いようにはしないからさ」
彼女の空威張りを笑い飛ばし、ウルリッヒが先行する。
その背中を眺め、まゆ子はこっそり踵を返そうかと考えた。
しかし聡いウルリッヒが、素早く櫂を出現させて握り締めたため、冷や汗混じりに付き従うこととなった。
その気配を察知し、ウルリッヒは櫂を片手に口笛を吹く。
──おのれ、どこまでも我を馬鹿にして……我が真に復活した暁には、八つ裂きにしてくれようぞ──
ぎりぎりと、まゆ子は歯ぎしりをした。
無言のまま歩くこと、十五分程度。
着いた先は、とあるアパレルショップであった。
「服なら間に合っている」
むっつり、まゆ子は口を尖らせる。
加えてその店の対象者は、二十代から三十代の働く女性。学生かつ十代のまゆ子にとっては、少々荷が重い。
「いやいや、仕事用の変装だから。だって」
櫂をかき消して振り返り、ウルリッヒはまゆ子を見下ろす。そして頭の先からつま先まで、長々と彼女を観察した。
「君の格好は、幼くて地味だ。俺が連れ歩くと、色々やばい」
「服など、着られればいいのだ。むしろ貴様は、今すぐ誘拐の容疑で捕縛されろ」
「後頭部ぶん殴って、冥府に強制送還してやろうか?」
「ひぇっ」
あっさり殺害予告をするから、まゆ子の乙女部分が思わず慄いてしまう。
たじろいだ彼女の腕を掴み、開店直後の店へウルリッヒが進軍する。
「心配するな。俺も女の服を見る目はない。店員さんに似合うものを選んでもらうさ」
「案ずるな、と言う方が無茶である。そもそもその金は──」
「経費で落とすから、気にすんな」
ちらりと傍らを見て、ウルリッヒは笑った。
それならいいか、とまゆ子は入店しながら妥協してしまった。